関東地方では、迷走した台風が過ぎ、再び残暑が戻りました。東北・北海道では大きな被害がもたらされたようです。一刻も早い復旧を祈るばかりです。
前回に引き続き、日本のふるさと探訪!と称して、川崎市北部の生田緑地にある野外博物館「日本民家園」から全国各地から移設された古民家をご紹介させていただきます。
この合掌づくりの棟は、岐阜県白川村の山下家住宅です。白川から五箇山にかけての民家は、巨大な合掌を急勾配にかける工法で知られていますが、それを強調して、「合掌造り」という呼称が広まったようです。高大な屋根裏には、養蚕に利用され、冬季には、食糧や薪などの貯蔵庫に使われていました。この建物は、神奈川県指定文化財となっています。19世紀初期のものです。現在は、一階に蕎麦屋の店舗があり、2階は展示室となっています。合掌造りに狙いをつけている銃は、防火設備です。
山下家住宅の前に建っている民家は、野原家住宅です。富山県利賀村から移設されています。この建物も「越中五箇山」に属しますが、他の合掌造りと異なり、間取りや構造に地域差が現れていて興味深いものがあります。この建物も、神奈川県指定文化財となっています。18世紀後半のものです。
「でえ」という客間には、織物の機材が置かれていました。長い冬の時期に生活を支える仕事として使用されていたものでしょうか。
この建物は、千葉県九十九里町作田にあった作田家住宅です。いわし漁で栄えた九十九里の網元の家です。しかし、漁師の家という雰囲気は感じられません。海岸べりにある建物は、漁具小屋で、集落は内陸部にあったからなのです。この建物は、国の重要文化財に指定されています。17世紀後半から18世紀後半に使用されていました。
建物の外観で特徴的な部分として、棟と棟との間に取り付けられた木製の雨樋があります。
天井を張らない二十四畳ほどの板の間からは、曲がりくねった梁組越しに高大な屋根裏が一望できます。
大きな囲炉裏のほかに、仏壇や押板を備え、網元としての日常生活に用いられた格式のある部屋となっています。
建物の北側に面した屋根は、一面苔むしていて、元気よく植物も生い茂っています。
この変わった建物は、沖永良部の高倉です。高倉と言いますと東大寺の校倉造が有名ですが、沖縄・奄美諸島、九州南端、八丈島など黒潮の流れに沿った地域には、柱の上に茅葺屋根をのせた高倉が分布しています。
ネズミなどから作物を護るため、太い円柱の柱には、ネズミ返しの工夫が施されています。
この建物は、川崎市多摩区の清宮家住宅です。屋根は寄棟造りの茅葺き屋根で、屋根の頂上を土の重さで押さえ、その土が散乱しないように草花を植えた「芝棟」は武蔵西部の素朴な農家の姿を伝えています。神奈川県指定文化財に指定されています。17世紀末から18世紀初の建物です。
梁組は、この家の大きな見どころとなっています。特に土間の梁組は、曲りの強い太い材を巧みに組み合わせています。
この建物は、多摩川の「菅の渡し場」に置かれていた船頭小屋です。船頭が客待ち、休憩、川の見張りに使用されていました。外周りの柱には、丸太を通して担ぐための大きな鉄の輪が取り付けられていて、川の増水に応じて、小屋を移動させるために用いられていたようです。
続く

この合掌づくりの棟は、岐阜県白川村の山下家住宅です。白川から五箇山にかけての民家は、巨大な合掌を急勾配にかける工法で知られていますが、それを強調して、「合掌造り」という呼称が広まったようです。高大な屋根裏には、養蚕に利用され、冬季には、食糧や薪などの貯蔵庫に使われていました。この建物は、神奈川県指定文化財となっています。19世紀初期のものです。現在は、一階に蕎麦屋の店舗があり、2階は展示室となっています。合掌造りに狙いをつけている銃は、防火設備です。

山下家住宅の前に建っている民家は、野原家住宅です。富山県利賀村から移設されています。この建物も「越中五箇山」に属しますが、他の合掌造りと異なり、間取りや構造に地域差が現れていて興味深いものがあります。この建物も、神奈川県指定文化財となっています。18世紀後半のものです。

「でえ」という客間には、織物の機材が置かれていました。長い冬の時期に生活を支える仕事として使用されていたものでしょうか。

この建物は、千葉県九十九里町作田にあった作田家住宅です。いわし漁で栄えた九十九里の網元の家です。しかし、漁師の家という雰囲気は感じられません。海岸べりにある建物は、漁具小屋で、集落は内陸部にあったからなのです。この建物は、国の重要文化財に指定されています。17世紀後半から18世紀後半に使用されていました。

建物の外観で特徴的な部分として、棟と棟との間に取り付けられた木製の雨樋があります。

天井を張らない二十四畳ほどの板の間からは、曲がりくねった梁組越しに高大な屋根裏が一望できます。

大きな囲炉裏のほかに、仏壇や押板を備え、網元としての日常生活に用いられた格式のある部屋となっています。

建物の北側に面した屋根は、一面苔むしていて、元気よく植物も生い茂っています。

この変わった建物は、沖永良部の高倉です。高倉と言いますと東大寺の校倉造が有名ですが、沖縄・奄美諸島、九州南端、八丈島など黒潮の流れに沿った地域には、柱の上に茅葺屋根をのせた高倉が分布しています。

ネズミなどから作物を護るため、太い円柱の柱には、ネズミ返しの工夫が施されています。

この建物は、川崎市多摩区の清宮家住宅です。屋根は寄棟造りの茅葺き屋根で、屋根の頂上を土の重さで押さえ、その土が散乱しないように草花を植えた「芝棟」は武蔵西部の素朴な農家の姿を伝えています。神奈川県指定文化財に指定されています。17世紀末から18世紀初の建物です。

梁組は、この家の大きな見どころとなっています。特に土間の梁組は、曲りの強い太い材を巧みに組み合わせています。

この建物は、多摩川の「菅の渡し場」に置かれていた船頭小屋です。船頭が客待ち、休憩、川の見張りに使用されていました。外周りの柱には、丸太を通して担ぐための大きな鉄の輪が取り付けられていて、川の増水に応じて、小屋を移動させるために用いられていたようです。

台風の名残でしょうか、結構強い風が吹いていました。麦わらの傘を差した可愛らしい風鈴が大きく揺れていました。
