2007年製作の映画『ノーカントリー』をご存知でしょうか。
非常に良くできていて、最高のスリラーですが、難解だという意見もあり、その解釈について多くの人が今でも持論を展開しようとしているほどの名作です。
監督と脚本はコーエン兄弟。
主演は、老保安官ベルをトミー・リー・ジョーンズが演じていますが、他の役者は知らない人ばかり。
そこが作品をより不気味に引き立てていますね。
この映画には、ベル保安官のほかに狂気を帯びた殺し屋アントン・シガーと彼に追われる元溶接工のルウェリン・モスが登場し、三つ巴となって展開していきます。
ルウェリン・モスがハンティングに使うライフルはレミントンM700。
この冒頭の狙撃シーンで、監督がリアリティーを強く追求し銃器に詳しいアドバイザーが関与していることが窺えます。
狙撃の瞬間、銃の跳ね上がりでスコープ越しに見える獲物の姿が消え、銃が元の位置に戻ると被弾した獲物をスコープが捉える。こういう演出は実に良いですね。
時代設定は1980年のアメリカ。
テキサス州西部が舞台となっています。
【以下、あらすじ】
ルウェリン・モスは、ベトナム帰還兵。元は溶接工であったが、今は妻と2人でトレーラーハウス住まい。
生活は妻がスーパーで働いて得る収入に頼る貧乏暮らし。
ある日、モスはハンティングで獲物を撃ち損ね、その血痕を辿った先に多くの死体が転がり、大量の麻薬を積んだ車が放置された現場に行き着く。
状況から麻薬の取引で発生したトラブルだと理解したモスは、現金を持った生き残りが付近に潜んでいると踏み、勘を頼りにその居場所を突き止める。
そこには既に息絶えた男と200万ドルの紙幣が詰まったカバンがあった。
死体が手にしている拳銃と金の詰まったカバンを自宅に持ち帰ったモスだったが、昼に見た殺戮現場で息も絶え絶えのメキシコ人が水を欲しがっていたことが忘れられず、夜中にポリタンクに水を汲んで殺戮現場に戻ってしまう。
昼のメキシコ人は既に撃ち殺されており、待ち伏せしていたギャング達に追われたモスは乗って来ていた車に戻れず、走って逃げ出し川に飛び込んでどうにか逃げ延びる。
モスはすぐさまマガジンを抜き取りスライドを引いてチャンバー内を空にする。
この一連の動作が手慣れていて良いのです。
一度水に浸かった拳銃をスライドオープンして、チャンバーに空気を吹き込み、銃身内部の水分を飛ばす。
いかにも銃に詳しそうな描写で良いです。
一方で、同じ町に風変わりな男が現れ、保安官補に連行されていた。
この男の罪状は明らかにはならないが、おそらく職務質問されて抵抗でもしたのだろう。後ろ手に手錠をかけられてパトカーで保安官事務所まで連れて行かれる。
男が保安官補の目にとまったのは、町に全く馴染んでいない着衣だったからだ。
夏のテキサスでは、男はみんな麦わらのテンガロンハットを被る。
だが、男は帽子も被らず、マッシュルームカットのオカッパ頭。
肺気腫の患者が持つようなガスボンベを提げ、ボンベに繋いだホースを袖に通して徒歩で徘徊していた。
麻薬取引の一方の当事者であるアメリカンギャングから依頼され、取引現場から200万ドルを持ち去った男を追跡している。
このキャトルガンは空気圧でホース先端に設置されたボルトを撃ち出すことで家畜の屠殺を行うのに使われている。
高圧の空気で突き出たボルトは、バネによって器具に戻るので弾痕に銃弾が残らないという状態となる。
連行された保安官事務所で保安官補を絞め殺したシガーはパトカーを奪って逃走し、その途中で民間人をキャトルガンで殺害して、その車を奪い先を急ぐ。
シガーには独自のルールがあり、一般的な常識を持たない。
人の生死をコイントスで決め、自ら『俺の人生はコインと共にある』とも言う。
『いや、賭けたさ。もう大事なものを賭けてる。気付いてないだけだ』
殺戮現場から無事に生還出来たルウェリン・モスだったが、現場に残してしまった自家用車のプレートで身元がバレてしまい、そこからモスの逃亡が始まる。
モスが盗んだ大金の詰まったカバンには発信機が仕込まれており、追手は受信機を頼りにモスを追う。
金を奪われたアメリカンギャングはシガーのほかにもメキシコ系の追手を放つ。
そして、この事件を認知した保安官ベルも捜査を開始する。
ベルは弾痕に銃弾のない銃殺死体とキーシリンダーを吹き飛ばされた錠にキャトルガンを連想する。
モーテルの部屋でバレルとストックを切り詰めて携帯性を高め、謎の追手に備える場面も良し。トミー・リー・ジョーンズ繋がりで70年代の傑作『ローリングサンダー』を思い出します。
モスは追手から逃れるため、妻を実家のオデッサに帰らせて、自分ひとりデル・リオへと逃げる。
モーテルに投宿したモスは部屋の通気ダクトに金の詰まったカバンを隠し、買い出しに出かけるが、日が暮れてモーテルに戻ると外から見た自分の部屋のカーテンに異変を感じとる。
その晩は別のモーテルに泊まり、翌日12ゲージのショットガンと00バック弾を買い込む。
このショットガンを短くカットして、元のモーテルに戻り、別の部屋から通気ダクトに隠したカバンを取りだそうとする。
同じ頃、シガーは受信機を使ってそのモーテルに辿り着いており、受信機の反応が強い318号室を襲撃するが、そこに居たのはギャングに雇われたメキシコ系の追手だった。
まず腕を撃ち、次にとどめをさす。
ぶらりと垂れ下がった腕が分かるでしょうか。
映画はこの保安官の独白で始まります。
『私は25歳で保安官になった。希なことだ。私の祖父も父も保安官だった。少し前、ある少年を死刑にしたことがある。彼は14歳の少女を殺した。新聞は激情犯罪と書き立てたが、本人は感情はないと言った。以前から誰か人を殺そうと思ってた。もし今出所したなら、また誰かを殺すだろうと、どう考えたら良いのか全く分からない。最近の犯罪は理解出来ない。恐ろしい訳じゃない。この仕事をする以上は死ぬ覚悟が必要だ。魂を危険に晒すときにはOKと言わなければならない。この世界の一部になろうと』
深いですねえ。
直訳すれば、『老人に故郷はない』でしょうか。
その意味は難解ですが、映画を何度か観て感じた僕なりの解釈は、『古き良き時代を生きた老人が住む場所ではない』でしょうか。
映画のラストで、ベル元保安官が昨晩見たという2つの夢の話をします。
その意味するところを、どう解釈するのか。それもこの映画の楽しみ方のひとつです。
スリラー、ガンアクション、そして最後にはじんわりと残る絶妙な後味。
未見の方はぜひご覧ください。
そして、一度見たことある方も、もう一度ベル保安官の心境を考察してみては?