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さて、「 トイレトレーラー 」

 

 

サンドイッチマンのお二人が「 クラウドファンディング 」で集めた資金でトイレトレーラーを購入、気仙沼へ寄付したそうです。

 

 

 

 

能登半島地震は8日で発生から1週間が経過した。今も被災地では水や食料が不足しているほか、被災者の避難所生活も続いている。

【画像】サンドウィッチマンが気仙沼市に「トイレトレーラー」寄贈

 


こうした中、2011年の東日本大震災を経験した宮城県内各地で支援の動きが広がっている。5日には気仙沼市の「トイレトレーラー」が被災地に向けて出発。

この「トイレトレーラー」は仙台市出身のお笑いコンビ・サンドウィッチマンが気仙沼市に贈ったもの。寄贈の背景には2人の「被災体験」があった。

 

能登半島地震 宮城からも支援の輪

5日。2011年の東日本大震災で甚大な被害を受けた気仙沼市が、職員4人と、備蓄していた2リットルの飲料水5400本、缶詰1440缶、そして「トイレトレーラー」を石川県輪島市に派遣した。

この「トイレトレーラー」は仙台市出身のお笑いコンビ・サンドウィッチマンが2022年12月に市に寄贈したもので、菅原茂市長は出発式で「市民の激励の思いとサンドウィッチマンの気持ちを伝えてほしい」とあいさつした。

 

2人の被災体験がもと「トイレトレーラー」

「サンドウィッチマンの気持ち」とは何だったのだろうか。寄贈の背景には2人の東日本大震災での体験がある。

2人はあの日、番組の撮影中に気仙沼市で被災。高台に避難して無事だったが、気仙沼市は津波で甚大な被害を受けた。2人が被災者を励ますために避難所を訪れる中で、相次いで聞こえてきたのが「トイレ問題」だった。具体的には「水が出ない」「悪臭がする」「女性は特に大変」という声だったという。

この時の経験を踏まえ、2人は東日本大震災の被災者を支援するために開設した「東北魂義援金」を活用し「トイレトレーラー」を寄贈した。

伊達みきおさんは寄贈の際に「何か有事の際に、気仙沼の看板を背負ったトイレトレーラーを持って、全国に助けに行ってほしい」と語っていた。

 

無事現地へ 寄せる被災地への思い

サンドウィッチマンの2人の思いをのせた「トイレトレーラー」は能登半島地震の被災地に到着した。

2人は、7日までにそれぞれ自身のブログを更新。2人のブログによると、トイレトレーラーは6日の夕方に石川県輪島市の避難所にもなっている鳳至小学校に到着したという。

また、伊達さんは自身のブログの中で「トラブル無く活用してもらえたらうれしいです」メッセージを投稿した上で、東日本大震災での事例を踏まえ「まだ、大きな揺れもあります。今は何とか耐えている家屋も、度重なる余震により倒壊する場合もありました」と注意喚起を。

富澤たけしさんは「だから、上手く言えないけど、多分、きっと大丈夫ですから。『クソ!何でだよ!』って言いながらでもいいので、前を向いて負けないでいてもらえたら」「今何かできることを考える人、遠方で何もできない人も多いと思います。ならば募金もいいですし、まず自分やご家族の防災、備えから始めて下さい」などと思いをつづった。

(仙台放送)

 

 

>具体的には「水が出ない」「悪臭がする」「女性は特に大変」という声

>具体的には「水が出ない」「悪臭がする」「女性は特に大変」という声

>具体的には「水が出ない」「悪臭がする」「女性は特に大変」という声

記事の中の動画を見ると、まぁ「 トイレ問題 」は相変わらず被災地では切実だなぁと。
しかも、これから寒くなるし、大雪降ってるし。
 

 

 

 

岸田首相は6日、官邸で開かれた能登半島地震非常災害対策本部会議で、「電気・水道などの全面復旧には時間を要する見込みだ」とした上で、「被災地外への避難先への移動を希望する方には、避難先を石川県と連携して用意するよう、きのう、指示した」と述べた。

その上で、「被災地外も含め、ホテル・旅館などの空き室を自治体で借り上げる『みなし避難所』を積極的に活用してほしい」と述べた。

 

 

これ、被災者と旅館で「 WIN = WIN 」なのです。

お客が減り、また地震による損壊もある旅館業と、「 プライバシーが欲しい 」被災者のニーズは合っています。

んで、「 迷惑マスコミ 」は、宿を提供した旅館を特筆大書すれば、これからの広告になります。

 

 

 

 

 令和6年能登半島地震で、震災の被害を受けながらも被災者を鼓舞しようと、懸命な活動を続けている人たちがいる。震度5強を観測した富山・氷見市で、フリーアナウンサーで民宿おかみを務める青木栄美子さんもその1人だ。地震翌日の今月2日から、宿を開放しての食堂と温泉の提供を実施。被災者の心と体を温めている。青木さんに前を向く思いを聞いた。(取材・文=吉原知也)

 

 青木さんは、富山湾の海沿いにあり、祖父の代から50年続いている民宿あおまさを営んでいる。創業者の孫にあたり、2023年4月に夫婦で宿を承継した。元民放アナウンサーでNHKキャスターを務めた経歴も持っている。「氷見の女将アナウンサー」として地元で親しまれている。

 年明け早々の地震発生。青木さんは沿岸から約1キロのアパートに家族といたが、立っていられないほどの揺れに襲われた。なんとか避難バッグを引っ張り出し、車で高台の体育館に向かった。親戚や家族は無事だったという。

 2日朝に宿の様子を見に来ると、バックヤードや倉庫は物が散乱する状態だったが、水が出てトイレが使えることを確認。この日の午後、被災者のための「無料食堂」として臨時開放を行うことを決めた。

「民宿あおまさは地元の方々に支えていただき、祖父から50年続いて続いてきました。少しでも困っている地元の方々の助けになればと思い、無料食堂や温泉の無料提供を行うことにしました」と決断の理由について話す。

 3日は約70人におにぎりとみそ汁を振る舞い、30人分を近くの避難所に届けた。約100人が温泉を利用したという。活動には地元の有志が助けに加わり、4日も実施。5日は休息をとり、6日に再び無料開放を予定している。

 現地では余震が続いており、観光業のダメージも計り知れない。なかなか先が見えない中でも、いまできることに全力で取り組んでいる。青木さんは「仕方のないことですが、このような地震が起きてしまった以上、余震に対する恐怖から、当面は北陸全体から観光客が減ってしまうかもしれません。観光客向けに魚を提供する飲食店や、当店のような民宿など(氷見には民宿がたくさんあります)は、コロナ禍からやっと立ち直ったところに追い討ちをかけられる形になるので、先のことに対する不安は大きいです。でもとにかく、いま私にできることを一生懸命頑張ります」と話している。

 

 

>民宿あおまさ

>民宿あおまさ

>民宿あおまさ

>民宿あおまさ

 

 

 

 

これも「 損して得取れ 」じゃありませんが、日本の美しいおもてなしなのです。

 

 

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