前回は、23日間かけて東海道53次を歩きました。今回は、甲州街道を歩くことにします。どうぞお付き合いください。起点は、東海道53次と同様、日本橋です。
日本橋 麒麟の像
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写真の麒麟の像は、小説家 東野圭吾さんの小説・映画「麒麟の翼」でも重要な場所として登場してきますね。
江戸城 大手門
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東京駅を抜け、江戸城大手門に入ります。ちょうど、皇宮護衛官の馬術訓練を見ることができました。ラッキーでした。
皇居前広場
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晴天の下、皇居前広場を気持ち良く歩きます。途中、二重橋(正門鉄橋)をとおり、桜田門からお濠と大手町のオフィス街を撮ってみました。
平河天満宮
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半蔵門の近くにある平河天満宮は、江戸平河城主太田道灌が、文明10年(紀元2138、西暦1478年)に城内の北の方梅林坂の上に、おまつりした神社です。銅の鳥居は、江戸時代の特徴的な意匠で千代田区指定有形文化財(建造物)に指定されています。
四谷見附門跡
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四ッ谷駅近くに四谷見附門跡の石垣が残されています。江戸時代には、江戸城防御のの城門としての役割がありました。当時「入り鉄砲と出おんな」と呼ばれた、市中の秩序を乱す鉄砲と江戸詰めの藩主の妻たちは厳しく取り締まられていたようです。
四谷 於岩稲荷田宮神社
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四谷3丁目を左に入り、住宅街の中を暫く歩くと、四谷 於岩稲荷田宮神社があります。この「於岩」とは、「お岩」という江戸時代の初期、四谷左門町で健気な一生を送った女性のこと。その女性の美徳を祀っているのがこの神社。「四谷怪談」は、「お岩」さんが亡くなって200年近く経ってから創作された芝居だったんです。知りませんでした。逆に平日にもかかわらずお参りされる方も多く、商売繁盛の御利益があると言われています。向かいには、於岩稲荷があります。
四谷大木戸
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内藤新宿近くにも関門が建てられていました。四谷大木戸です。大木戸は、物資の出入りや旅人の往来を調べる場所だったそうです。今も、首都高速道路の出入口になっていて、首都圏の大木戸の役割を担っていて、偶然にしても面白いですね。
宗源寺
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桜上水駅近くに建つ古刹 宗源寺。
境内の不動尊はかつて高台にあったため「高井戸」と呼ばれ、今の高井戸の地名の由来となったそうです。
里程標
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しばらく歩いた国道20号線を離れ、旧甲州街道に入ります。閑静な千歳烏山の市街を抜けると、里程標が住宅地の一角に残されています。明治3年建立の新一里塚です。
一里塚には、「内藤新宿より三里」と刻まれています。
布田五宿
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今回は、布田五宿まで歩きました。

布田五宿とは、国領、下布田、上布田、下石原、上石原の5宿のことで、江戸に近いことから、間の宿の性格のもので、いずれも本陣は置かれていませんでした。
最寄り駅は、京王線の調布駅です。


日時 2015年11月30日(月)
10:00~16:00 6h
区間 日本橋から布田五宿
距離 31.64キロ
歩数 44123歩