日本民家園の宿場ゾーンです。ここでは、奥州街道、柳生街道、伊那街道沿いに建てられていた古民家を見ることができます。
この建物は、鈴木家住宅です。奥州街道の宿駅、八丁目宿の旅籠(はたご=宿屋)でした。南部駒(なんぶごま)を白河(福島県)方面の競り市(せりいち)に出す馬喰(ばくろう=馬商人)や、馬を世話する馬方(うまかた)を泊めた馬宿(うまやど)で、馬は土間(どま)に、馬方は中二階に、馬喰や武士は一階の座敷に宿泊しました。この建物は、神奈川県指定重要文化財となっています。旧所在地は、福島県福島市松川町本町で、19世紀初期に建てられたものです。
水車小屋の脇に六地蔵さんと道祖神がありました。
続く

この建物は、鈴木家住宅です。奥州街道の宿駅、八丁目宿の旅籠(はたご=宿屋)でした。南部駒(なんぶごま)を白河(福島県)方面の競り市(せりいち)に出す馬喰(ばくろう=馬商人)や、馬を世話する馬方(うまかた)を泊めた馬宿(うまやど)で、馬は土間(どま)に、馬方は中二階に、馬喰や武士は一階の座敷に宿泊しました。この建物は、神奈川県指定重要文化財となっています。旧所在地は、福島県福島市松川町本町で、19世紀初期に建てられたものです。

この建物は、井岡家住宅です。奈良の柳生街道(やぎゅうかいどう)に面した商家でした。古くは油屋を営み、のちに線香屋としてその製造販売を行っていました。外観は正面に庇(ひさし)を設け、吊上げ式の大戸(おおど)、格子(こうし)、揚見世(あげみせ)を備えており、商家の面影を伝えています。この建物も、神奈川県指定重要文化財となっています。旧所在地は、奈良県奈良市高畑町で、17世紀末期~18世紀初期に建てられています。ほのかな灯りがとても印象的でした。


この家は囲炉裏がなく、かまどで生活をしていました。中央の大かまどは荒神(火の神)を祭るもので、正月の餅つきのとき以外は使いわないそうです。以前、伊豆韮山の江川邸を見学した際も、お正月に元家来が集まり、現在の42代江川氏が正月行事を行っているとガイドさんが紹介されていたのを思い出しました。

この建物は、佐地家の門・供待です。もと名古屋城の東南にあり、禄高(ろくだか)二百五十石の武家屋敷の出入口でした。門は棟門(むなかど)と呼ばれる形式です。両袖部に突出している小屋根は、提灯(ちょうちん)を吊るすためのものです。供待(ともまち)はお供が主人の帰りを待つための施設で、内部は土間(どま)、門番部屋、囲炉裏(いろり)のある板の間(供待)からなっています。供待が一つの建物として建てられるのは珍しい事例です。屋敷外は漆喰(しっくい)仕上げとして城郭(じょうかく)風であるのに対し、内側は中塗りまでとして軒裏(のきうら)も木部を露出させた簡素な仕上げにするなど、体面を重んずる武士の家らしさが現れています。この建物は、川崎市重要歴史記念物に指定されています。旧所在地は、愛知県名古屋市東区白壁で、19世紀初期の建物です。

この建物は、三沢家住宅です。中山道(なかせんどう)から分かれる伊那(いな)街道の宿駅、伊那部宿(いなべじゅく)にありました。農業を主とし、代々組頭(くみがしら)をつとめてきましたが、江戸時代の末に製薬・売薬業を始めて成功しました。外観上の特徴は、石置板葺(いしおきいたぶき)のゆるい切妻造(きりづまづくり)屋根と上手の門構(もんがま)え、それから式台玄関(しきだいげんかん)です。板葺の屋根は良材に恵まれた山間部の地域性によるものです。間取りにはこの宿場の半農半商的性格が現れています。この建物は、神奈川県指定重要文化財となっています。19世紀中期に建てられました。

園路には、馬頭観音や庚申塔が置かれています。

この水車小屋は、長野県長野市上ケ屋に建てられていたものです。水車は使用目的によって二種類に分類できます。ひとつは灌漑(かんがい)などで水を上げるのにつかうもの、もうひとつは動力として用いるものです。この水車は後者で、米つき、粉ひき、蕎打ちなどに利用していました。車輪の直径は3.6メートルあります。この水車は、川崎市重要歴史記念物に指定されています。19世紀中頃に使用されていました。



