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さて、「 日本赤軍@重信房子 」が刑務所から出所したようです。

 

 

1974年にオランダ・ハーグの仏大使館を占拠した「ハーグ事件」で殺人未遂などの罪に問われ、懲役20年の判決を受けて服役していた重信房子・元日本赤軍最高幹部(76)が28日朝、東京都昭島市の東日本成人矯正医療センターから刑期を終えて出所した。

 

重信元幹部は逮捕後の2001年に日本赤軍の解散を表明しているが、警察当局は現在も支援者らが組織的な活動を続けているとみて警戒する。

 

 

 重信元幹部は高校を卒業後、会社員生活を送りながら大学の夜間部に入学し、学友の復学闘争をきっかけに学生運動に関わった。69年の共産主義者同盟赤軍派の結成に参加後、海外に革命拠点をつくろうと71年に出国し、レバノンで新左翼活動家らと日本赤軍を結成した。

 ハーグ事件では実行役の仲間と共謀し、別のメンバーの釈放を求めて仏大使館で拳銃を発射して警察官に重傷を負わせたとして、75年に国際手配された。00年に潜伏先の大阪府内で逮捕され、10年に最高裁で懲役20年の判決が確定し、服役していた。【斎藤文太郎】

 ◇日本赤軍

 1969年に結成された「共産主義者同盟赤軍派」のメンバーだった重信房子・元最高幹部が海外に革命拠点をつくろうと71年に出国したレバノンで武装組織パレスチナ解放人民戦線(PFLP)に接触し、新左翼活動家らと結成した。イスラエル・テルアビブのロッド国際空港乱射事件(72年)、マレーシアの米大使館などを占拠したクアラルンプール事件(75年)、インド上空で日本航空機をハイジャックしたダッカ事件(77年)など多くのテロ・ゲリラ事件を起こした。重信房子・元最高幹部が、逮捕後の2001年に解散を表明している。

 

 

 

 

もう20年ですか。

「 重信房子逮捕 」が、まだ昨日の事のようです。

 

 

まぁ、現在でも面影あります。

「 左翼活動家 」の当時でもそうだったと思いますが、現在の髪型とファッションだったら、どんな男でも振り向いたでしょうw

 

しかも気配りが出来て、話もうまければ、「 時の人 」だわねぇw

 

 

さて、「 あの当時 」は、「 左巻き旋風 」が世界的に吹き荒れていました。

 

一種の「 熱病 」というか「 流行 」だったようです。

当時の学生は、「 デモに参加する 」か「 麻雀やっている 」か、その位だったようです。

 

令和の御代である2022年から考えると「 バカバカしい 」と思います。

特に今の若いヒトは現実的であり、割と「 自民党支持 」が多いです。

これは昔では考えられない事で、「 若者は反対するモノ 」と、菅直人が言ってますw

 

 

菅直人元首相 「反対はカッコ悪い」という現代若者気質に嘆き


 菅直人元首相が31日、ツイッターを更新。現代の若い世代が、権力を持つ上の世代に反対することを「かっこ悪い」と捉える傾向にあるとして、自身とのジェネレーション・ギャップを嘆いた。

 菅氏は1946年生まれの全共闘世代。団塊世代ともいわれる若者たちは、安保闘争やベトナム戦争などがあった60年代の政治の季節に青春時代を過ごしてきたわけだが、同氏は「今の20代、30代の若者にとって『反対』はカッコ悪いことなんだと聞いてびっくりした」と、意識の差に衝撃を受けたことを明かした。

 さらに、菅氏は「団塊の世代が若者の頃は上の世代に『賛成』という方がかっこ悪かった。『反対』する中で議論が起こるが、賛成や忖度では議論は生まれない。若者を取り巻く環境は厳しくなっており、もっと『反対』といってほしい」と投稿。その行間に、与党を支持する若い世代が増えていると指摘される近年の傾向に対する嘆きもにじませた。

 

 

 

これとか、

 

 

これとか、

 

 

これもねww

ところで、現在は「 1ドル=130円 」の時期があったのねw

 

では、なぜ「 左翼運動 」が大流行したのか。

それは、「 東側勢力の情報戦 」が上手かったということ。

 

敗戦によって、ソ連に抑留されていた日本人兵士を洗脳し、工作員として日本へ返し、「 日本国内の後方攪乱 」を行わせました。

 

アサヒなどのメディアには「 嘘 」を書かせ、「 共産主義は地上の楽園 」とアピールさせました。

 

最大の要因は、「 東側諸国の実情 」を知らなかったこと、これに尽きると思います。

それだけ「 鉄のカーテン 」「 竹のカーテン 」が分厚かったのですが、何せ「 革命@共産主義は最高 」だと思い込み、実際は「 共産主義は幻想 」だと気が付かなかったのですw

 

現在の若者が「 現実的 」なのは、そのまま「 ソ連と中国の現状を知っている 」「 ソ連と中国の蛮行を知っている 」から「 現実的 」なのですw

 

現在は、インターネットが普及して、玉石混交の情報が手に入ります。

日本人の特性として、「 気になると徹底的に調べる 」性質もあります。

 

今更「 暴力@共産革命 」などやる人間はいないし、今でもやっている人間は「 社会から疎外された 」か、「 もう引っ込みがつかないご老体 」か「 脳が根本的におかしい 」か、「 親御さんがアカ 」ぐらいでしょうw

 

しかし、「 重信房子 」の頃は、世界は「 4マス 」しかなかったのです。

つまり、「 テレビ・新聞・ラジオ・雑誌 」だけです。

それらが「 スクラム 」組んで「 ソ連の恥部を隠し、幻想だけ特筆大書 」したら。

 

日本でも当時、「 アサヒと岩波はオピニオンリーダー 」と呼ばれていました。

アサヒの「 天声人語 」は大学受験に出ると言われました。

大学受験で題材にされるということは、問題を作る「 その大学のセンセイはアカ 」ということになりますw

 

当時、ソ連の情報工作は「 飛びぬけて巧かった 」ということです。

ただ、最近のロシアは下手ですw

っていうか、アメリカも含めて「 劇的な情報操作 」は出来なくなってます。

 

一昔前であれば、日本に「 スキーブーム 」がありました。

あれは「 映画 」

 

 

 

 

「 私をスキーに連れてって 」で、ブームを作りました。

昔は現在のように「 末端ユーザーが相互コミュニケーションを取るツール 」が無かったために、大きなうねりになります。

 

令和の御代で、「 私をスキーに連れてって 」を流してもブームにはなりませんw

いわゆる「 4マス 」がスクラム組んで煽っても、今は無理です。

 

SNSって、革命的だと思います。

 

「 ソ連に煽られた日本赤軍 」のトップ、重信房子は、晴れてシャバに出て来たようです。

重度の癌にかかっているので、余生はもう長くないとは思いますが、これも「 時代の流れ 」なのでしょう。

 

「 ソ連や中国の真実 」を知っていたら、どういう生き方をしていたでしょうか。

 

「 もっと平和できらびやかな活躍 」していたかもしれません。

もしくは、「 市井の一市民 」として、平凡な人生だったかもしれません。

 

まぁ、レバノンには行ってなかったでしょう。

これで「 日本赤軍 」の歴史は終了です。

これも、歴史の1ページなのです。