MGC最後の金属製ブローバックハンドガン、ワルサーP38。別名MJQ。
このモデルガンが生まれたのは1974年。和暦で言うと昭和49年です。
どういう時代だったかと言うと、ウォーターゲート事件でアメリカのニクソン大統領が辞任し、クイーンが『キラー・クイーン』を大ヒットさせ、映画では『エクソシスト』が上映されていました。
映画と言えば、この年のお正月に『燃えよドラゴン』が封切られ、日本に空前のドラゴンブームが巻き起こった年ですね。
それから、忘れちゃいけないのが『ダーティハリー2』の公開ですね。

モデルガンは規制から3年経っていて、白または黄色という決まりの黄色は金色で良いので容易に剥げる塗装ではなくメッキにしなさいというお達しに従い、メーカー各社が金色メッキのモデルガンを販売していました。
銃口も一部に小さなガス抜けスリットを開けた、いわゆる豚鼻やコロナバレルも禁止され、完全閉塞状態になっていました。
ただ、まだこの頃は銃口の塞ぎ方はメーカーの自由裁量で良くて、法定事項の『金属で完全に閉塞』さえしていれば違反ではありませんでしたので、銃身が亜鉛の棒状態だったり、改造防止の鋼材を銃身内部に鋳込むという手間のかかることまでしていないメーカーも少なくありませんでした。
安全性を志向していたMGCは銃身内部にドリルの刃が立たないよう先端に丸みを帯びた太い鋼材を鋳込み、銃口もへこみが一切なく、ほぼ平らになるくらい埋めていました。

MGCのお家芸であったブローバックシステムは他社で模倣品が出回るようになっており、銃口を塞がれたモデルガンの新たな楽しみ方がブローバックアクションに傾斜しかけていた時代ですね。
規制でハンドガンタイプのモデルガンに見切りをつけていたMGCは、法に触れないプラスチック製モデルガンの開発を進めており、ハイパト41、SIGP210に続き、ダーティハリーで注目されたマグナム44の発売を始めたのも1974年でした。

ブローバックハンドガンでは斬新な構造を持つGM-2が生まれ、御法度とされたセンター打ちでプラスチック製のカートリッジを飛ばす驚きのモデルガンでしたが、業界の自主規制にあわせてサイド発火とアルミカートリッジの組み合わせに変更され、その後はキャップ火薬対応型となり、息の長い商品となりました。
プラスチック製のセミオートタイプモデルガンは、その後オートマグ、P08、32オートと新機種が次々と登場しますが、金属製モデルガンはMGCが封印でもしたかのように新製品が出ることが殆んどありませんでした。


安全路線をひた走るMGCでしたが、この1974年に、どういうわけかカスタムガンで名を馳せた六研と協力関係を築いています。
六研といえば、中田一派の最右翼に位置し、中田商店のモデルガンを支えていた屋台骨です。
規制を受けて中田商店がモデルガンの製造から手を引いてしまいましたので六研も後ろ楯を失くして、家元のMGCに縋るよりなかったんでしょうか。
それとも良家のMGCが、きかん坊の六研を手なずけて安全路線を共に歩もうとしたのか。
75年号のMGC機関誌『ビジェール』には、六研製の長物3種が掲載されていましたし、MGC直営店で六研製(販売元はウェスタンアームス)のウィンチェスター92とブラックホークが販売されたこともありました。


MGCと六研が初のコラボを組んで作り上げたのが、P38ブローバックでした。

機種選定でなぜP38が選ばれたのか?
ルパン三世の人気にあやかってですって?
それはないです。
ルパン三世は71年の初放送の時は斬新過ぎて全く視聴率が上がらず、打ち切りになっており、このテレビマンガが注目を浴びるのは1977年の夕方に再放送されてからですもんね。
1974年では、日本国民の大多数がルパン三世を知らなかったと言っても過言ではなさそうです。

おそらく44コンバットオートに次ぐブローバック専用モデルガンとして耐性があり、人気のある銃が模索されたのだと思います。


MGCは専門誌に広告を載せていませんでしたから、当時のユーザーでこのP38ブローバックのことを知ってる人は少なかったと思います。
MGCらしいデフォルメが強く、賛否を分けるモデルガンですが、同時代に発売されていたCMCP38よりも作動性は高く、それを評価されることが多いようです。
20年ほど前は、六人部氏を崇める六研信者に人気があって、ネットオークションで恐ろしく高い値を付けることもありましたが、今これを欲しがる人は少ないのではないかと思います。


MJQの大きな特徴の一つ。
バレル固定スクリューが付いています。
一応テイクダウンレバーもありますが、このネジを抜かなければ通常分解も出来ません。

このネジは分解するときに面倒に感じますが、このネジがなければブローバック作動でスライドの衝撃を受けるバレルの負荷がそのままテイクダウンレバーにかかりますので、レバーの軸が徐々に歪んで、いずれポッキリと折れてしまいます。
テイクダウンレバーの軸を鉄で作っていれば、このネジは不要だと思いますけど、鉄だとかなりのコストがかかるんでしょうね。

毎度のピンぼけで失礼します。
バレル固定スクリューを抜けば、テイクダウンレバーを操作してスライドとバレルをスルリと外すことが出来ます。

バレル下部のショートリコイル用ロッキングラグが省略され、大きくデフォルメされた姿は潔いと感じられるほどです。

信じがたいことですが、リコイルスプリングは片側にしか入っていません。

MJQの人気ポイント。スライド後端に見えてるファイアリングピンのお尻。
同時代のP38だと、中田とマルシンはファイアリングブロック、CMCはファイアリングプレートでした。
リアルに見えるファイアリングピンですが、スライドブリーチ内では中心部を避けて上側に位置しており、そのためにシグナルピンが省略されています。

砲底面から覗くファイアリングピンの状況。

ファイアリングピンは、モデルガンファンには堪らないリアリズムを纏っています。

こういう感じで、シグナルピンが収まってるはずの場所にファイアリングピンが設置されています。




月刊ガン1978年3月号。第一特集は永田市郎記者の『ワルサーP38』。



この躍動感たっぷりのカラー写真を見てP38のブローバックモデルガンを渇望した人も多かったのではないでしょうか。
この記事はモデルガンの2次規制が発効した後ですので、欲しくても店にはP38ブローバックは売られていませんでした。
P38のプラスチック製モデルガンが出るのは1980年のマルシン製が最初なので、この78年3月号が出たときはまだ存在していなかったんですよね。

このミリタリー刻印がイイのです。

MJQはMutobe Jinbo Questionsというのが定説ですね。
モデルガンのパッケージにも大きく印刷されていましたが、あまり気にしたことはなかったです。
第2弾のミリタリー&ポリスが出てたら、やっぱりMJQブランドだったのかなあ。