CMCの初代ピーメ。
登場したのは1960年頃で、アメリカ製のキャップガンを参考にして設計されたようです。
同時代には、MGCのコルトスペシャル、コマンダー、ワルサーVPなどがあり、左右分割のモナカ構造が主流でした。

今のピーメ型モデルガンのスタイルに慣れた目で見ても違和感のない抜群のプロポーション。
当時のファストドロウシューターが全員これを腰に挿していたと言われるのも納得します。


ご覧のとおり、シリンダーに固定用のストップノッチがありません。
手で回せば、くるくると抵抗なく回ります。
シリンダーハンドが逆回転を辛うじて防いでいる状態です。
ネット画像で見る他の個体には立派なストップノッチが彫られているものもありますので、製造時期による違いがあるのかもしれません。

カートリッジはローディングゲートを開いて装填します。
ハンマーにハーフコック用のシアノッチは刻まれてなく、ハンマーダウンの状態でシリンダーを手で回しながら装填します。

No.B3472と読めます。
CMCの刻印がありますので、江原商店から社名変更した後の製品ですね。

このグリップがイイんですよねえ。
メダリオン、どこかで見たことがあるような。

左右分割のモナカ構造。フレーム接合部に隙間が出来ています。


古いモデルガンを分解するのはリスクがありますし、特にこの初代機は恐ろしく小さなネジでとめられているので分解を躊躇していますと、僕の師匠yonyonさんのホームページに分解状態の写真がありましたので拝借しました。
シリンダーはがらんどう。エジェクターチューブまで分割されていることが分かります。


CMCの初代ピーメがウェスタンファンを席巻していた1965年に『荒野の用心棒』が日本で封切られ、淀川長治氏がイタリア製ウェスタンにマカロニウェスタンと名付けた頃、セミオートとダブルアクションリボルバーしか作っていなかったMGCがモデルガンの本家として重い腰をゆっくりと上げました。
1967年に満を持して登場したMGCピーメ(写真上)はCMCを大きく凌駕しており、CMCにピーメをリメイクすることを決意させました。


上が2代目ピーメ通称68型。
初代譲りの貫通シリンダー、MGCを凌ぐため実物構造をかなりトレースしています。
前回も書きましたが、ほんの短期間でこれだけのメカニズムを作り上げた製作陣の技術力の高さは素晴らしいものだと思います。


MGCに対抗してCMCがリメイクしたことで、日本では2つのピーメ型モデルガンが双璧をなし、ウェスタンファンの中にもMGC派とCMC派が生まれ、ファストドロウシューターも愛用するガンにそれぞれの拘りがあったそうですね。
CMC68型のように2~3年の間に数万挺も売れる程ウェスタン人気が高かったので、そのブームに乗り遅れまいと、軍用銃を主にモデルガン化していた中田商店が自社のモデルガン部門であるTRCの最後を飾る製品としてピーメ型モデルガンを出したのが1970年でした。

TRCピーメのスタイルとメカニズムは、ほぼCMC68型と同じです。


前回のCMC68型の分解写真と見比べると、そっくり同じだと分かると思います。
バックストラップの補強部分まで同じです。
しかし、わずかにサイズや形状が異なっていて、互換性のある部品は多くはありません。

MODEL OF 1970
大阪万博の年ですね。
このTRCピーメも万博の出店ブースで販売されたものらしいです。


TRCの特徴のひとつ。
不必要に大きなトリガー。
比較のために右に置いてるのはCMC3型のトリガーですが、TRCのトリガーの大きさが分かって戴けると思います。
鉄板打ち抜きのスチール製ですから頑丈さではお手本のCMCを凌いでいますが、亜鉛合金のハンマーとの組み合わせだと、ハンマーのシアノッチを磨耗させてしまうことが多かったようです。


手元にあるTRCピーメもハンマーのシアノッチが欠けてしまい、CMC3型のスチールハンマーを加工して取り付けています。
右に置いてるのがTRCのオリジナルハンマーです。
形状がずいぶん違いますが、少しの加工で装着可能になります。


大きすぎるトリガーは可動域も大きく、それを解消するためにトリガーガードが抉られています。


TRCピーメには、規制を挟んで前期と後期があります。
後期型は1次規制により銃口が閉塞されて表面が金色になったほか、シリンダーの隔壁スリットがなくなり、フルートが深くなりました。

MODEL OFの次にあった数字が消えています。
誤解を避けるために規制前の年号を消したのでしょう。

後期型はなぜかトリガーガードの形状がおかしいものが多く、ひどいのになるとバックストラップごと捻れているものもあります。
そして、ご覧のようにフレームと合ってなくて隙間が生じているのです。

シリアルナンバーの比較です。
手前(下)にあるのが前期型でナンバーはA1717。奥にある後期型のナンバーはD1042。


法の定めに従い銃口は完全閉塞状態です。


これは、CMC初代機が幅を効かせている時代に生まれたアサヒイーグルの初代ピーメとのツーショットです。
アサヒイーグルというと、古いガンマニアが唸り声をあげるくらいマニアックなモデルガンです。
今の若い方は知らないでしょうし、ベテランマニアでもその存在を知ったのはインターネットが普及して以降でしょうね。
20年前だとアサヒというとアサヒファイアアームズを連想していたのではないでしょうか。


アサヒ初代機はモデルガンと言うより低年齢層を対象とした玩具銃で、スプリングが内蔵されたカートリッジからプラスチック製弾丸を撃ち出す全体的にオモチャっぽいデザインですが、要所はおさえていて、ローディングゲートが再現されています。
これは僕が保育園児の頃に叔母に買ってもらったものと同じで、懐かしさのあまり、ネットオークションで無理して落札しました。

上はアサヒイーグル2代目ピーメ。
アサヒイーグルピーメ2型は、1970年に六研監修のもとで生まれたモデルガンです。
CMC初代ピーメを六研が設計したのであれば、アサヒイーグルピーメ2型は、①CMC初代機、②CMC68、③六研FDSに次ぐ4機種目の製品ということになります。
実際のところアサヒイーグルの完成度はかなり高く、僕は規制前ピーメ型モデルガンの最高峰だと思っています。


アサヒイーグル2型のボディには
MODEL OF 1973の刻印があります。



初代機を見ると、同じく
MODEL OF 1873の文字があります。



銃身側面にはCOLT SINGLE ACTION ARMY 45とあります。

初代機にも同じ刻印があります。

形は架空銃で、リアリズムには欠けますが、その形状がいかにも60年代のトイガンを象徴しているアサヒイーグル初代機。60歳以上のオヤジーズには何とも言えない懐かしさを感じさせるのではないでしょうか。


CMC初代機は68型と代替わりして姿を消し、その68型も1次規制のあと、業界の自主規制sm基準を経て継続販売されていましたが、2次規制を機に3代目ピーメの登場で姿を消しました。
CMC68型をコピーしたTRCと、新機軸のアサヒイーグルは1次規制を乗り越えたものの、smを前に製造が中止され、TRCは国際、アサヒイーグルはマルシンがそれぞれ金型を引き継ぎました。
MGCはウェスタンブームに便乗してピーメの銃身長違いで4機種、ネイビー、デリンジャー、それに長物まで出しましたが、それらをリメイクすることもなく、規制後はウェスタン風のモデルガンで新製品を出すことはありませんでした。

80年代に入り、CMCが活動を中止すると、タナカとハートフォードが3代目ピーメと兄弟機である樹脂製ピーメの金型を引き継ぎ、それぞれが洗練したピーメの製造を続けていましたが、タナカの方は金属製ピーメの生産は終了しているようです。
その後は新興メーカーがよりリアルな樹脂製のピーメ型モデルガンを出しはじめたことでピーメのモデルガンも大きく世代交代し、古くさいデザインを持つピーメは忘れ去られてしまいます。