2013年5月4日朝7時、いよいよ京都三条大橋をめざして、東海道53次の出発地点「日本橋」をスタートです。

国道1号線の起点でもある日本橋の真ん中、道路のセンターライン上に5円玉模様の「日本国道路元標」が埋め込まれています。行き交う車に注意しながら記念撮影。

静けさが漂う早朝の銀座界隈。京橋には、寛永元年に初代中村勘三郎が興行した江戸歌舞伎発祥地の碑があります。

京橋には、当時かけられていた橋の擬宝珠が記念碑として置かれています。





JR田町駅手前に、江戸城の無血開城に向け、西郷隆盛・勝海舟が会見した地として石碑が置かれています。
当時、薩摩藩邸があったところです。

当時、薩摩藩邸があったところです。

辻の札から見た東京タワーの勇姿。
まだまだ東京スカイツリーには負けていられないといった風格が漂っています。
まだまだ東京スカイツリーには負けていられないといった風格が漂っています。

江戸の南の玄関。高輪大木戸の跡。結構雑草が生い茂っています。


赤穂の城主 浅野家の菩提寺、泉岳寺。大石内蔵助ら四十七士が眠っています。
映画「最後の忠臣蔵」で描かれていた後世に事実を伝えるために一人逃げ延びることとなった浪士のことを思い起こしながらお参りします。

泉岳寺から少し歩いたところに東禅寺があります。日本で最初につくられたイギリス公使宿館跡です。
都心を忘れさせる緑の濃い山門と静寂な境内が印象的です。
東禅寺には立派な三重の塔が建っています。土佐藩の浪士らの襲撃で、当時の建物は、ほとんどが焼失しています。
東禅寺には立派な三重の塔が建っています。土佐藩の浪士らの襲撃で、当時の建物は、ほとんどが焼失しています。

明治初期、当時は1日に2本、横浜駅まで蒸気機関車が海岸沿いを走っていました。JR品川駅前にある「品川駅創業記念碑」の裏には、当時の時刻表が刻字されています。


品川宿に入りました。目黒川に接して東海寺が鎮座しています。
品川宿には、寺社を含め史跡が数多く残されています。品川宿界隈の商店街も東海道五十三次の宿場をアピールしながら賑わいをつくっています。


江戸から旅立つ人を見送る場所だった立会川。その橋の手前に蕎麦屋の吉田屋があります。天ぷら蕎麦1800円。蕎麦も天ぷらも最高でした。建物も江戸の風情を感じさせてくれています。



立会川沿いに遺されている砲台跡。黒船襲来に備え土佐藩が設置したもので、当時、龍馬も警備にあたっていたのではないかと言われています。当時の遺跡が見られる貴重な場所のひとつです。

旧東海道が国道15線に接続する手前に鈴ケ森刑場遺跡があります。
一旦、国道に入った後、再び三原から旧東海道に入ります。

多摩川を渡ると川崎宿です。その場所に、かつて東海道と大師道との分かれ道があり、弘法大師道標が置かれていました。
現在は川崎大師平間寺の境内に保存されています。川崎市歴史重要記念物に指定されています。道標の表面には「大師河原 是寄 弘法大師江之道 災厄消徐」、裏面には寛文3年(1663年)と記されています。
川崎大師は厄除けとして、江戸時代中期に大変賑わっていました。

(続く)
川崎大師は厄除けとして、江戸時代中期に大変賑わっていました。

現在の砂子通りが旧東海道。新しくお目見えした『東海道かわさき宿交流館」は新しい川崎宿のランドマークとなっています。

東海道かわさき宿交流館は、新たな東海道五十三次のランドマーク。休憩にぜひお立ち寄りください。色々な情報が得られますよ。

東海道沿いに建つ宗三寺。ここには飯盛女の供養塔が置かれています。 当時の宿場の様子を伝える貴重な文化財です。

川崎宿の端には、俳人 松尾芭蕉の句碑『麦の穂をたよりにつかむ別れかな』があります。
ここは、芭蕉と弟子たちとの分かれの場所であったようです。

ここは、芭蕉と弟子たちとの分かれの場所であったようです。

歩いた距離は30キロ。歩いた時間は5時間。歩数は37683歩。