伊能忠敬のふるさと佐原編の続編です。街歩きはこのへんにして、もう一つの楽しみは佐原のランチです。佐原と言えば、鰻か蕎麦ですね。事前にチェックしたところ、一番人気の鰻屋さんは「山田うなぎ」か「うなぎ長谷川」です。地元の人に人気が高いのは、「うなぎ長谷川」と知り、地図を頼りに直行。
佐原の住居表示はイ・ロ・ハで示されているんです。なんかいい感じですね。でも、番地表示はどこに?
イメージ 1

大通りから路地に少し入ったところにありました。うなぎ長谷川は天保二年の創業です。
イメージ 2

金曜日の午前11時半でこのくらいの混み具合でした。座敷で上うなぎをお願いしました。すでに並みは売れ切れです。
イメージ 3

久しぶりなこともあって、とても美味しかったです。コク深であっさりしたタレが最高!噂どおり。
イメージ 4

上を見上げると、何と空手チョップで一世を風靡したプロレスの神様「力道山」の直筆の書がありました。「努力」です。
イメージ 5

ランチの後、諏訪神社の近くにある伊能忠敬の銅像を見に行きました。結構、土台が高いので銅像が小さく感じられます。
イメージ 6

利根川沿いに「道の駅 水の郷さわら」があります。新鮮な地場の野菜やお米、お土産を買うことができます。
イメージ 7

道の駅の裏側には、利根川が広がっています。川の向こう岸は茨城県です。
イメージ 8

佐原に行ったら、香取神宮にも寄りましょう。建築物は国指定の重要文化財です。参道には、名物草だんごのお店が軒を連ねています。
イメージ 9

香取神宮の社殿は全体がブラウンに統一されていて美しいです。
イメージ 10

香取神宮から5分程度で東関東自動車道 佐原・香取インターに着きます。東京まで2時間ほどです。帰りに伊能忠敬ゆかりの地を巡りました。ここは、深川にある伊能忠敬の住居跡です。
イメージ 11

伊能忠敬は、55歳から10回に分けて全国測量に出かけました。その間に歩いた距離は約35,000㎞、地球1周分になります。出かける際に必ずお参りしていたのが、自宅の近くにあった富岡八幡宮です。
イメージ 12

境内には伊能忠敬の銅像が建てられています。
イメージ 13

測量した成果は、日本地図「大日本沿海輿地全図」として結実しますが、それは73歳で忠敬が亡くなった3年後のことで、弟子たちの努力によるものでした。忠敬のお墓は浅草の源空寺にあります。
イメージ 14

源空寺の墓地は、史跡墓地として公開されています。
イメージ 15

伊能忠敬のお墓です。
イメージ 16

その隣には、高橋至時のお墓があります。高橋至時は江戸時代後期の天文学者で江戸幕府天文方で、伊能忠敬の師でもありました。
イメージ 17

その隣には、高橋至時の長男の高橋景保のお墓があります。景保は父至時の跡を継いで江戸幕府天文方となり、天文関係の翻訳などに従事します。また、忠敬が測量した成果を地図「大日本沿海輿地全図」を完成させるのです。しかし、シーボルト事件に係ることになります。シーボルトが所持していた世界地図をもらう代わりに「大日本沿海輿地全図」の写しを渡すことで伝馬町牢屋敷に投獄されてしまい、獄死します。幕府は、塩漬けされた遺体を保存し、あらためて斬首刑に処します。シーボルトは国外追放されますが、「大日本沿海輿地全図」の写しは欧米諸国に紹介されることになり、世界中の人々がその地図の精巧さに驚くのでした。
イメージ 18

最後に佐原のお土産の話に戻りますが、お土産には、天保3年から創業している醤油屋さん「正上」の生醤油にしました。他には、ラー油も美味しいそうです。
イメージ 19

イメージ 20
おしまい