昼食後、南千住駅から徒歩10分程の円通寺に行きました。
円通寺は、彰義隊をはじめ旧幕臣の墓石などがあります。また上野戦争の象徴とも言える凄まじい戦闘による弾痕跡が残る黒門を見ることができます。上野戦争の発端は、江戸は無血開城となったものの、これを認めずに、気勢をあげる彰義隊は日に日に、勢力を拡大していきました。そしてついには「上野戦争」が勃発し、その圧倒的な戦力差に彰義隊は、わずか半日で敗れます。斃れた隊士の遺体は、朝敵ということで、野ざらしとされ上野の山は、地獄の様相となったと言われています。この様子に、さすがに見かねた「円通寺」の住職である仏麿和尚らが協力し、彼らの遺体を「円通寺」に埋葬したのです。このような縁から現在、荒川区南千住の「円通寺」には、彰義隊をはじめ、新政府軍に戦いを挑んでいった旧幕臣らの墓や碑が数多く建立されています。

 

 

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上野戦争の激戦地、黒門口に建てられていた「黒門」。無数の銃弾痕が、生々しく激戦の様子を伝えています。

 

 

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野ざらしにされた彰義隊士266体の遺体は、円通寺の住職、仏麿和尚と任侠商人の三河屋幸三郎らによってここ円通寺に埋葬されました。墓石は榎本武揚によって建てられ、墓碑銘も榎本の筆によるものです。

 

 

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吉川英治の小説「松のや露八」の主人公として知られる松廼家露八こと土肥庄次郎の碑。碑の題字は榎本武揚によるもの。残念ながら、碑の上部が折れてしまっています。

 

 

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江戸を脱し、4月8日、木更津で戦死した旧幕臣、中田正廣の碑。正面の題字は榎本武揚の筆によるものです。また、碑文は山岡鉄舟の長男、山岡直記によるものです。

 

 

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日蓮宗大黒山経王寺は、山梨県の身延山久遠寺末寺です。明治初年、旧幕府の家臣による彰義隊と新政府軍との上野戦争の際に、逃走した彰義隊戦士の一部が経王寺にかくれたために同寺は新政府軍に包囲されてしまいました。この山門には新政府軍が発砲した銃弾の痕が残っており、明治維新の動乱を物語っています。
(以前撮った写真)

 

 

 

 

 

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墓石は、明治14年(1881)12月に元彰義隊小川興郷(椙太)らによって造立。彰義隊は明治政府にとって賊軍であるため、改府をはばかって彰義隊の文字はありませんが、旧幕臣山岡鉄舟の筆になる「戦死之墓」の字を大きく刻まれています。平成2年に台東区有形文化財として区民文化財台帳に登載されています。(以前撮った写真)

 

 

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不忍池の蓮(以前に撮った写真)

 

 

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おしまい