今日は本当に神様の導きを感じました。そして改めてこの道の素晴らしさを実感しました。何があったかは・・・内緒ですが(笑)。


若き日に御父様の御跡を慕い、御言を握り締めながら為に生きる挑戦をする中で出会った親なる神様は、今も変わらず日々私をご存知でいて下さり、導きいて下さり、教育して下さっています。


「私はお前を知っているよ」と言われる度に、孤独な逆境のなかにあっても無限の力が注がれるようです。


そして時折私が願った以上の導きをして下さいます。今日はそんな一日でした。


未熟な私をどこまでも信じて下さり、愛して下さり、私に侍って下さいます。どんな時でも共に生きようとして下さいます。


お金で買えるような、条件付きの偽りの愛などではなく、無条件の真の愛の中で生かされていることを心から感謝しています。


御父様・・・神様との因縁を私に取り戻して下さり、本当にありがとうございます。この歴史的な恩恵を私個人に留めるのではなく、私の家庭に、氏族に連結させてみせます。


まだできることはわずかですが、あなたが願われた神様の夢の実現のために私も生涯を捧げます。愛を学び、一歩一歩成熟しながら神様を中心とした家庭を築きます。


決して簡単ではありませんが、近い将来、お父様とひとつになってあなたの夢の実現に具体的に貢献できる私個人、我が家庭となれるよう決して焦らず一歩一歩、愛を込めて努力していきます。



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私たちは未来を変えることができる


 私は最初にCARPを引き受けた時のことを覚えています。人々は資源や人材、またはお金が必要だと言いましたが、私は決してそのようには考えませんでした。当時、CARPは破産状態でした。メンバーも離れつつありました。二世はどうだったでしょうか。この当時、皆さんは15か16歳だったでしょうが、公職に就こうと考えていましたか。おそらく、そのような考えすらしなかったことでしょう。二世は道を失いさ迷っていました。それが統一運動の現実でした。皆さんはそのような現実が、私の信念や確信に影響を与えたと思いますか。その現実がW-CARPの目標を設定するのに、影響を与えたと思いますか。そのような現実が、私に従ってくる人たちに対する期待や基準を決定したと思いますか。


  2003年W-CARP総会における基調講演での顕進様の御言より

                     韓国・牙山 2003年7月12日



祝福中心家庭として私たちが信じた道には永遠に変わらない真の愛に起因する核心的な価値があります。その価値は堕落により始まった人類歴史にあって、神様が中心人物たちの命に代えながら、必死に復帰し守り抜いてきたものだと私は理解しています。


それなのに統一家でそれがないがしろにされているのはあまりに残念です。


これまで顕進様家庭に対して、無数の事実すり替えによる誤情報が公式的にばら撒かれてきました。


ですが、顕進様は今も変わらず真の愛の力を信じて、天運が共にあることを確信されて前進され続けておられます。


自身を取り巻く環境が激変しても、ご自身は一切変わることなく前進され続けるのは、ただ神様の夢を果たそうとされるお父様を心から愛していらっしゃるからだと感じます。


当時、既に文化的問題を抱えていた統一家全体に責任を持たれながらも、「Because I love him!」と語られながら自らの家庭の実体を通して疲弊した祝福中心家庭や二世たちに大きな希望を与えられ、現在の家庭教育基盤の根幹を築いて下さった顕進様は今も何一つ変わられていません。ですが、顕進様が最も信頼されたカナダ修練会参加者も、CARP指導者も日本の二世指導者たちも霊的に一体どうなってしまったのでしょうか・・・。不正にまで迎合するのは完全に行き過ぎです。


今一度、全祝福家庭が長兄を一方的に批判し、非難し続けてきたことを、心から悔い改めて再出発する時ではないでしょうか。統一家全体がもっと愛の人格において成熟することを願い、求めなければならないのではないでしょうか。

御父様のご回復を心よりお祈り致します。



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ブログ、大変ご無沙汰になりました。

最近のロンドン・オリンピックのニュースとそれに対するヤフコメを見ながら感じたことです。


敗北など自身が困難な状況に直面した時に、環境や人のせいにすることは明らかに誰もが情けないと感じていますね。


自分たちのコミュニティ(国など)に思うような結果が出ない際にも、無責任な立場で特定の戦犯を指摘しようとする低レベルなコメントは良心的な人たちからは全く支持されていないですね。


人間が誇らしいと感じることと、そうでないこととを見分ける基準は本心に刻まれていることを改めて実感させられました。そして、その基準はほかでもなく創造原理であり、真の愛の基準だと思います。


私事ではありますが、私は今でも顕進様が明確に示してくださったCore Valuesの価値を毎日感じながら生活させて頂いています。堕落性本性が邪心の発露であるならば、①より大きな善の為に生きる②オーナーシップ③チームワーク④夢を大きく持つというCore Valuesは正に神様の子女である人間の本心の発露であり、後天時代に全人類が本心に従って生きるための明確な指針であると理解してきました。


なでしこジャパンの清々しい闘いぶりなどカイン圏での素晴らしい歩みを見れば見るほど、統一家の寄ってたかって長兄ばかりに責任を追求し続ける醜い有り様を神様とお父様に対して申し訳なく感じています。


◆マタイによる福音書第27章11節~26節◆

さて、イエスは総督の前に立たれた。すると総督はイエスに尋ねて言った、「あなたがユダヤ人の王であるか」。イエスは「そのとおりである」と言われた。しかし、祭司長、長老たちが訴えている間、イエスはひと言もお答えにならなかった。するとピラトは言った、「あんなにまで次々に、あなたに不利な証言を立てているのが、あなたには聞こえないのか」。しかし、総督が非常に不思議に思ったほどに、イエスは何を言われても、ひと言もお答えにならなかった。さて、祭りのたびごとに、総督は群衆が願い出る囚人ひとりを、ゆるしてやる慣例になっていた。それで、彼らが集まったとき、ピラトは言った、「おまえたちは、だれをゆるしてほしいのか。バラバか、それとも、キリストといわれるイエスか」。彼らがイエスを引きわたしたのは、ねたみのためであることが、ピラトにはよくわかっていたからである。また、ピラトが裁判の席についていたとき、その妻が人を彼のもとにつかわして、「あの義人には関係しないでください。わたしはきょう夢で、あの人のためにさんざん苦しみましたから」と言わせた。しかし、祭司長、長老たちは、バラバをゆるして、イエスを殺してもらうようにと、群衆を説き伏せた。総督は彼らにむかって言った、「ふたりのうち、どちらをゆるしてほしいのか」。彼らは「バラバの方を」と言った。ピラトは言った、「それではキリストといわれるイエスは、どうしたらよいか」。彼らはいっせいに「十字架につけよ」と言った。しかし、ピラトは言った、「あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか」。すると彼らはいっそう激しく叫んで、「十字架につけよ」と言った。ピラトは手のつけようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の前で手を洗って言った、「この人の血について、わたしには責任がない。おまえたちが自分で始末をするがよい」。すると、民衆全体が答えて言った、「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」。そこで、ピラトはバラバをゆるしてやり、イエスをむち打ったのち、十字架につけるために引きわたした。


「第四次アダム」とは、第三次アダムである御父様の次に来る第四次アダムもすなわちメシヤであることを言っている御言なのではないでしょうか。でなければ、第四次アダムという表現自体する必要がありませんよね・・・。では、その「第四次アダム」という御言をお父様がいつ語られ、語られるようになられた摂理的な経緯は何だったでしょうか。



自分たちこそ神様の願いに最も従順に従っていると誤認しつつ、必死になって罪のないメシヤを十字架につけたユダヤ人でした。


◆ルカによる福音書第23章34節◆

そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。






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