GM-3というのは、MGCの社内コードだそうで、GMはGovernmentの略称。
コルトガバメント型モデルガンの3番目の製品という意味らしいですね。
MGCガバメントをGM-いくつなんて呼び始めたのは、ショートリコイル機能を持つ樹脂製のいわゆるフルサイズガバメントが登場して間もない頃ではなかったでしょうか。
それまでは、①ガバメント、②プラガバメント、③ニューガバメントと呼んでいたと思います。
新型のプラガバメントが出たことで先行品と区別するために呼び名を付けたんだと思いますが、新型の方は製作順で行けばニューガバメントに続いて4番目のはずなのにGM-5と呼ばれています。
ではGM-4は何かというと、GM-2のゴールドカップナショナルマッチ風カスタムのことです。
製品を製作年で追うと、初代機の登場が1966年。
1971年に規制発効。
2代目のプラガバメントが1974年。
3代目のニューガバメントが1976年。
1977年に2回目の規制発効。
この規制直後にMGCとWAが連携してプラガバメントベースのカスタムが作られるようになり、コンバットシューティングブームを巻き起こしたんでしたね。
そこで生まれたカスタムガバメントを標準商品としたのがGM-4で、これが1979年。
この翌年は、MGC創立20周年にあたり、MGCはその記念にニューモデルとして5機種の新製品を発表しました。
そのうちのひとつが後にGM-5の呼称を持つフルサイズガバメントでした。

やがてGM-いくつという呼び方がユーザーにも浸透していきますが、GM-5よりも後の製品を見ても、エアソフトガンが入り込んでいますので、僕にはこれはGM-6だ7だという区別は出来ないんですよねえ。
せいぜい、45ACPフルサイズカートリッジのミリタリータイプがGM-12だと知ってるくらいです。
実際のところ、MGCのガバメントをGM-いくつと呼んでるのはGM-5までじゃないんでしょうか。


ニューガバメント(GM-3)は1976年に発売され、1年後の1977年には規制により国内販売が禁じられました。
規制後は輸出用として細々と製造が続けられていたみたいで、主要パーツ以外は80年代半ば頃まで直営店で買うことが出来ていました。
GM-3の内部パーツはGM-2とほぼ同じなので、部品取りにGM-2を何挺も持ってるという人もいたようです。


規制で売ることが出来なくなるのにMGCはなぜニューガバメント(GM-3)の製作をしたのでしょうか。
駆け込み需要を期待したのか、或いは規制の実態がまだ明らかでなかったからか。
ガバメントのモデルガンに関しては、他のメーカーも同様に規制直前に新型をリメイクしています。
CMCと六研です。
六研の六人部氏は、なぜいくつものガバメント型モデルガンを作り続けたのかと問われ、『作れば売れるから』と答えています。
作れば売れる商品を作れるうちに作っておきたい。その気持ちは分かる気がします。
それと同時に、より完成度を高めた製品を世に出しておきたいというのも製作者の心理なのかもしれません。





ガバメントのモデルガンは、CMCとMGCが競作しあった歴史があり、1次規制までにそれぞれがベストな製品を産み出していました。
それから10年が経過した1970年代半ば。到来する規制を前に両者は蓄えた技術の結晶を昇華させようとした。なんてね。
そういうロマンチックな話で3つの最終機が誕生したということだったりして😁

MGCのガバメントは、初代機(GM-1)で数回のマイナーチェンジをしています。
最初の製品はショートリコイル機構を持つかなりのリアル構造で、これが先行販売されていたCMC初代ガバメントを大きく上回っていたことで急遽CMCがガバメントの作り直しをすることになる程の完成度でした。
その後、MGCガバメントは9mm口径にリサイジングしてブローバック化を図りますが、この時にショートリコイル機能が省略されて、バレルとリコイルスプリングガイドのシャフトが一体型となります。
末期はブローバックしない手動アクションに戻り、バレルは固定式のままでショートリコイル機能が戻ることはありませんでした。
MGCがガバメントのブローバックをやめた理由は知りません。
銃口が塞がれたことで燃焼ガスの逃げ道を失くし、バックファイアの危険のあるハンドガンタイプでのブローバック化に問題を感じてのことだったのかも。
ただこのGM-1と呼ばれる初代ガバメントが中途半端な姿のまま放置されたことを残念に思う愛好家もいたことでしょう。

1975年。
MGCはブローバックアクションを長物に活用し、ハンドガンタイプはプラリボルバーのマークⅢシリーズを出してた時期ですね。
六研と連携して、MJQのP38を出したのもこの頃でした。
71年の規制を機にMGCはハンドガンタイプの金属製モデルガンの新作を作ることを諦めていました。
そんなMGCが規制後に作った2つのハンドガンがMJQとGM-3です。
MJQは六研との繋がりがあってのもの。
(MJQプランでの第2弾でミリタリー&ポリスが企画されていたことを考えると、あながちMGCはハンドガンタイプの新作を完全に捨て去っていなかったのでしょうけれど)

それに対し、GM-3はMGC単独の企画でした。
やはりMGCの製作陣は、ガバメントを中途半端なまま捨て置いてはいられなかったのでしょうね。

1975年は2度目の規制が囁かれており、それを避けるための業界自主規制smが基準となった年です。
そんな中でGM-3の製作が企画されたのですね。


CMCガバメント3型とMGCGM-3は共に76年生まれですが、特徴がそれぞれ異なっていて、同じ拳銃をモデルにしながらこうも違うものが出来るのかと感心するほどです。
70年代半ばの製品ですからね。
実銃の構造に近いのはCMCの方で、六研ガバメントのノウハウが活かされていますね。
対するGM-3は、GM-2の部品構成をそのまま使っていますから実物の再現性では劣ります。
僕は勝手な思い込みで、GM-3は中途半端な姿になったGM-1を美しい姿で世に出したいと願ったMGC製作陣の思いが込められているのだと想像していますが、もしそうであればなぜもっとリアル構造に拘らなかったのか。
当時のMGCはリアル構造よりも機能優先でしたし、規制が目の前に迫っている時期に実物通りに作ることへの抵抗もあったのでしょう。
MGCがリアル構造のガバメント(GM-5)を作るのは、それから5年後の1980年です。
リアル構造でなくても、GM-3にブローバックタイプを用意しなかったのはなぜか。
時間的に間に合わなかったのでしょうね。


ネットが普及するまで、GM-3の存在を知らない人も多かったようです。
MGCは月刊ガンに広告を出していなかったので、地方居住者はMGCの新製品情報をつかむのが難しく、当時中学生だった僕は2~3ヶ月に一度の割合で顔を出してたボンドショップでチラシを見てニューガバメントが出ることを知ったんですが、あまり興味はなかったです。
金ぴかでブローバックもしないガバメントよりもプラリボルバーに興味の比重が傾いていましたし、その頃はプラガバメントで充分だと思っていたからです。




GM-3の部品取り用にうちにも2挺のGM-2があります。
GM-2は機能を優先し過ぎてメカニズムは実物とはかけ離れていますが、GM-3がバレル周りの構造をGM-2と同じにしなかったのは良策だと思います。


ちょっとポッチャリ型のMGCニューガバメント(GM-3)。
作動性を重視した丈夫なメカニズムと肉厚のボディはガチャガチャ遊ぶには最適です。
しかし、愚かなモデルガン規制のせいで製造販売が禁じられています。
この重いスライドがブローバックで動いたらさぞかし爽快だろうなあ。
以上、MGCGM-3でした。