心配ってのは
しだしたら
きりがないねん。

でも、
心配性やねん。

どうしているかなぁ、
なにか悪いことがおこってるんちゃうかぁ、

そんなこと考えていると
つい、新聞やニュースが気になったりすんねん

ほんで、おもう。

・・・あほか

なんで
新聞にでることまで
心配すんねん
って・・・


それでも
心配はとまらん
身体、壊してんのとちゃうかなぁ
心、壊してんのとちゃうかなぁ

なんか俺
悪いことしたかなぁ


だったら
あやまんなくちゃなぁ・・・


それはそれは
苦しいで。

いきなり
つながんなくなるのは。
言うまでもなく、
このブログは
黒いブログだ。

黒いブログの定義は、

1) 誰のためでもなく
    ひたすら自分のためだけに書く

2) 日々の自分の感じる
     マイナスな感情も、
     プラスの感情も、
     そのピークを記す

3) その意味で、
     このブログの存在理由は
     いつの日か、
     自分の手により
     その一切合切が、
     削除される運命にある

それであったとしたら
わざわざ、ブログなんて媒体を使わずに、
紙の日記にかきゃあいいだろう、
そういう考えもありなこともよくわかっている。


ある種の人にとっては、
タイプをしながら書いた方が良い場合がある
それだけなんかないかなぁ。


僕にとっては、
タイプをすることが、
考えることの一部になった。
それは、10年前に留学をしてからだ。

それは、
ひたすら、タイプする日々だった。

時には、8時間かかって、
一行も書けなかったこともある。
それは、書けなかったのではなく、
2-3行書いては、Deleteボタンを押す、
また、2-3行書いては、Deleteボタンを押す、
それを繰り返す。


コンピュータールームで、
徹夜をした朝、
アメリカ人クラスメートのすさまじいタイプの音で
仮眠から目を覚ましたこともある。
寝ぼけて
激しい雨が、屋根を打ち付けているのかと思ったほどだ。



まったくの偏狭な
個人的主観を述べると、
そのようにキーボードに雨を降らせるような人には、
アメリカ人が多い。


卵が先か、鶏が先かではないが、
その意味で
僕はアメリカ人が苦手だ。


タイプはどちらかというと、
すたすたと、
パタパタ打ちたい。


バタバタでもなく、
バジャバジャでもなく。


それはまるで
スリッパを履いた
旅館の仲居さんが、
遠くの廊下を、
歩くときの音に似ている。


気配は殺されているものの、
そこには、
確固たる
信念がある。


風呂に入って、
部屋に帰ってきたときに見る、
あの
微妙な布団の距離感だ。



なんのことやら。


いずれにしても
あれから10年経って
ようやく
僕もタイプ指に
スリッパを履いていることを感じる。


次は、
足袋だけで、歩けるようになろう。




長い一日だったと思う。
今日は、ちょっと疲れた。


人の気持ちに
自分が翻弄をされているんだな。


心にもスリッパを。
そして、
心に足袋を。


ねよ。
会社勤めを
エイやっと辞めて
3年半。

2期目の決算が出る。

税理士なんてつかってられねー
司法書士なんかいらねー
弁理士? 
そんなものこそいらねー

そんな具合に、
一切合切を、
家内制手工業よろしく
やってきた。


 「やってみると意外と出来ちゃうのよねー」と妻が言う。
 「日本ってさ、あれだよね、既得権者がものすごーく守られているってかんじだよね」と僕が言うと、
 「そうそう、ほんと。だからお役所なんかも、それにあぐらかいてんのよね」
 そうつぶやく妻は、今まで上記した、ほとんど全ての仕事を、ひたすら役所通い、ときには電話をかけまくって、なんとか切り抜けてきた。
 「この間、裁判所に行ったときに、雛形くださいって言ったら、20年前ぐらいの書類が出てきてびっくりしたから、おもわず、もっと新しいのはないんですかって聞いちゃったわよ。そしたら、この人何いってんの?って顔でみられちゃって」

確かに、業務に士業を使うということのメリットはあるはずだ。

しかし、うちのように、まだまだ駆け出しの会社なんていうのには、
そんな士業の皆さんのお世話になるほどのことは何もない。


つまり、
ひたすら、
自分の頭に汗をかき、
売上を立てるように努力するだけだ。


ついこの間、
商標登録をしようとなったときも、
弁理士が、すごいサービスフィーで、
その作業を請け負っていることを見た。

ネットと特許庁への電話で、
簡単にできちゃうことなのにね。


もちろん、ちょっとした勇気も必要だ。


書類を送るための郵便局で、
印紙の貼り方がわかんないので、
たまたま横に立っていた、
ロレックスをはめたおじさんに声をかけた。

なんでって、司法関係っぽい書類を持っていたから。


司法関係の書類は、
一行に何文字とかって決まっていて、
ワードで打ち込まれた書類のフォントの並びが
不通の書類と比べると、隙間が多い。


そんな書類と、茶封筒を持ち、
腕にはロレックス。


Bingo!

案の定、司法書士だった。


Yapee!!!


 「お忙しいところ、恐れ入りますが、
 すこしだけ、教えていただいても良いでしょうか・・・」
 (そんな時だけ、とっても丁寧になる)
 「え、え、なんですか?」
 (やべー、なんか怪しまれてる)
 「すみません! ちょっと印紙を貼る位置が、ここで良いものかと思いまして、
 もし、ご存じでいらっしゃれば、教えていただければと思いまして」
 (できるだけ、Yes/No クエスチョンが効果的チャウか、こんな場合???)
 「あぁー」(安堵の様子)、「それでいいですよ」
 「ありがとうございます!!!」 
 (もちろん、腰を90度に折り曲げ、感謝感激を伝える)
 

日本って国は、基本的に「善」をもって、って国だけど、
いかんせん、みんなシャイなんだな。
そういう自分も日本人。


でも、そういう時は、
海外旅行で日本にやってきた、
外人になる。

もちろん、
「スミマセ~ン、コレ、ワカリマセ~ン」などと
変なアクセントは使わない。
大事なのは、
「笑顔」、「笑声」、「スピード感」




アウトソースは否定してません。


いつか、税理士先生と、
財務マネジメントなどという
高尚なお話ができたら、
幸せだなあー、
そう、日々夢見ながら仕事をしておりますです。


メールを送ると、
すぐ返信が欲しいという、
返信依存症がある。

それと同時に、
「すぐに返信をしなくちゃ」
という、
返信強迫症
なるものもあるらしい。


メールソフトには、
「開封確認メールの自動返信」なる
非常に「高度」な機能があるが、
僕は、
この機能をフル活用して
メールを送られてしまうと、
そのメールを開けるたびに
どこか小さな部屋の角に追い込まれた、
野良犬のような気持ちになってしまう。


最近
立て続けにそのようなことがあり、
強制メール送信のお伺いが
スクリーンに出る度に、
「キャンセル」ボタンを
無条件脊髄反射で押しては、
胸がチクチクと痛んだ。


なんて、小心者やねん。


ここで、
声を大にして言うと、


「僕は、
強制返信メールを設定している
ほとんど全ての人が
苦手である。

いや、
嫌いかも・・・」



・・・言ってしもた。。。






すべての物事を止めて
「海辺のカフカ」に没頭する。

これは確かに物語なのだけれど、
そこに横たわるメッセージを
僕は
まるで台所のひからびたスポンジのように吸収する。

メッセージはないかもしれない
僕がメッセージと感じているだけのことかもしれない。
それであれば
それでいい。

やれやれ、
これじゃ、まるで多感な十代の少年だよ、
そう僕は思う。

こうして書いている言葉一つ一つも
融和という作用によって、
カフカ色に染まっていることにも気づく。

僕はそれを
どこか気恥ずかしい思いで
眺めている。

どんなに強い融和作用が
僕に働いたとしても、
それは、
幻想でしかないことを
知っているから。


すべての物事は、
必然的に目の前に現れて、
僕らは、何も知らずに、
ただそれに向かう。


僕らにできることは、
そのしかるべき時が
やってくるまで、
じっと耳を澄ますことだけだ。


物語であるには違いない。
しかしそれは、
村上春樹という、
実際的な一個人を通して
語られた
とても実際的な言葉だ。



でも、ひょっとすると
それは村上の言葉ではないかもしれない、
そんな考えも
ふと頭をよぎる。


いいじゃないか、
僕らは生きて死ぬ。
僕という個体を通して
語られる何かだって、
それが
はたして僕自身の内側から
確かに生まれたものだなんてことが、
今の僕に言えるだろうか。