今だからわかること前編 | 誰にも言えず綴る

誰にも言えず綴る

余命宣告された夫は2023年8月、逝ってしまいました。これからどう生きていこうか…。

父の大腸癌が肝転移したとき

主治医は転移部分を切ればまだがんばれると、

手術を勧めたが


もうあんな苦しい思いはしたくないと、頑なに拒否。
抗癌剤も拒否し、自然に任せたまま3年に満たない闘病生活を終えた。

治療は拒否したが、

民間療法にはすごく積極的で、
東京まで足繁く出かけてがんに効くという何かを買っていた。

当時、ネットも普及していないから、
どんな形で情報を集めていたのか不思議だが、
父は交遊関係が広く人との繋がりを大切にする人だったので、
誰かしら助けてくれる人がいた。

父は自分でしっかり余生を歩んでいる人だった。

病院の受診はいつも1人で毅然として出かけた。

運転をしなかった父はちゃんと公共交通機関を使って通っていた。

思い返せば、私を頼ったことは1度もなかった。


当時、小学校上がりたての長男と幼稚園上がりたての次男を抱え、

息子2人ともがグレーゾーン発達障害の、

ワンオペ育児。

父なりに負担をかけたくないと精一杯の思いやりだったのかもしれない。


亡くなる半年前に、

最後の海外旅行。

母は無謀だと怒ったけど、

父の旅行仲間さん数人が協力してくれて、

何とか父は思いを遂げることができた。


ストーマをつけ痩せ細り弱っている父を、

よくぞ支えて連れていってくれたと、

感謝しかない。


父はやり残したことを悔やみたくなくて、

最後の海外旅行に行ったのだろう。


私にも遺書めいた手帳を残していた。

内容はほとんど母の事だった。

母の欠点や心配な事を書きながら、

くれぐれも母を頼むと言い残していた。


子供がそのまま大人になったような母を、

いつも庇い守ってきた父だった。

晩年、自分の体が辛くなってからは、

守るパワーが無くなり、

苛ついてしまう場合もあったけど、

父はよくがんばってきたと思う。


最後までしっかりすっきり生きた人だった。

強い人だったと、

今ならよくわかる。