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キューバのカストロ議長が死去、キューバでは9日間喪に服すらしい。
次期アメリカ大統領のトランプ氏は、
トランプ次期米大統領は26日、キューバのフィデル・カストロ氏の死去を受けた声明でフィデル氏を「残忍な独裁者」と呼び、批判した。キューバとの関係改善に尽力してきたオバマ大統領が、声明で弔意を示したのとは対照的だ。昨年、オバマ政権が歴史的な国交回復を実現させた対キューバ政策の先行きは、次期政権下で不透明になりつつある。
トランプ氏はツイッターで「フィデル・カストロが死んだ!」との一文をツイッターに投稿した後、声明を発表。「今日、世界は60年近く自国民を抑圧してきた残忍な独裁者の死去を記録した」とし、「盗み、想像を絶する苦悩、貧困、基本的人権の否定」と、フィデル氏の「業績」を列挙した。
さらに「キューバは全体主義的な島のままだ。しかし、私の望みは、長い恐怖から解かれ、すばらしいキューバ国民が自由に暮らせる未来に向かう転換点に今日がなることだ」とした。
トランプ氏は対キューバ政策の方針について「我々の政権は、キューバ国民がやっと繁栄と自由を迎えることを保証するため、できる限りのことを行う」と付け加えた。
社会主義体制を嫌い、アメリカへ亡命したキューバ人も、カストロ議長の死去を歓迎しているという。
それはそれで当たり前。
ソ連崩壊後のロシアと衛星国然り、「 なんちゃって資本主義 」になった中国然り、人間は快適さと豊かさを求める。
たとえば、「 地面に穴を掘ったトイレ 」より「 洗浄便座付き水洗トイレ 」の方がいいに決まっている。
自転車より、より大きく豪華な自動車の方がいい。
人間は、欲望の動物。
昔の日本もそうで、今でこそ個性化が進んでいるけど、「 大きくて見栄が張れるもの 」が喜ばれたわけだ。
話は葬儀に戻って、
ここのところ、お笑い芸人の“肉親の葬儀でネタを披露”といった話題が続けて報じられた。スピードワゴン・井戸田潤が父親の葬儀で、相方の小沢一敬と漫才を披露。井戸田は「喜んでくれていたらうれしい」とコメント。爆笑問題・太田光の母親の葬儀でも、喪主の太田があいさつで「どーも、ドナルド・トランプです」とまさかのギャグ。両ケースともさすがに笑いは起きなかったというが、「芸人としての生きざまを見せた」など、その姿勢は好意的に受け止められているようだ。果たして、葬儀で見せる芸人の“本懐とは?
◆赤塚不二夫さん葬儀でのタモリの7分56秒の弔辞は伝説に
スピードワゴンの“惜別漫才”後に放送された『ワイドナショー』(フジテレビ系)では、ダウンタウン・松本人志が「ウチは……浜田(雅功)さんが(松本の父の葬儀後)だいぶ経ってから実家にひとりで来たらしいんだけど。おかんの話では浜田、めっちゃ泣いてたらしく。そんな親しくもないはずだけど……誰かと間違えてるんとちゃうかな」と語っていた。強面で知られる浜田の意外な一面と、どこか深いコンビ愛も感じられるエピソードとして話題になったが、“芸人と葬儀”として多くの人の脳裏に焼きついているのは、赤塚不二夫さんの葬儀で弔辞を述べた、タモリを思い浮かべるのではないだろうか。
超人気マンガ家の赤塚さんがまだ素人だったタモリの芸に心酔、赤塚宅へ居候させながら月に20~30万円の小遣いまであげていたが、タモリは礼も言わないなど、シュールな師弟関係があったことはつとに有名。
そのタモリが赤塚さんの葬儀では、「私もあなたの数多くの作品のひとつです」と締めくくる感動の弔辞を残すのだが、手にしていた紙は白紙ではないかと話題になり、事実、前日に酒を飲んでいたタモリは「面倒くさくなって」「赤塚さんならギャグでいこう」と“勧進帳”(歌舞伎の演目で、弁慶が関所で白紙の巻物を読んでその場をやり過ごす話)だったことが発覚。タモリはあの7分56秒の名弔辞をアドリブで語っていたという衝撃の事実が明らかになったのである。
「関西で言えば、師匠であり『漫画トリオ』の同僚メンバーでもあった横山ノックさんへ贈った、上岡龍太郎さんの“献杯の挨拶”が伝説となっていますね。上岡さんは“ノックさん、あなたは僕の太陽でした”と謝意を述べながらも、“漫才師から参議院議員、大阪府知事から最後は被告人にまでなったノックさん”と笑いをとりました。そして“芸人を送るのに涙は似つかわしくありません”と締めたんです。一方、ビートたけしさんのお母さんのときは、意外にも誰もが知るあの“たけしらしさ”がなく、インタビューで号泣して視聴者を驚かせました」(エンタメ誌編集者)
◆たとえ葬儀の場でも“舞台”のひとつ 芸で見送ることこそが本懐
われわれ一般人にとっても、葬儀での態度や対応は難しい。ましてや芸能人や業界関係者、場合によってはファンたちも参列する芸人にとってはさまざまな想いが去来することだろう。芸人だからといってなにかをしなければいけないわけではないのだが、一般人のようにいることがいいのか、自分のやるべきことがあるのではないか、芸で身を立てるプロだからこその“義務感”みたいなものを背負っているのではないだろうか。
「不謹慎なようですが、とくに芸人にとっては、たとえ葬儀の場でもやはりステージであり、舞台のひとつなんですよね。事実、マスコミや視聴者もそう見てしまう。葬儀の場における芸人としての立ち居振る舞いは、はっきり言えば“芸風”そのもの。芸人たちも自分たちを見せる場として認識しているのではないでしょうか。ただ、それは参列者や世間へだけではなく、故人に対してという意識があることでしょう。自分の仕事であり誇りである芸で見送ることは、親しい間柄であればあるほど故人にも喜ばれているのではないでしょうか。芸人にとっての本懐ともいえると思います」(前出・編集者)
今回、2組の芸人が肉親の葬儀で見せた芸が話題になったわけだが、芸人だけでなく芸能関係者の葬儀の場も常にマスコミに囲まれる。そこでの芸人のパフォーマンスが注目されることは避けられないし、芸人の宿命といえる。そこで彼らが故人をどう見送るか、なにを残せるかは、故人を想いその瞬間に全てをかけた芸人たちの生き様を映し出すことになるだろう。
記事にある「 タモリの弔辞 」。
こういう演出もありだねぇ。
故人が一番喜ぶであろう「 やり方 」であれば、型にはまった葬儀でなくてもいいはず。
赤塚不二夫の場合、やはり
これでいいんじゃないでしょうか。
「 たけし 」氏の様に号泣するのもOKだし。
芸人だからって、弔問客を笑わせる必要などない。
涙と言えば、「 石原慎太郎の男泣き 」が印象に残っている。
他人のために涙を流せるのは素敵だと思う。
対して、「 涙の海江田牧場 」は、彼らに「 行かないと処分するニダ!! 」って言ったんですぜw
卑しい。
「 YAHOOのコメント 」で、
> 故人との関係性で変わってくると思います。
ふざけた事が嫌いな人は弔辞で笑いをとられたら嫌だろうし、
辛気臭いのが嫌いな故人だったら一緒に笑ってるかもしれない。
少なくとも弔辞を頼まれるような方はそうとう近しい仲の人だと思うので、きっとどれも間違いではないのかなって。
故人のキャラクターや、喪主の立場で変わってくるでしょう。
でも、今までの「 葬儀 」でなくてもいいと思う。
> どれも間違いじゃないと思う
「 空気を外す 」と、全部間違いですなw
> 芸人じゃないけど、清志郎さんの葬儀を思い出しました。
自己満足と感じる人もいるかもしれないが、
残された人が故人が喜ぶのではと感じる方法を考え、見送るのは、良い事ではないかと思います。
葬儀は、逝った故人と、残された遺族の癒しなのです。
> 故人との信頼関係があって、芸で身を立てて名を揚げている人であればこそ成り立つこと。
間違って素人がやると、目も当てられない。
最近、あらゆる面で安易に芸能人の真似をする素人が多いので。
「 赤塚不二男とタモリ 」だったらOKですが、他のヒトであればNGでしょう。
> 故人への想いがあれば、その表現はそれぞれなんじゃないかな。
死者を冒涜することなく、その場に合った演出であれば、それは立派な葬儀ではないかと。
坊さんが読経するだけが葬儀ではありません。