「大山街道を歩く」の3日目は、長津田宿から伊勢原宿を目指します。長津田駅前には、近年、高層マンションが建てられ、新しい街づくりが進められています。
駅舎下に傘の自販機を発見しました。これは便利とパチリ。
長津田駅からしばらく歩き、再び大山街道に入ります。街道沿いの小高い丘に上ると、長津田宿の常夜灯がありました。
常夜灯を抜けて、さらに登ると大石神社があります。長津田宿の鎮守です。
神社の周りには、ストケシアが咲いています。
こちらにも、可憐な花が。ラベンダーでしょうか。
国道246号をしばらく歩き、国道16号線の東名入口前で旧道に入ります。旧道には、大ヶ谷庚申塔が置かれていました。庚申塔の正面には「つるま」と刻まれていて、その上にしめ縄が貼られています。左右には、石灯籠が置かれています。
その先に圓成寺があります。本堂には、室町時代後期に作られた聖徳太子立像があり、町田市の指定文化財になっています。
聖徳太子立像は、本堂に納められています。聖徳太子像のなかで、髪を美豆良に結い、袍衣の上に袈裟をまとい、手に柄香炉を持って立つ童形の像容は、太子16才時の姿をあらわし、一般に「太子孝養像」と言われています。
八王子街道の近くに五貫目道祖神があります。毎年、1月14日に村人が無病息災を願い道祖神の前で団子焼きの行事を行っていました。土台の石には「右大山道 左江戸道」と刻まれています。
パネルには、五貫目道祖神の謂れが書かれています。
境川を渡ります。大きな鯉が悠然と泳いでいます。気持ちよさそうです。
境川と八王子街道の間に観音寺があります。天文13年(1544)に造られた薬師如来像が安置されています。大和市の重要文化財です。
八王子街道と鎌倉古道の間に阿夫利神社下社御分霊社があります。江戸から歩いてきた旅人は、ここで草鞋を履き替え、身と財布を清め、金運にあやかるよう祈願したと言われています。
御分霊社の前に「新田軍の鎌倉進撃路」の説明板があります。鎌倉時代も軍事の拠点だったのでしょう。
鎌倉古道と大山街道の交差点には、高札場があります。この建物は、下鶴間ふるさと館で、この辺りに残された唯一の建物です。
ふるさと館の反対側に黒板塀の旧家が見えます。文化13年(1816)、この旧家に伊能忠敬測量隊は宿泊しています。旧家は、神奈川県議会議長も務めた旧長谷川彦八家で、現在も長谷川家のお屋敷です。
大山街道沿いに不動明王像があります。
ここから階段を上がると、下鶴間不動堂があります。
不動堂の脇に、蚕神さまのお堂があります。お蚕さまは、当時の下鶴間の農家を支えていた大事な産業だったのでしょう。
不動堂の隣に鶴林寺があります。明治になると、当時の塾「鶴間学校」として使われます。
そのそばに、旧下鶴間宿の説明板があります。この辺りには、当時、「まんじゅうや」という旅籠があり、江戸時代の画家の渡辺崋山も宿泊しています。崋山の「遊相日記」には「酒の味もいい、飯もうまい」と書かれてあり、宿賃は、432文とあります。
大山街道と滝山道の交差するところに庚申塔(道標)があります。
長津田宿から下鶴間宿のマップです。
続く

駅舎下に傘の自販機を発見しました。これは便利とパチリ。

長津田駅からしばらく歩き、再び大山街道に入ります。街道沿いの小高い丘に上ると、長津田宿の常夜灯がありました。

常夜灯を抜けて、さらに登ると大石神社があります。長津田宿の鎮守です。

神社の周りには、ストケシアが咲いています。

こちらにも、可憐な花が。ラベンダーでしょうか。

国道246号をしばらく歩き、国道16号線の東名入口前で旧道に入ります。旧道には、大ヶ谷庚申塔が置かれていました。庚申塔の正面には「つるま」と刻まれていて、その上にしめ縄が貼られています。左右には、石灯籠が置かれています。

その先に圓成寺があります。本堂には、室町時代後期に作られた聖徳太子立像があり、町田市の指定文化財になっています。

聖徳太子立像は、本堂に納められています。聖徳太子像のなかで、髪を美豆良に結い、袍衣の上に袈裟をまとい、手に柄香炉を持って立つ童形の像容は、太子16才時の姿をあらわし、一般に「太子孝養像」と言われています。

八王子街道の近くに五貫目道祖神があります。毎年、1月14日に村人が無病息災を願い道祖神の前で団子焼きの行事を行っていました。土台の石には「右大山道 左江戸道」と刻まれています。

パネルには、五貫目道祖神の謂れが書かれています。

境川を渡ります。大きな鯉が悠然と泳いでいます。気持ちよさそうです。

境川と八王子街道の間に観音寺があります。天文13年(1544)に造られた薬師如来像が安置されています。大和市の重要文化財です。

八王子街道と鎌倉古道の間に阿夫利神社下社御分霊社があります。江戸から歩いてきた旅人は、ここで草鞋を履き替え、身と財布を清め、金運にあやかるよう祈願したと言われています。

御分霊社の前に「新田軍の鎌倉進撃路」の説明板があります。鎌倉時代も軍事の拠点だったのでしょう。

鎌倉古道と大山街道の交差点には、高札場があります。この建物は、下鶴間ふるさと館で、この辺りに残された唯一の建物です。

ふるさと館の反対側に黒板塀の旧家が見えます。文化13年(1816)、この旧家に伊能忠敬測量隊は宿泊しています。旧家は、神奈川県議会議長も務めた旧長谷川彦八家で、現在も長谷川家のお屋敷です。

大山街道沿いに不動明王像があります。

ここから階段を上がると、下鶴間不動堂があります。

不動堂の脇に、蚕神さまのお堂があります。お蚕さまは、当時の下鶴間の農家を支えていた大事な産業だったのでしょう。

不動堂の隣に鶴林寺があります。明治になると、当時の塾「鶴間学校」として使われます。

そのそばに、旧下鶴間宿の説明板があります。この辺りには、当時、「まんじゅうや」という旅籠があり、江戸時代の画家の渡辺崋山も宿泊しています。崋山の「遊相日記」には「酒の味もいい、飯もうまい」と書かれてあり、宿賃は、432文とあります。

大山街道と滝山道の交差するところに庚申塔(道標)があります。

長津田宿から下鶴間宿のマップです。


続く