ブログ、大変ご無沙汰になりました。
最近のロンドン・オリンピックのニュースとそれに対するヤフコメを見ながら感じたことです。
敗北など自身が困難な状況に直面した時に、環境や人のせいにすることは明らかに誰もが情けないと感じていますね。
自分たちのコミュニティ(国など)に思うような結果が出ない際にも、無責任な立場で特定の戦犯を指摘しようとする低レベルなコメントは良心的な人たちからは全く支持されていないですね。
人間が誇らしいと感じることと、そうでないこととを見分ける基準は本心に刻まれていることを改めて実感させられました。そして、その基準はほかでもなく創造原理であり、真の愛の基準だと思います。
私事ではありますが、私は今でも顕進様が明確に示してくださったCore Valuesの価値を毎日感じながら生活させて頂いています。堕落性本性が邪心の発露であるならば、①より大きな善の為に生きる②オーナーシップ③チームワーク④夢を大きく持つというCore Valuesは正に神様の子女である人間の本心の発露であり、後天時代に全人類が本心に従って生きるための明確な指針であると理解してきました。
なでしこジャパンの清々しい闘いぶりなどカイン圏での素晴らしい歩みを見れば見るほど、統一家の寄ってたかって長兄ばかりに責任を追求し続ける醜い有り様を神様とお父様に対して申し訳なく感じています。
◆マタイによる福音書第27章11節~26節◆
さて、イエスは総督の前に立たれた。すると総督はイエスに尋ねて言った、「あなたがユダヤ人の王であるか」。イエスは「そのとおりである」と言われた。しかし、祭司長、長老たちが訴えている間、イエスはひと言もお答えにならなかった。するとピラトは言った、「あんなにまで次々に、あなたに不利な証言を立てているのが、あなたには聞こえないのか」。しかし、総督が非常に不思議に思ったほどに、イエスは何を言われても、ひと言もお答えにならなかった。さて、祭りのたびごとに、総督は群衆が願い出る囚人ひとりを、ゆるしてやる慣例になっていた。それで、彼らが集まったとき、ピラトは言った、「おまえたちは、だれをゆるしてほしいのか。バラバか、それとも、キリストといわれるイエスか」。彼らがイエスを引きわたしたのは、ねたみのためであることが、ピラトにはよくわかっていたからである。また、ピラトが裁判の席についていたとき、その妻が人を彼のもとにつかわして、「あの義人には関係しないでください。わたしはきょう夢で、あの人のためにさんざん苦しみましたから」と言わせた。しかし、祭司長、長老たちは、バラバをゆるして、イエスを殺してもらうようにと、群衆を説き伏せた。総督は彼らにむかって言った、「ふたりのうち、どちらをゆるしてほしいのか」。彼らは「バラバの方を」と言った。ピラトは言った、「それではキリストといわれるイエスは、どうしたらよいか」。彼らはいっせいに「十字架につけよ」と言った。しかし、ピラトは言った、「あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか」。すると彼らはいっそう激しく叫んで、「十字架につけよ」と言った。ピラトは手のつけようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の前で手を洗って言った、「この人の血について、わたしには責任がない。おまえたちが自分で始末をするがよい」。すると、民衆全体が答えて言った、「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」。そこで、ピラトはバラバをゆるしてやり、イエスをむち打ったのち、十字架につけるために引きわたした。
「第四次アダム」とは、第三次アダムである御父様の次に来る第四次アダムもすなわちメシヤであることを言っている御言なのではないでしょうか。でなければ、第四次アダムという表現自体する必要がありませんよね・・・。では、その「第四次アダム」という御言をお父様がいつ語られ、語られるようになられた摂理的な経緯は何だったでしょうか。
自分たちこそ神様の願いに最も従順に従っていると誤認しつつ、必死になって罪のないメシヤを十字架につけたユダヤ人でした。
◆ルカによる福音書第23章34節◆
そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。
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