六研真鍮ガバメントのことを最初に知ったのはいつですか?
僕はまだ高校生の頃に、一度拝見する機会がありましたが、その時は実物を手にしていながら興味を抱くことがなく、拙い観察眼で見たその記憶はおぼろげで3世代ある六研ガバのどれだったのかということすら覚えていません。僕の中に本格的な六研ブームが訪れるのは社会人になってからです。
学生時代に手の届かない超高級モデルガンに興味が持てなかったというのは、自然なことだったと思っていますが、自分で月収を得るようになって関心を持ったということは、所有欲でも芽生えてしまったのでしょうかね。
もっとも、僕が六研熱に罹患したとき、既に六研真鍮モデルガンは製造販売が法律で禁じられていましたので自分で所有することは難しくなっており、専門誌に特集された記事を読んで知識を増やすのが精一杯でした。
六研真鍮ガバメントのことは、噂では知っているけれど写真も見たことがない。
そういう人々にとって衝撃的だったのが、この月刊ガン1983年11月号のモデルガンダイジェストでした。
僕はこの号を読んで六研ガバに3つの世代があることを初めて知りましたが、古いコアなマニアの先輩方でも殆んどの方がそうであったと思います。
六研真鍮ガバのカラー写真も初登場だったはずです。
この記事がモデルガン界のレジェンド根本忠氏によって書かれていることと、その取材対象が設計者の六人部登氏だというのも、記事に信憑性があって良いと思うのですがね。
まあネモ忠さんと言えば、ご贔屓のメーカーを持ち上げるクセがあったと言われることも多いのですが、重鎮の六人部氏から六研ガバについて取材出来ていることが実に有意義だと思うのですよ。
この記事が書かれたのが1983年で、規制で六研ガバが市場から消えてまだ6年くらいですから記憶もまだ鮮明だったであろう六人部氏の話は正確だと思われます。
残念なのは、この記事に取り上げられているのは六研真鍮ガバの第2期モデルだけで、第1期と第3期についてはまだ写真も載っていません。
比較に使われているのはスズキとマルイのプラガバですが、この2つが妙に六研の引き立て役になっているんですよね。
この当時、六研のモデルガンが専門誌に取り上げられにくかったのは所有者を見つけることの難しさもあったものと思いますが、アングラなイメージを纏う六研でしたから気軽に素材提供してくれるコレクターが少なかったんでしょうね。
この記事に載ってるガバは発火済みで煤汚れがありありと残っています。
この時代を愛するマニアは実銃に理想を重ねており、それを具現化したのが六研だと思い込んでいましたから、六研ガバなのになぜこんな隙間があるんだ?と思ったんでしょうね。
取材されたモデルガンは発火済みで汚れてますが、それでもそのうっすらと汚れた感じが却って不気味な武骨さを醸し出していて、プラスチックやメッキされた亜鉛合金では感じ取れないリアルな質感が溢れ出しているんですよねえ。
銃口部を『マジックで黒く塗りつぶし』とありますが、これは誤りで、焼き入れされたインサートが黒く変色している状態です。
第2期ガバメントはチャンバーからこの銃口部まで一体型の鋼材で出来ていて、バレルだけ真鍮カバーが被せられているという状態なんですよね。
チャンバーにショートリコイルラグが設けられており、スライドリリース結合部にリンクが付けられそうな形状なので、いわゆるスタンダードタイプと呼ばれてた手動アクションのショートリコイル仕様も企画されていたのではないかと言われているみたいですね。
10年後の1993年11月号。
第3期ガバメントが取り上げられました。
見開き2ページだけの短い記事ですが、衝撃的なことが書かれているのです。
ここでも六研ガバメントの第1期から第3期までの仕様違いが紹介されています。
記事の元ネタは10年前の月刊ガンのようです。
ここを良くご覧になって下さい。
これを読む限り、六研真鍮ガバ第3期はサイド発火だと書かれているように読めます。
ちなみに、第1期はセンター打ち後撃針発火のデトネーターブローバック、第2期はセンター打ちですが、カートリッジのインナーを突いてのデトネーターブローバックですから、真鍮ガバにサイド発火は存在しないはず。
第3期の一部にだけサイド発火仕様が存在したのでしょうか。
ご存じのとおり、第3期は砲底面がノッペラで無発火仕様でした。
同時代の日本のガバメントタイプのモデルガンはMGCとCMCが存在していましたが、どちらも60年代半ばのデザインですのでメカニズムは実物には遠く及びませんでした。
六研ガバは日本で最初に実物にとても近いリアルメカニズムを再現したガバメント型モデルガンということになります。
なんと言ってもイラストにもあるように実物同様のエキストラクターを再現したのは驚異的だったことでしょう。
MGCとCMCは、ともに76年にガバメント型モデルガンをリニューアルしていますが、この時でさえエキストラクターはモールドでライブではありませんでした。
それでも、六研があったからこそ、よりリアルなモデルガンが求められ、素材改良が重ねられていったのでしょうね。
ランパントクラシックやエランが六研を標榜したことも、ProductsZEKEが真鍮モデルガンを作ったことも、そこに原点があるのだろうなと、年末の夜にぼんやりと考えてみました。