丹那盆地の中央に丹那断層があります。
現在は、国指定天然記念物「丹那断層」公園として保存整備されています。

 

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丹那断層公園では、1930年に起きた北伊豆地震によって生じた断層のずれが保存されています。左横ずれ断層の活動により、当時の水路が断層に沿って2m程度ずれてしまっている様子がよくわかります。丹那断層は、箱根芦ノ湖から伊豆市まで続く、長さ30キロメールの断層です。

 

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指定地には、当時の水路の石垣が活断層により、水平に横ズレが生じていることが良く分かります。奥には、断層地下観察室があります。

 

 

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地表面をよく見ると、水平の食い違いがわかります。活断層のズレは、約2・6メートルありました。

 

 

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断層地下観察室にある左右の断層面にもズレが生じていることがわかります。

 

 

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中央の亀裂が断層です。

 

 

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かつて村の中央を流れ、豊かな水量が水田やワサビ田を潤していた柿沢川ですが、今はその川の流れを見ることはできません。

 

 

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丹那断層公園から5キロメートルほど山あいを登ったところに火雷神社があります。この鳥居と階段は、北伊豆地震以後につくられたものです。

 

 

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この写真は、当時のもので、鳥居と階段がズレているのがわかります。

 

 

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階段上から撮った写真です。地震により鳥居が倒れ、階段がズレているのがわかります。当時のまま残されていることに驚きました。

 

 

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北伊豆地震の震度です。

 

 

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地震直後の三島町の様子です。

 

 

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丹那トンネルに断層のズレが生じていました。「岩肌が鏡のようになめらかになっているのは、粘土質の東西の地塊が断層線を境にして、互いにこすり合いながら動いたからであった。

 

 

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時事新報の主催の丹那研究会の座談会は、12月6日午前11時半から東京会館でもようされた。・・・
今後、工事中に同じ規模の地震が起きたら危険ではないか、という記者の質問に、脇水博士は、地震が起きてエネルギーが消散したので、今後100年から300年は、今回のような地震は起こらないと思う。と言った。」・・・
「北伊豆地震の後、徹底した水の排水と大量のセメント注入により、三島口坑道作業は、最大の難関を越えることができたのである。
丹那盆地をあとにしました。

 

 

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昭和8(1933)年6月19日11時40分、当時の鉄道大臣三上忠造が大臣室で押したスイッチによって、丹那トンネル(長さ7,804m)は貫通しました。そして、新たに函南駅が新設されることになりました。
7年間で貫通される予定でしたが、大正7(1918)年4月に着工してから16年という長い歳月が流れていました。
函南村でも、駅の新設を祝う式がおこなわれた。村が酪農を主としたものに代わったことをしめすため、駅前に竹で組み紙を貼った高さ6メートル、長さ10メートルのホルスタイン種乳牛の模型を飾り付けた。駅の近くでは、村の青年団員たちが仮装行列をし、相撲大会ももよおされた。村は祝賀気分にあふれ、人々は正装して駅前にむらがり・・・駅の開設を喜ぶおだやかな表情がうかんでいた。」
その後、新丹那トンネルの構想が進みます。
「大陸での緊張も増し、昭和12年7月には、北京郊外の盧溝橋で日本軍と中国軍との間で衝突が起こり、中国との全面戦争になった。・・・中国大陸での戦域が広がるにつれ、東海道、山陽線の兵員、軍需物資の輸送量が増し、大陸への連絡も密になった。これらの問題を解決しなければならぬという声が昭和13年末ごろから起こり、鉄道省建設局では超高速で走る弾丸列車計画を立案した。」・・・
「新丹那トンネルは、東海道線の丹那トンネルと50メートルへだたった位置を平行して掘削することになっていた。ただし、丹那トンネル工事は大湧水になやまされたので、地下水の流れる所より5メートル上方に掘ることが決定していた。
戦争の拡大により、一時工事は中断していましたが、昭和34年4月20日に完成し、新丹那トンネル熱海口で新幹線起工式がもよおされました。
全線の試験運転が繰り返され、10月1日に開業した。その日、午前6時、第1号列車の「ひかり」が東京駅を発車した。アイボリーと青に塗り分けられた電車は西へと疾走し、新丹那トンネルに驚異的な速度ですべりこんでいった。」
 
 
 
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新丹那トンネルにカメラを向けた瞬間、東海道新幹線がトンネルに飛び込んでいきました。丹那トンネル工事では、自然の脅威をまざまざと見せつけられることになりましたが、尊い命を失いながら、困難に立ち向かう日本人の不屈の精神を見た気がしました。北伊豆地震から今年で86年目を迎えます。おしまい