今日は、鳴海宿から宮宿まで歩き、鉄道を使い、桑名宿まで行きます。江戸時代は、宮宿から渡船で七里を渡っていたのですが、今回の旅では、鉄道で桑名宿まで行くことにします。(今は渡船は存在しません)
前回リタイアした前後駅から半年ぶりの再スタートとなります。台風16号が予想に反して遅く、進路がずれたため快晴となりました。
新幹線のなかで司馬遼太郎の街道をゆく「濃尾参州記」を読み終え、午前9時、再び、前後駅から東海道を歩き始めます。
 駅名の「前後」とは、織田軍の急襲を受け、今川軍が前後に駆け抜けたことに由来しているそうです。
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街道をゆく「濃尾参州記」のなかで、案内役を務める鶴田先生の職場「藤田保健衛生大学」の建物が見えてきました。今は高齢者介護施設になっています。
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施設の隣に史跡、桶狭間古戦場があります。
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桶狭間の戦いの様子が、今川義元の側から記された記念碑が建っています。その前で地域の案内人の方から当時の資料を丁寧に解説していただきました。その方曰く、桶狭間は偶然の勝ちではなく、情報と念入りな戦略に長けた信長の周到な準備によるものなのですと教えてもらいました。なるほど・・・。
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今川義元の墓
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義元とその武将を祀る高徳院は古戦場の向かいにあります。
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弥次喜多が手拭いを買った絞りの開祖の街、有松宿。
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当時の町並みが残る美しい街道です。
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絞り問屋の重厚な建築
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NHKドラマ黒田官兵衛で使われる絞りの衣裳もここ有松で仕立てられているのでした。
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文化3年(1806)建立の永代常夜灯
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鳴海城跡公園
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鳴海城跡。今川家の居城、義元が桶狭間の合戦で信長に討ち取られ、信長により、墓も造られたのですが、鳴海城主は、義元の首を返してもらい、駿府に持ち帰ったと伝えられています。
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秋葉常夜灯は寛政4年(1792)建立
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住宅地の真ん中にある、「めんやちから」で「きしめん定食」を注文することに。
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ハンバーグが付いて、何と750円
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榎の老木の笠寺一里塚は見事。
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鰻料理の蓬莱陣屋は2時間待ちの賑わいです。
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宮宿の七里の渡し跡
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続く