もんちのもんもんにっき -2ページ目

社内抗争勃発

しばらくブログ更新できなかった。


というのも、いろいろと理由はあるが

会社がごたごたしていて

何かとあわただしかったのもその1つ。


自分は旦那さんと2人で会社を営んでいる。


成り行きで会社を立ち上げ

なんだかんだと仕事や子育てに追われながら

必死に5年間頑張ってきたのだけれど

まあ、頑張りが報われたのか

少しずつ会社は大きくなってきて

売上げもだんだんと伸びてきて

人も増えてきた。


スタッフに関しては、望んで増えてきたというよりも

なんとなく増えてしまったかんじ。


旦那さんは人がよく

困っている人が相談に来るとほっとけない性分なので

ついつい雇ってしまう。

(※断るときもある)


もちろん、その人と気が合ったり

ビジョンが似てたり、会社の即戦力になると

判断しての結果なんだけど。


その結果、現在のスタッフ数は9人になった。


立ち上げ当初の私たちの貧乏ぶりを知る人は

さぞかしびっくりすることだろう。


なんせ私でさえ、びっくりしている。


だけど何とかやれているので、我ながらすごい。


もちろん金銭のやりくりはいつも精一杯。


私は、自分の給料を一度ももらったことがなくて

家賃やら食費やら最低限だけをちょこちょこもらいながら

やっている。


それでも、仕事はやりがいがあって楽しいので

特に苦に思ったことはない。


よく言えば節約生活、悪く言えば貧乏ぐらし。

それなりに楽しいので今の生活は私なりに満足している。


けれど、さすがに人がふえるともめる。


旦那さんも私も、経営の専門を勉強したわけでもなく

多少規模のでかい会社に勤めた経験もない。


ハード・ソフトともに会社のシステムが

うまくできていなかったことも原因かもしれない。


最初困り果てて、来たスタッフも次第になれてくると

会社のことを考えてくれなくなってしまう。


もちろん、自分の生活や人生が、誰にとっても1番なので

そちらに重点を置いていただくことはかまわない。


けれども自分の在籍している会社や仕事に対して、

自信や誇り、責任、そして愛情とか情熱はもってほしいのだ。

お金のためだけに働いてほしくはない。

無理な願いなのは、十分承知。


しかし残念ながら、今いるスタッフの半数以上は

会社と仕事に対しての愛を喪失してしまっているようだ。


きっと彼ら彼女たちの目には、私たちがお金まみれの

経営者にみえているのだろう。


真実はそうではない。

少なくとも、私は皆の人生を考えているんだぞぉ。

そのためにも必死に頑張ってるんだから~。


私の体には仏教の考え方が根付いてて

自分の得にならなくても

奉仕しちゃうんだから。

自分の徳にはなるとおもうけど。


ちなみにうちのスタッフは

ブラジル人、ペルー人、バングラディシュ人。


差別する気はないが

「奉仕の心」は理解しがたいのかもしれない。


でも、絶大に信頼しているバングラのMさんは

私たちのために泣いてくれた。


心が共鳴しているようで、嬉しかった。


そうこうするうち、もめにもめたしんどいピークは

すでに通過した。(と思う。)


結局、愛のなくなったスタッフは離れることになる。


人が大幅に入れ替わる。


次に来てくれたスタッフと同じ過ちを繰り返さないよう

うまくやっていきたい。


離れる人たちとは、これっきりなのか。

寂しいもんである。





子持ち&旦那もちだけど

2人の子持ち、旦那もちだけど

すごく惹かれてしまうときがある。


そんなときは、ぐっと我慢の子。


でも心の中はバクバクである。


どうにもこうにもならない、わかっちゃいるけど

体と脳みそが勝手に反応している。


困ったもんである。

掌蹠角化症(しょうせきかくかしょう)

私には2人の子供がいる。


いずれも男の子。

上が5歳で、下の子が2歳。


いやー男の子ってホントに元気だー。


いつも私の眼が回りそうなくらい

朝から晩まで、元気100倍ではしゃぎまわっている。


遊んでも遊んでも、まだまだパワーが有り余っている。


うらやましいかぎりである。


今回はそんな元気なお兄ちゃんの病気の話。


「掌蹠角化掌(しょうせきかくかしょう)」


この病名を聴いたことのある方は

まず珍しいと思う。


インターネットで調べたところ

この病気はとても珍しい病気だそうだ。

西洋医学の分野では、確固たる治療法もないみたいだ。


ある方はこう書いていた。

「研究している大学病院にいったら先生は喜んで治療に

 とりかかってくれるかも」と。

珍しいから、よい研究対象になるということなのだろう。


私と息子はこの病気に大体3年ぐらい悩まされ続けた。


参考までにこんな病気です。↓

http://www.mirai.ne.jp/~seisinc5/syouseki.htm


写真を見られた方はびっくりしたでしょう。


なぜか掌と足の裏だけにできる。

最初は水泡状の発疹、水泡が乾いてくるとかたくなり

2~3日後から皮むけが始まってくる。

皮がむけ始める頃は、めっちゃかゆいらしく

まだ5歳の息子は、必死になって指をかんだり

地面にこすり付けたりして、痒さをしのいでいた。

泣きそうな顔をしながら。


最初は、指をかんでいることで悪化しているんだと思い

ひどくしかった。


「噛んじゃだめよ!いじっちゃだめよ!ひどくなるよ!」


でも、痒いもんは痒い。

大人だって我慢できないさ。

いっぱいしかって、手も上げてしまった。

何とか病状を悪化させないようにと

私も必死だった。


でも、そのやり方はすごく間違っていた。


息子は、手がぼろぼろで痒い上に、しかられるから

一層精神的にまいってしまい、手に神経がいってしまうのだ。

そしてまたいじる。


ひどいときは、冬。


皮が硬く薄くなっているので、すぐにひび割れする。

息子の手は、血だらけになっていた。

今考えると、幼いながらによくがまんしていたなぁと

感心してしまう。

本当にえらい。


症状が出ている間、ずっと皮膚科に通っていた。

サトウザルベ(亜鉛)、リンデロンVG軟膏(ステロイド)

ウレパール(尿素)を処方してもらい、辛抱強くつけていた。


症状がひどいときは、包帯で指先までぐるぐる巻きにしていた。


ガーゼや包帯で保護していると、多少改善してくるが

「あ~前よりよくなってきたね~」という頃に

また発疹。


よくなって、悪くなって、よくなって、悪くなって

堂々巡りを繰り返し、結局2年以上もの間、症状は改善しなかったのである。


そのうち、爪もでこぼこになってきてしまい

あるときは爪の弱くなった部分から細菌感染して

膿んで、指が1.5倍ぐらいに膨れてしまった。


爪を切って膿みを取ったけど、息子は泣かなかった。


保育園にも、手袋をして通っていた。

手袋の交換作業があるために、次の行動に移るまで

他の子よりも必要以上に時間がかかる。

トイレに行くのも、ご飯を食べるのも。

それでも彼は、黙って、手袋交換に耐えてくれた。

文句ひとつ言わず。


あまりに病気は長いので、私も息子も本当にまいっていた。


どうしたらよいのか、わからなかった。


<つづく>

世界中の子供たちが


世界中の子供たちが


一度に笑ったら


空も笑うだろう


ラララ


海も笑うだろう

世界中の子供たちが


一度に泣いたら

空も泣くだろう


ラララ


海も泣くだろう

広げよう ぼくらの夢を

届けよう ぼくらの声を

咲かせよう ぼくらの花を

世界に虹をかけよう

待ち人来ず&オススメ映画

shaeshank


友達からの連絡がこなくって

ちょっと寂しい。


自分は平気で待たせちゃってることが

多々あるのに、待ってるのって

つらいなぁ。


ほんとわがままなんだなぁ。。。


今日はビデオで


「ショーシャンクの空に」


をみた。

久々に見て、スンゲーおもしろかった!!!!

心の奥のほうが、じんわり熱く、重くなった。


こんなすばらしい映画を撮れる人は

本当にすばらしい!


そして、スティーブンキングの偉大さを

改めて、再確認した。


マジで感動します。

病気の怖さ 2

お見舞いに行った。


前に書いた、咽頭がんのおじさんのところへ。


面会謝絶が解けていて、ほっとした。


でもほっとしたのは、ごく短時間。

病室へ入ると、おじさんの目つきがまるで変わって

いた。


30秒ぐらい、じーとにらまれ、ようやく私が

誰だか気付いてくれた。


「あー○○ちゃんか…」


声はほとんど出ていなかった。


久しぶりに会ったおじさんは

相当やつれていた。

放射線治療をうけた首まわりは

紫色に焼けただれていて、口の中すべてが

口内炎になっている。

先週は唇の皮までむけてしまい、

せきをしただけで、出血していたらしい。


慢性的な痛みがあるので

痛み止めの座薬を使い続けている。

薬がないと、痛みに負けてしまうのだろう。


「痛いから、あんまりしゃべれないからね。」


それでも、おじさんは気力を振り絞って

いろいろと話してくれた。

聞き取れないから、顔を近づける。

振り絞るように発する彼の一言はなかなか聞こえず

何度も聞き返し、悪いことをしてしまった。

おじさんの口から、病気のにおいがした。


「なんだ!俺の話を全然聞いてないのか!」


冗談交じりに言ってくれたけど、

おじさんの目は以前のと違って虚ろ気だった。

冗談言っているのに、全然笑っていなかった。


何故なら、1通りの治療が終わるまでの約1か月間。

主治医は彼に


「治療後は、100%根治しますよ。」


と断言していたからだ。


終わってみたら、まだ腫瘍は残っていた。


彼は、「根治する」というお医者さんの

言葉だけを頼りに、つらい治療に耐えてきたの

だった。


おじさんはもう誰を信じたらよいか

わからない様子だった。


病気とクスリと、長期間のつらい治療や病院生活は

おじさんから生気を吸い取ってしまっていた。


何かしてあげたかったけど

なんと言葉をかけてよいかもわからなかった。


何か言わなきゃと思ってしゃべったけど

おじさんの耳には届かなかったかもしれない。


あまりしゃべっていても、疲れさせてしまうので

マッサージをしてあげた。

未熟なマッサージだったけど、

すこーしだけ、眠ってくれた。

リラックスしてくれたので安心した。


「もっと腕が良かったら良いのに。」


自分の未熟さを足りなく思った。

心なしか、マッサージのあと、おじさんは

少し心を許してくれたみたいだった。

少しほっとした。


今はまだ、体力が激落ちしているので

このまますぐに治療を続けることはできない。

体力回復を待って、次の治療方針を決めていくらしい。


おじさんは「治療をもう受けない」といってた。

病院もすぐに出る予定だった。


「こんなところに長くいてもしょうがない。」

「これから、どうしたらよいかわからない。」


おじさんは1人で、自分に言い聞かせるように

つぶやいていた。


やっぱり私は、何も答えることができなかった。





ちょっと しょんぼり

今日はちょっと、元気がない。

 

昨日旦那さんと、意思のすれ違いがあった。から

かもしれない。

 

唐突だが、私はお酒が好きだ。

まぁ、お酒の味というよりも、飲みながらみんなで

たわいもないことを話すのが好きなんだ。

 

昔はたくさん飲んだ。

お恥ずかしいことに、まさに浴びるほど

毎晩飲んだ。

 

飲み屋でバイトをしていたので

まぁ仕事の延長ともいえるんだけど、

とにかく飲んだ。

7年前くらいの話だ。

 

当時の私はお酒を飲んで、毎晩酔っ払って家へ帰る。

ひどいときは、まさに泥酔。

今の旦那さんは、下戸なので、その頃の私の行動は

100%理解できない、おろかな行為だと思っていた

らしい。

 

「この人は何のために酔っ払っているんだろう???」

 

でも、彼がとてもえらいと思ったのは

その行為を否めるわけでもなく

じっと我慢をして見ていてくれた。

私の意味不明の行動を、非難するでもなく

怒るでもなく、まぁよく言えば

見守っていてくれたのだ。

 

そんなこんなで、私も彼の気持ちに心を打たれ

妊娠をしたこともあり、

6年位前に、ぱったりと飲酒をやめたのである。

手前味噌だが、我ながらえらいと思う。

うん、本当に自分をほめてあげたい。

かなり徹底した禁酒であった。

 

それから6年間、彼とともに生活をし

お酒を飲むのは、半年に一度ちょろりと飲む程度

の生活を続けてきた。

 

たまに飲みたくなるときは多々あったが

そこはぐっと我慢の子で耐え忍んできたのである。

 

そんなごく最近のある日、会社でいろいろと

人間関係のトラブルがあり、

旦那さんは体の具合が悪くなるほど

精神的にまいって、寝込んでしまった。

そして、長い長い葛藤の末

(この話題はまた長くなってしまうので簡略)

 

「人には、いろんな価値観があり、認めなきゃ

いけないんだ。」

 

という答えをみつけだした。

そして、その一端として、どうやら愛飲家の生き方

についても理解を示してくれるようになったのだ。

 

スーパーに買い物に出かけると

なななんと、私に缶チューハイを買ってくれたのである。

あんなに毛嫌っていた飲酒行為を

認めてくれたのだ!!!

 

その日が私にとって、記念日になったのは

言うまでもない。

正直、めっちゃ嬉しかった。

 

その晩は、2人でチューハイを飲んだ。

下戸の旦那さんは、コップ1杯で手先つま先まで

真っ赤になって、ぼーっとしていた。

 

「これから一緒にお酒を飲めるゾ」

 

 

ところが、昨日は私が

 

「ビール飲んじゃおうかな。」

 

とうきうきしていると

 

「またぁ?」

 

と顔をしかめて言うのである。

ちょっと寂しかった。

 

昼間は、旦那さんと子供たち2人の散髪をし

はりきってご飯も作り、大量の洗濯物を済ませ

掃除もして、

いつも以上に頑張った1日だったのにー。

気持ちの良い夜だったから、少し飲みたくなったんだよー。

 

酔っ払うまで、飲むわけじゃなし

ちょっとぐらい、いいじゃないか!

 

1人で、ぷんぷんしてしまった。

 

でも、本当はそんな些細なことで機嫌を

損ねている自分がいやだったんだ。

 

ごめんね。だんなさん。

あなたはどっち派?その1

人それぞれ生まれ育った環境がある。

同じ日本人同士でも、意外な違いを感じてしまうこと

は多々ある。

 

目玉焼きの味付けから、食事の仕方、寝るときの服装まで、

細かく上げると切りがない。

 

そんな違う環境で育ったもの同士が一緒に暮らすことは

ほんとうに難しい。。。う~む、難しい。

 

私が今のパートナーと暮らし始めて

まずびっくりしたのは、お風呂だった。

 

ブラジルには、そもそもお風呂につかるという習慣がなく

大半の人はシャワーで済ませてしまう。

 

彼は日本に来て初めて、お風呂につかる気持ちよさを

知ったらしい。

 

「あーお風呂はいいねー。」

 

気持ちよさそうにつかっているので

私も一緒にはいってみることに。

 

「なんだこりゃー!」

 

浴槽に入って、私は思わず、叫びたくなった。

なんとそのお風呂は、プールのように

生ぬるかった。

 

「これじゃ、かぜひいちゃうよ。」

 

どうやら、ブラジル人は熱いのが苦手らしい。

というか、生まれ育った土地が暑い所だったので

熱いお湯にわざわざ入るということが

彼には理解できないのかもしれない。

 

いまはようやく、熱いお風呂に入る日本の文化に慣れた

のか、けっこう暖かいお風呂になっている。

(やっぱり熱いお風呂はきもちいい!)

 

でも、私が子供時代に汗をかきかき、顔が真っ赤になる

まで、お風呂につかっていた習慣が今は懐かしい。

 

なぜなら、自分の子供たちにも、私が子供時代に当たり前に

経験していた「熱いお風呂で肩まで浸かって100まで数える」

というのをさせてみたが、やっぱり体調が崩れてしまった。

 

お父さんとお母さんの、お風呂の温度に差が開きすぎて

いるので、体がついてゆけないのだ。

 

これは、自分が折れて、相手のぬるめのお風呂文化に

あわせるしかないな と思った。

こうして、うちの子供たちは、お父さん譲りの

お風呂文化を受け継いでゆくのだ。

 

と思っていた矢先、ある日、お風呂に関する記事を読んだ。

40℃ぐらいのぬるめのお風呂にゆっくり浸かるのが

体に1番良い。(半身浴でも良いそうです。)

湯冷めしにくく、体が一番あったまる、なおかつ

体の筋肉がほぐれるらしい。

塩や入浴剤を入れることにより、より保温効果を高められる

とのこと。

お風呂から出たら、あとは20~30分横になって

ごろごろすることで、精神的なリラックス効果も得られるん

だそうだ。

 

早速実践してみた。うん、なかなか良い。

 

こうして、我が家にも新しいお風呂文化が生まれたのであった。

 

 

 

 

 

 

人間関係崩壊

お金は人間をかえるんだよなぁ

苦しみについて

今まで生きてきた中で、苦しいことは

いっぱいあったが、今はもう忘れてしまった。

忘れていないと思っていたけど忘れていた。

 

人は苦しみを忘れるからこそ

生きてゆけるのだと

感じている。

 

そんなことを思ったきっかけは

6年前自分で書いた手紙が出てきたことだった。

 

その手紙は、今のパートナーと付き合い始めて間もないころ

彼宛に書いた手紙だった。

 

彼は、ブラジル生まれ、ブラジル育ち。

出会った頃は、ほとんど日本語がしゃべれず

今思えば、よく付き合ったものだと

自分でも感心してしまう。

 

会話ができないので

細かいコミュニケーションができないのは

当たり前。

 

だんだんとお互いの言いたいことが積もり積もって

ギクシャクしてしまった。

 

挙句の果ては、喧嘩。

といっても、一方的に怒り、凹んだのは私の方かもしれない。

 

もう終わりかもしれない。

何度もそう考えた。

 

でもこのまま私の気持ちを何も伝えずに

終わってしまうわけにはいかんのだ!

そう考えて、私は自分の気持ちをつらつらと

なんと7ページにもわたって書き綴ったのだった。

 

笑ってしまうのは、手紙の内容。

コミュニケーションのずれはほんの些細なことだった。

食べ物(特に味付け)のことや、生活習慣の違い。

そんな本当にくだらないようについて

切々と私の気持ちがつづってあったのだ。

 

今だから笑って読めるけど

その頃は、本当に悩んでいたのがよくわかる。

 

読みながら、笑いながら

その頃の苦悩を思い出した。

 

ああ、こんなに苦しんでいた時期もあったのだなぁ と。

 

すっかり忘れていた。

その頃はなんと彼の子を妊娠していたので

精神的にも肉体的に不安定であった。

その苦悩は、とてつもなく大きいものだったに違いない。

 

でも、人間とは不思議なもので

もうすっかり、その苦しみを忘れていたのだ。

やっぱり、苦しみを忘れるからこそ、人は強く生きているのだなぁ。と思う。

 

今は平和である。

コミュニケーションもしっかりできている。

(たぶん。)

でもその頃の苦しみがあってこその今なのだと

思う。絶対に思う。

 

だから、今苦しみごとや、悲しみごとを抱えている人が

いるならば、強く強く言いたい。

 

必ず、朝はきます。

 

苦しみは続かないし、悩み事は解決します。

その苦しみや苦悩は、自分への一時の試練なのだと

思う。

悩んではいけない。心配してもいけない。

心配は体を痛めつけ、病気になることもある。

 

どうか、悩まないでください。

 

もし心配事や、悩み事があれば、話してください。

すぐに解決できる問題かどうかわからないけれど

私がどれほど力になれるかわからないけど

聞くことはできます。

 

すこしでも誰かの力になれれば、幸せです。