鎌倉は、南は面し、北・東・西の三方が山に囲まれた天然の要害の地です。これは、源頼朝が鎌倉を武家政権の本拠地として選んだ大きな理由の一つですが、やがて政情が安定し、鎌倉が都市として発展するとともに人や物の往来が盛んになるにつれて、周囲の山々は交通の妨げとなっていきました。そこで、13世紀前半、執権の北条氏は山の尾根を人工的に開削し、「鎌倉七口」と呼ばれる7カ所の「切通し」を整備しました。その一つが「朝比奈切通し」です。中世鎌倉の雰囲気を残す貴重な古道は、国の史跡に指定されています。

朝比奈切通しを代表する場所です。道幅は3メートルほどでしょうか。開削した崖面の跡が当時の難工事の様子を物語るようです。


切り立った切通しの真上は高速道路「横浜横須賀道路」です。果たして地層的に安全なのかどうか心配ですが、その高速の真下を通っていきます。(この日も落石や崖崩れ防護の工事が何カ所にもわたり行われていました)

高速道路の下を通り抜け、振り返ると高速道路がよく見えました。

朝比奈切通しを代表する場所です。道幅は3メートルほどでしょうか。開削した崖面の跡が当時の難工事の様子を物語るようです。


切通しには、石切り跡が随所に見られます。峠には地蔵と思われるレリーフが残されています。切通しの開削中に亡くなられた方を供養するために彫られたものなのでしょうか。


道の途中には、やぐらが随所に掘られ、江戸期の石造や石塔が見られます。近世においても改修が施されていた形跡だと思われます。



下り坂になると、路面に崖面から流れた滴が目立つようになります。その滴はしだいに細い流れに変わります。そして小川に変わり、大刀洗川に注ぎます。

朝比奈切通しの鎌倉口に出たところに滝があります。この滝は、「三郎の滝」と呼ばれています。朝比奈切通しを一夜にして切り開いたという伝承が残る大力武勇の猛者
「朝比奈三郎義秀」に因んで名付けられています。朝比奈三郎義秀は、源頼朝の下で侍所別当を務めた和田義盛の三男といわれています。

朝比奈切通しの説明が書かれた石碑が三郎の滝の横に建っています。

この後、鎌倉八幡宮までの金沢街道沿いある古刹を巡ります。(続く)
朝比奈切通しのコースをマップで示す予定でしたが、途中の「熊野神社」までで途切れています。その先が道として認識されていないようです。