久しぶりの晴天に誘われて、神奈川県立金沢文庫と称名寺に行きました。
鎌倉時代、鎌倉の海岸は遠浅で良港といえる場所がありませんでした。そこで注目されたのが、今の東京湾に面する金沢の六浦でした。
北条泰時は、この地と鎌倉を容易につなげるため朝比奈の切通しを開き、六浦はそれ以降鎌倉の外港として繁栄しました。泰時は、この金沢の重要性を考慮して、この地を弟の実泰の所領としました。
実泰の子、実時は火災の多い鎌倉の邸内で二度にわたり多くの典籍を類焼させていたことから、金沢の地に称名寺を建て、また収集した書籍をおさめる文庫を建てたのです。それが金沢文庫で、以後この地は、東国の文化の一中心となりました。

金沢文庫では企画展「国宝でよみとく神仏のすがた」が開催されていました。
1930年に神奈川県立金沢文庫開館以来、継続してきた称名寺の文献資料を踏まえ、今年の8月17日に重文「称名寺聖教と金沢文庫文書」が国宝に指定されました。今回の企画展はそれを記念したものです。

金沢文庫で保管する「称名寺聖教・金沢文庫文書」2万点余は、このたび国宝に指定されることとなりました。同資料は、わが国の中世史、仏教史、仏教美術史などを考えるうえで第一級の資料群と言えます。
本企画展では新国宝である「称名寺聖教・金沢文庫文書」を通じて、普段あまり見る機会の少ない個人蔵の神像や仏像、仏画などの仏教美術作品をご紹介いたします。仏教美術作品には製作されるに至った、宗教的背景や時代背景があります。これら背景を記した資料群である「称名寺聖教・金沢文庫文書」と、仏教美術作品を一堂に会することにより、「神仏のすがた」を読み解いてみたいと思います。(金沢文庫HPから)
本企画展では新国宝である「称名寺聖教・金沢文庫文書」を通じて、普段あまり見る機会の少ない個人蔵の神像や仏像、仏画などの仏教美術作品をご紹介いたします。仏教美術作品には製作されるに至った、宗教的背景や時代背景があります。これら背景を記した資料群である「称名寺聖教・金沢文庫文書」と、仏教美術作品を一堂に会することにより、「神仏のすがた」を読み解いてみたいと思います。(金沢文庫HPから)
金沢文庫と称名寺は一体のものです。出口を出て、短いトンネルを越えると深い緑の庭園と称名寺境内が現れます。
彼岸花にカメラを向けた瞬間、蝶が現れました。この蝶の名前は「クロアゲハ」。別名「鎌倉蝶」と呼ばれています。これは家紋でも使用されていて、代表的な人でいうと、「池田輝政」「芹沢鴨」「関鉄之介」がいます。家紋は鎌倉時代以降に見られるようになったことから、鎌倉蝶の響きから、鎌倉武士を想わせるところがあるのかもしれません。鎌倉の「称名寺」で鎌倉蝶を見ることができ、感激です。ちなみに鎌倉市の「蝶」に指定されています。


「鎌倉蝶」の家紋はこちらです。

さて、北条実時の孫・金沢貞顕(さがかね)が平泉の毛越寺をモデルに金堂や庭園などを造営しました。
称名寺庭園は、関東では珍しい浄土式庭園で境内の真ん中に橋が架かった大きな池があるのが特徴です。また浄土式庭園は、一般に平安時代に作庭されたものが多いのですが、この称名寺庭園は鎌倉時代作の珍しい浄土式庭園です。仁王門を抜け、池を越えると金堂と釈迦堂があります。称名寺の境内は国の史跡に指定されています。
称名寺庭園は、関東では珍しい浄土式庭園で境内の真ん中に橋が架かった大きな池があるのが特徴です。また浄土式庭園は、一般に平安時代に作庭されたものが多いのですが、この称名寺庭園は鎌倉時代作の珍しい浄土式庭園です。仁王門を抜け、池を越えると金堂と釈迦堂があります。称名寺の境内は国の史跡に指定されています。





金沢文庫を出て、称名寺に入ったところに北条実時の胸像があります。


金沢文庫の建物

金沢文庫と称名寺は、海岸にほど近く風光明美なところです。
