この写真は、東京駅前の丸ビルに置かれたリーフデ号のモニュメントです。
1600年4月、時はちょうど関ケ原の戦いの5か月前、オランダ船のリーフデ号は、日本近海で難破し、九州豊後の国(今の大分県臼杵)の海岸に漂着しました。
航海士の名はウィリアム・アダムスというイギリス人でした。
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ウィリアム・アダムスは、造船の修行中に学んだ航海術や天文学を活かし、オランダから東洋に向けて遠征隊が船出することを聞きつけ、当時、マルコポーロの東方見聞録で知った日本、「黄金の島国」に一攫千金の夢を見て、その船団に乗り込むことを決心します。アダムスを乗せた5隻の船団は、暴風雨や食糧難により、殆どの乗組員が亡くなり、1年8か月かけて日本に漂着したのは、リーフデ号一隻のみでした。総勢480人いた乗組員のうち、日本の土を踏んだのは18人だけでした。

航海士だったウィリアム・アダムスは、乗組員を代表して、当時、豊臣政権の5大老筆頭だった徳川家康に謁見するため大阪に行きます。そして、39日間に及ぶ大阪の牢で厳しい尋問を受けることになります。真摯に応えるアダムスの人柄に好意を持ち、家康は外交顧問として江戸に置くことにします。家康に気に入られたアダムスは江戸日本橋に屋敷を与えられたうえ、それまで天領であった相模国三浦郡逸見250石の領地を与えられました。
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江戸日本橋の屋敷跡は、日本橋室町にあります。当時、按針町と名付けられていたその場所には、現在「按針通り」として名残の名称を見ることができます。
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屋敷跡には、「史跡 三浦按針屋敷跡」の石碑が残されています。アダムスは、三浦按針と名乗り、帯刀を許される旗本身分となります。まさに「青い目のサムライ」の誕生です。後に、日本橋大伝馬町の名主の娘「雪」を妻とし、長男「ジョセフ」、長女「スザンナ」が生まれます。
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リーフデ号の乗組員のうち、ヤン・ヨーステンというオランダ人も、砲手の経験を買われ、信任を得て、家康により屋敷を与えられます。ヤン・ヨーステンとリーフデ号のモニュメントが、八重洲通りの中央分離帯に建てられています。東京駅から300メートル程のところです。
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ヤン・ヨーステンは、日本名で耶揚子(やようす)と呼ばれていました。現在の八重洲(下の写真)の地名はヤン・ヨーステン(耶揚子)から付けられたといわれています。
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八重洲地下街には、ヤン・ヨーステンの記念像があります。
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実際のヤン・ヨーステンの江戸屋敷は、現在の場所でいうと「和田倉門外」の付近を指していて、当時はこの場所を「八代洲河岸」と呼んでいました。
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東京駅から東海道線に乗り、横浜駅で京浜急行に乗り換え、「京急 逸見(へみ)駅」で降ります。逸見は三浦按針に与えられた250石の領地だったところです。按針が抱えていた家来・農民は90人ほどいたといわれています。
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京急逸見駅を降りると、すでに夕方近くになっていました。近くには、JR横須賀駅があります。
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京急逸見駅の前にある商店街は、現在、「逸見按針通り」と呼ばれています。
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浄土寺は三浦按針の菩提寺です。逸見駅から浄土寺まで徒歩で3分ほどで着きます。お寺には、今もアダムスゆかりの念持佛など寺宝が残されています。(寺宝は一年に一度「按針忌」の4月8日に公開されているそうです。)
今回、記事を書くにあたっては、現在の浄土寺住職、逸見道郎氏の著書「青い目のサムライ 按針に会いに」(かまくら春秋社)を参考にしています。
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浄土寺は、鎌倉時代の武将、畠山六郎重忠が建立した寺と伝えられています。創建からおよそ800年が経っています。神奈川県の調査によると横須賀市内で最も古い木造建築だとされています。
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浄土寺のすぐ近くに三浦按針の屋敷があったといわれている場所「鹿島神社」があります。
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三浦按針は、日本漂着から4年後の1604年、家康の命を受けて、船手奉行の向井将監忠勝とともに船大工一行を引き連れて、伊豆の伊東に向かい、現地の船大工を使い、日本初のイギリス式帆船80トンを建造しています。続いて、120トンの帆船も建造しています。伊東の松川沿いの海岸に出るところのなぎさ橋の際に、小さな「按針メモリアルパーク」があります。公園の中には、按針の胸像と帆船建造の碑が建てられています。なお、毎年、8月10日に伊東市で按針祭が開かれています。(写真はお借りしています)
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その後、按針は、家康亡き後、秀忠に仕えます。秀忠はイギリス・オランダ両国の貿易は平戸と長崎に制限します。ただし、旗本身分の按針は例外とされ、独自にシャムや中国と貿易を行い、商人としての生活を中心とします。按針は1620年、平戸の日本人宅で病気で亡くなります。56歳でした。遺産は、イギリスにいる妻子と、日本の家族に分配するよう遺言に書き残しています。逸見の領地は息子のジョセフが按針二世として引き継いでいきます。鹿島神社もジョセフが建立したと伝えられています。おそらく、下の写真にある「塚山公園」にある供養塔もジョセフにより建てられたものと考えられます。確かなことは分かっていません。
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塚山公園は標高133メートルの小高い山の中腹にあります。逸見の塚山公園に按針の領地や供養塔が建てられた理由の一つに江戸時代、この場所には「浦賀道」が通っていたことがあげられます。また、家康は、海外との交流の窓口を浦賀と考えていたことから、按針に近くの逸見に領地を与えたのではないかといわれています。
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按針塚は大正12年(1923年)に国指定史跡になっています。
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1980年(昭和55年)、私も見ていましたが、「将軍」という海外ドラマがありました。リチャード・チェンバレン、島田陽子、三船敏郎が演じていたあのドラマは、ウィリアム・アダムスの生涯を描いたフィクションだったんです。懐かしいですね。
あと、「ガリバー旅行記」もアダムスがモデルだとされているのです。驚きました。

伊東の小室山で発見された早咲きの桜「伊東小室桜」が按針の菩提寺「浄土寺」の境内にあります。
これは、昨年、按針忌に合わせ、「按針が紡ぐ伊東・横須賀市民交流の樹」事業で植樹されたものです。
現在も、按針にゆかりのある都市間で市民交流が盛んに行われているのですね。
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おしまい
按針の菩提寺「浄土寺」はこちらです。