前回ご紹介した報国寺を出て、200mほど金沢街道を横浜側に戻ります。そこから路地に入り、浄明寺の閑静な住宅街を抜け、山越えをして瑞泉寺を目指します。地図上では分かりませんでしたが、かなりの勾配でした。下に見える街が金沢街道です。
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浄明寺の住宅街を上りきると、天園ハイキングコースの入口らしき看板があります。方角的には合ってるようなので、一か八か急阪を登ることにします。
※天園ハイキングコースとは、鎌倉の山々の稜線をつなぐ鎌倉アルプスと呼ばれるスーパー低山ハイキングコースで眺望がとても良いです。
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天園ハイキングコースを出ると、瑞泉寺の参道とつながっていました。ラッキーです。瑞泉寺は鎌倉公方の菩提寺として、鎌倉五山に次ぐ関東十刹に列した格式のあるお寺様です。
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創建時の建物は、ほとんど残されていませんが、門前に至る歪みのある石段は当時の面影を残しています。
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歪んだ石段を上りきると門前に「松陰吉田先生留跡碑」があります。
吉田松陰は、嘉永6年(1853年)6月中旬、佐久間象山と一緒に浦賀へ黒船を見に来ていますが、そのあとに、伯父の瑞泉寺第25世住職の竹院和尚に会いに来たと伝えられています。また、安政元年(1854年)、下田で黒船に密航を企てる直前にも瑞泉寺の竹院和尚に会いに来ているようです。
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下田での密航の企ては失敗に終わります。企てに失敗した松陰は自首し、江戸の獄に送られます。松陰は、獄中で瑞泉寺を訪ねた詩を吟じたといわれています。詩は石碑の裏に漢文で次のように書かれています。
「山の青々とした竹の光が窓から差し込んでくる。方丈は奥深く、錦屏山の懐に抱かれて物静かである。いま私は囚われの身となって獄中にあり、むなしく苦しみを味わっている。ある夜夢に瑞泉寺を訪ねた」
瑞泉寺山門の前の石碑は、昭和4年(1929年)に建立されています。徳富蘇峰の筆によるものです。

吉田松陰の石碑の前に山門があります。
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瑞泉寺は、鎌倉二階堂紅葉ヶ谷の奥に、無窓国師によって建てられました。創建は、鎌倉時代末期の嘉暦2年(1327年)で、山号は錦屏山です。本堂脇には、鎌倉市の指定天然記念物の黄梅と冬桜が植えられています。
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瑞泉寺本堂裏の庭園は、夢窓国師(むそうこくし)の作として国の名勝に指定されているもので、岩盤を彫刻的手法によって庭園となした「岩庭」とも呼ぶべきこの庭は、書院庭園の原型とされ、京都嵯峨の天龍寺・西芳寺の礎になったといわれています。
現在の庭園は、昭和45年に発掘・復元されたもので、鎌倉に残る鎌倉時代唯一の庭園となっています。
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次は、金沢街道の最終回です。(続く)
瑞泉寺はこちらです。