おはよう、こんにちは、又はこんばんは。
エンターテイナーのMondeoです。
今回は石川県能登半島での災害ボランティアに参加させてもらったときのことをお話します。
災害ボランティアへの参加
2024年1月1日に発生した能登半島地震。
全国民が周知の災害だとは思いますが、メディアの情報だけでは分からない現地の状況を自分の目で見たいと思いました。
今回のツアーで石川県の行程が組めた時から、時間を設けて災害ボランティアに参加してみようと画策していました。
しかし自分なりに色々調べてみると、保険に加入しなければいけなかったり、様々な手続きをやらなければいけなかったり、何かと面倒なことが分かりました。
そこで、富山の「銀の車輪」の店主・高田さんが以前Facebookでボランティアに参加した旨の投稿をしていたのを思い出し「知り合いでボランティアを探しているところはないか」と相談をしました。
すると「こういうボランティアがあるみたいだけどどう?」と高田さんの知り合いの方と繋げて頂き、金沢のライブの翌日と翌々日にボランティアをさせてもらえることになりました。
急遽の相談に乗ってくれた高田さんには本当に感謝です。ありがとうございます。
9月2日
僕がこの日訪れたのは石川県志賀町地頭町地区というところにある集会所。
この日のボランティアの内容は“住民の方に記入してもらったアンケートを地区ごとに分けて集計しパソコンで打ち込んでいく”というもの。
瓦礫の撤去とかそういったガテン系のボランティアを想像していたので、まさかの事務作業に一瞬戸惑いましたが言われるがままに作業開始。
僕は機械音痴でパソコンも不慣れでしたが、周りの皆さんに助言を頂きながらタイピングに没頭しました。
この日、僕の他にもう1人「ジュン」さんという方がボランティアに参加していました。
お話を聞くと山口県在住で、夏休みを利用して息子さんと鈍行列車に乗りながら各地を旅している最中とのこと。
【TEAM JAPAN】のメンバーに古くからの友人がいたそうで、今回その方の紹介で参加されたそうです。
曰く彼もミュージシャンだそうで、つい先日まで長野県で開催されていたフェスに参加していたんだとか。
たまたま同じように旅の最中で、しかも同じミュージシャン。面白いご縁だなと思いました。
その後も黙々も作業を続け
9月3日
この日は前日に引き続きアンケート集計のボランティア。
でも前日に終わりが見えていたので、みんなで手分けして午前中に終わりました。
午後からは被災した近くの地元スーパーの家財の搬出のお手伝い。ここに来て力仕事です。
1階がスーパー、2階が自宅のような造りで、2階から家財を運んで災害ゴミを運搬するトラックに積み込みます。
そこのお宅のお母さんが仕分けをしていたのですが「本当にありがとうございます」と何度も何度もお礼を言っていて、もう震災から何ヵ月も経っているのにそんなに頭を下げなくたって、と最初は思いました。
でも、震災がきっかけだったかもしれないけど、色んな人に助けてもらうなんていう経験は、そういうことでもなければ経験できることじゃない。
それはアンケート集計でお世話になった志賀町の区長さんも言っていて「被災したのは辛いけど、色んな人と出会えて良い経験になっている」と何ならちょっと笑顔すら浮かべていました。
この日の搬出を終え、お宅のお母さんに挨拶をして僕たちはベースキャンプへ戻りました。
そして夜。
石川県の津幡町という場所にある施設で、【TEAM JAPAN】の代表やわらさんが講演会を開くというので、僕らもみんなでお話を聞きに行きました。
能登半島の現状を日本全国各地を巡って講演をする「ファーストペンギンツアー」というのを催されているとのことで、今回は自分たちが石川県でどういう活動をしているかを本拠地である石川県での講演会でした。
こちらとしても願ってもないお誘い。
僕とジュンさんは快諾し、それぞれギターを担いで馳せ参じました。
ジュンさんが開演前に1曲、オープニングのような形で歌を披露。
それは昨夜聴いた「命のうた」でした。
災害、人災、戦争。様々な要因で命が失われる世界。
だからこそ、最も根本的で不変の愛をテーマに、ジュンさんは生音でギターを弾き歌ったのだと思います。
会場の人も初っ端から心を掴まれていました。
そしてやわらさんの講演が始まります。
約2時間に及んだ講演会。
でも中弛みなど一切なく、被災地の状況を切に伝え、自分たちがどういった活動を通してどうやって社会と関わってきたのか、そして私たちはこれからどうしていくべきか、というメッセージを力強く発信していました。
“講演会”というと堅苦しいイメージですが、僕は約2時間夢中になって聞き入ることができたし、そしてあまりにも悲惨な能登の現状に心が痛んだ。
そして最後に、僕が唄わせてもらったのでした。
20年前、当時中学生だった僕は中越地震を経験した。
それまで生きてきて初めて経験した大災害だったので、余震に怯えながら心が疲弊していく毎日を過ごしていました。
そんな僕の地元にも、日本中から救援物資が届いた。
誰かが誰かのためを思って手を差し伸べてくれるその心に大変感動したのを今でも覚えています。
そんな経験があったから「いつかどこかで災害が起きたら義援金を送ったりボランティアに参加したりしたい」と思っていました。
そして今回ようやく、ボランティアに初めて参加させてもらうことが出来た。
ようやく恩返しが出来たような感じがした。
ほんのちょっとでも、地元の人の助けになれただろうか。
20年募ったその想いをお話しながら、思いがけず嗚咽が漏れてしまった。どうにか堪えて、この2日間で感じた社会との繋がりを「用途」という曲に込めて唄った。泣いてくれた人がいた。
2日間【TEAM JAPAN】の皆さんには本当にお世話になりました。
そしてこのボランティアを通して出会えた皆さんとも、互いの思いや考えを共有し合い、良い時間を共に過ごせてとても勉強になりました。
何より高田さんが繋げてくれなければ、この濃密な2日間も生まれませんでした。
本当にありがとうございました。
皆さんと固く握手を交わし、抱きしめ合い、また会いましょうと誓った。
「出会いと経験は財産だ」と、この2日間を通して改めて思いました。
皆さんに別れを告げ、僕は島根県出雲市を目指し移動しました。
とても内容が濃くなってしまったけど、読んでくれた皆さんありがとうございました。
次回からはまたツアーレポートに戻ります。
また次の記事でお会いしましょう。