今回は、荏田宿から長津田宿まで歩きます。江田駅を通過し、しばらく田園都市線沿いを歩き、緩やかな猿田坂を下った所に、旅籠綿屋が現存しています。この建物は、明治15年(1882年)に建てられ、明治末期に廃業しています。建物は、当時の宿屋の面影を残しています。
鶴見川(谷本川)を渡ると、大難(おうな)の辻があった場所に着きます。昔は、急坂で崖崩れの危険があったところから、この地名が付けられたようです。現在は、当時の面影はありませんが、名残りなのでしょうか、お地蔵さんがありました。安全を祈願したものなのでしょう。
しばらく歩いた所に、個人のお宅のお庭に一理榎があります。樹齢600年以上で、幹の空洞は、明治3年(1870年)の火災の傷跡なのだそうです。区画整理により、榎の一里塚は、現在のお宅に移されました。
お宅の玄関の白壁に、赤色の大山街道のシールが貼られています。
医薬神社の石段に、双体道祖神、地神塔大師座像などが祀られています。
大山街道沿いに建つ医薬神社です。王禅寺の末寺だった東光寺が廃仏毀釈で医薬神社に合祀されたと記されています。
しばらく、住宅街の中を歩きます。下の写真は、青葉台駅の手前にある歩道橋から撮影したもので、国道246号線の下に田園都市線が立体交差している写真です。
この辺りは、大山街道を象徴するように坂道の上、くねくねとした道が続きます。坂の途中に、竹林に囲まれた料亭「青柿」が現れます。
再び国道に合流する所に道祖神(道標)があります。側面に文化5年と刻まれています。
国道から、旧道に入った所に片町地蔵堂があります。その中には、3体の地蔵が祀られています。地蔵の大石には、「向テ右かな川 みぞノ口」、他の一体には、「南つる間東江戸道」と記されています。
長津田宿に入ると直ぐに、常夜灯や石造物が置かれています。
長津田宿の中央に建つ大林寺。江戸時代に創建され、平成20年に再建されています。領主だった旗本の岡野氏の菩提寺で、初代引田天功のお墓があります。
本殿
大林晩鐘
鎮座している坐像
2016.6.6 22.74km

鶴見川(谷本川)を渡ると、大難(おうな)の辻があった場所に着きます。昔は、急坂で崖崩れの危険があったところから、この地名が付けられたようです。現在は、当時の面影はありませんが、名残りなのでしょうか、お地蔵さんがありました。安全を祈願したものなのでしょう。

しばらく歩いた所に、個人のお宅のお庭に一理榎があります。樹齢600年以上で、幹の空洞は、明治3年(1870年)の火災の傷跡なのだそうです。区画整理により、榎の一里塚は、現在のお宅に移されました。

お宅の玄関の白壁に、赤色の大山街道のシールが貼られています。

医薬神社の石段に、双体道祖神、地神塔大師座像などが祀られています。

大山街道沿いに建つ医薬神社です。王禅寺の末寺だった東光寺が廃仏毀釈で医薬神社に合祀されたと記されています。

しばらく、住宅街の中を歩きます。下の写真は、青葉台駅の手前にある歩道橋から撮影したもので、国道246号線の下に田園都市線が立体交差している写真です。

この辺りは、大山街道を象徴するように坂道の上、くねくねとした道が続きます。坂の途中に、竹林に囲まれた料亭「青柿」が現れます。

再び国道に合流する所に道祖神(道標)があります。側面に文化5年と刻まれています。

国道から、旧道に入った所に片町地蔵堂があります。その中には、3体の地蔵が祀られています。地蔵の大石には、「向テ右かな川 みぞノ口」、他の一体には、「南つる間東江戸道」と記されています。

長津田宿に入ると直ぐに、常夜灯や石造物が置かれています。

長津田宿の中央に建つ大林寺。江戸時代に創建され、平成20年に再建されています。領主だった旗本の岡野氏の菩提寺で、初代引田天功のお墓があります。

本殿

大林晩鐘

鎮座している坐像



2016.6.6 22.74km