今日は、神奈川宿から戸塚宿を目指します。
青木橋から川崎宿方面を眺めることができます。眼下には東海道本線、京浜東北線、横浜線などの線路が並んでいます。明治5年に品川・横浜間に鉄道が敷かれた際の軌道跡でもあります。
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大綱金比羅神社です。神奈川湊の海運関係者の信仰を集めていました。
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この緩やかな坂に当時は茶屋や料亭が立ち並んでいました。この田中屋もその一つ。龍馬の妻、おりょうさんが仲居として働いていたところです。
広重が描いた神奈川もこの辺りの風景です。
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神奈川台関門跡の碑です。1859年、横浜開港後、外国人保護のために設けられました。
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陸橋上台橋です。下には横浜駅につながる道路、そして地下には横浜市営地下鉄ブルーラインが通っています。この辺りは神奈川宿の端にあたります。
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国道1号線から離れ、並行している旧東海道を歩きます。目印となる道標がありました。
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浅間下の交差点の名の通り、旧東海道に入り、急な階段を上ると浅間神社が鎮座しています。
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天王町駅近くに橘樹神社が建っています。手前にある松原商店街は平日でも2万人の買い物客で賑わっていて、どこか韓国の東大門を彷彿させてくれます。毎月最終週の土・日曜が安売市で最も賑わいます。
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再び国道1号線と合流します。天王町駅をくぐると、元帷子川の跡にモニュメントとして帷子橋と当時の面影が残されています。
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保土ヶ谷駅近くに保土ヶ谷宿案内所が開設されています。こちらで、パンフレットをいただき、旧東海道の権太坂の行き方を教えて頂きました。写真の道標は案内所の横に並んでいるものです。
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保土ヶ谷宿の旅籠本金子屋跡。とても丁寧に遺されています。生麦事件のあと、薩摩藩一行は外国人の襲撃を恐れ、宿泊予定の神奈川宿を通り抜け、保土ヶ谷宿で泊まることになりました。この旅籠本金子屋にも藩士らが宿泊していました。
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復元された一里塚と松並木。塚の上には榎が植えらています。

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国道1号線から分かれ旧東海道に入ると、庭園が美しいと評判の樹源寺があります。
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元の保土ヶ谷宿だった場所。元町の辺りで新道から旧東海道に分かれ、急坂が続く権太坂。
旅人が年老いた農民に道を尋ねたところ、耳がとおいため、自分の名前を聞かれたと思い「権太」と言ったことが橋の名称になったと伝えられています。

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長い権太坂を登り切ったところに置かれた境木立場跡。江戸時代には茶屋が立ち並んでいました。若林家の黒門が残されています。隣にに木立に囲まれた境木地蔵尊があり、この辺りが保土ヶ谷宿から戸塚宿の境となっています。
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もち焼き坂を下ると品濃一里塚が切通しの両側に今も現存しています。
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戸塚宿方面に歩くと、柏尾町の三叉路手前に益田家のモチの木があります。神奈川名木百選にも選ばれています。
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対の品濃一里塚。上部に榎があると思われます。
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戸塚駅近くに鎮座する宝蔵院。さつきが季節を感じさせてくれます。門をくぐると植木市が開かれていました。
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(続く)
神奈川宿~戸塚宿  2013年5月26日
本日の総距離は22キロ。歩数は27860歩。