わたしは、食べ物に執着がある。 | 女寿司職人◎モナリーオフィシャルブログ

女寿司職人◎モナリーオフィシャルブログ

2020年は寿司職人をしています!
すべてイチからのスタート。魚をさばき、シャリを炊き、お寿司を握る。
ひとつずつ成長していくアラサー女板前のブログです。


わたしは、食べ物に執着がある。


なんでそうなったかは、色んな理由があると思うけれど

自分で感じてる範囲では、


兄と弟の

年が近い男兄弟に挟まれて

料理や、お菓子の早いもの合戦があったから。

兄弟に負けないように、たくさん食べたかった。

1日食べられるお菓子の量が足りなくて、いつもキッチンのどこかにお菓子がないか探していた。(小学校のとき)

実家が健康食が多くて見た目が茶色のものが中心で、友達ん家で見る白米や、友達の弁当のカラフルさに強い憧れがあった。


わたしの親は、もちろん子供のためを思って

お菓子の量を制限し、健康的なゴハンを食べさせようとしたのは、分かる。

けど、わたしはその思いとは裏腹に

食への「もっとほしい!もっと違うアレを食べたい!」という小さな欲を、日々ちょっとずつ、つのらせていき、


大学生になるころに、

「人よりも、食への執着が強い」

と、感じるようになった。


大学生のころは、

スポーツをしていたこともあり

その集団のなかで

「他人が残したものまで食べる」

という笑いに走っていたこともあった。


小さいころに、

キッチンを探しまわっていて

追加のお菓子にありつけることもあれば、

ありつけないこともある。

その、成功するorしないの割合が絶妙だったためか、

探し回りつづけるモチベーションが

続いていた。


そして、大学生になって

「よく食べるね」

と、笑う友達や

「それだけ食べてくれると嬉しい」

という大人の言葉に

小さな喜びを感じ


ガンガン食べていたように思う。


たぶん、そこまでお腹は食べたいわけじゃなく

脳で食べてたんだと思う。


これくらいの経験は

ある人も多くいると思う。


幸い、病気になるほどの依存性はなく

25歳くらいのときに

「食べなくてもいいんだ」

と、気づくことができ、

「食べてもいいし、食べなくてもいい」

ことを脳に教えてあげることができた。


ただ、その感覚は

意識していないと

また、元に戻りがちだ。


さいきん、

食に対して、もうひとつ気づきが欲しいなぁと感じている。

カラダ感覚として、食べすぎもしくは、合っていないものを食べてる?

なにか変化を求めている感覚がある。


料理の仕事を始めて

圧倒的に、食べる機会は増えた。


当然、それもあるけど、

お店で料理を作っていると

大量の食材を目の前にするので


「食べ物が、豊富にある」


という感覚を、

潜在的に感じれている。


そのため、

「ムリにいま食べなくても、

残しても大丈夫だし、

食べなくても大丈夫。

だって食材はめちゃくちゃ、ある。」

と、体感で、教えられている。


ムダにするわけじゃなくて、

カラダに無理させて食べないということ。


それから、それから、

先日、台湾で食べたものたちが

もしかしたら、なにかヒントがあるような気がする。


台湾で、わたしが欲していたもので、

美味しいと感じていたものに

共通点がある気がする。


とりま、いまの感覚をつらつら書いてみた。