悲嘆の心理 | Mon allure

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Un hobby, quelquefois Travail.

私はブログであれSNSであれ

仕事のことをあまり書かないようにしています。


医療従事者として守秘義務の絶対的厳守というものがあるし

たとえば自分が書かれた当事者やご家族だったら嫌だと思うからです。


どこで誰がその文章等を見ているか分かりません。

良い事だったとしても、読む側の受け取り方は人それぞれです。


たとえそれを見た人自身が書かれている人に心当たりがなくても

どこかでポロリと喋ったときに繋がる可能性もあり

個人情報の流出も免れない危険性をいつも感じています。



なので、

私が関係している病院や施設のこととは切り離して

一般的なこととして読んでいただければありがたいです。




私は悲嘆心理や受容過程について

一時期たくさんの書物を読み

いろんな方たちの体験談を受け入れ

研究発表などもしてきました。


それは自分自身がその経験をしており

自分自身と向き合う過程でどうしても必要だったからです。



そんな私の経験自体は同僚もほんの数名しか知らないし

ましてやクライエントに話すことは絶対にないのですが

そのような経験を持った人たちによく話を聞いて欲しいと言われます。



臨床に携わる上では、机上では学べないことばかり。


死別を含め、育児、介護、障害受容等

実際の経験でしか味わえないことも多いですよね。

一般論を並べるのは簡単ですが、そんな単純なことではありません。


だからこそ誰もが一様に経験するわけではないことに関し

教科書には書いてないような心理的作用には

ただただ傾聴するしかないこともたくさんあります。

しかし、聞いてもらうだけで気が晴れることも多いものです。



でもその中で、自分も経験していることに関しては

受容、共感し寄り添いながらも、自分の考えを伝えることができます。



私の心理学はロジャーズから入ったので

非指示的で支持的であることにはいつも注意を払っていますが

死を思うほど迷い苦しんでいる時期には

少しのヒントが欲しくてもがいている時期でもあり

そのようなときはセラピスト側がそれを察し

今必要なことを伝えることも大事なことだと思うのです。


ただ、もちろん指示的であってはいけないと思ってますが

病状、病態によっては指示が必要なこともありますよね。




今回、助けを欲していると感じたときに面談をしている中で

私自身に対しても気づきを与えてくれた事例があります。


たぶんその方は無意識に

私の本質を見抜いて指名をしたのではないかと感じました。



詳細は省きますが、その面談の中で私が話した内容です。





人は必ず死にます。

それは明日かもしれないし、100年後かもしれない。

それでもいつか必ず死ぬのです。


死後の世界があるかどうかは分かりませんし

私が特にそれを信じているわけでもありません。


でもそんな世界があるとして

あの人が待っていてくれるならば素敵だなと思います。


いつか自分にも死が訪れたとき、向こうで待っていてくれた人が

「がんばったね」と頭をなでて抱きしめてくれる。

そんな生き方をするために、私は毎日を大切に生きています。


あの人が生きたくても生きれなかったこの世界で

自分のまわりの少しの空気さえいとおしく思いながら

あの人の分も美しいものを見て感動し、笑い、泣くために。


よしよしって頭をなでて欲しい。

ただそれだけのために生きていくのは決して悪いことではないはずです。



会いたくてたまらない気持ちは皆同じ。

だからこそ、残された私たちは生きなければならないのです。



「がんばる」という言葉はあまり使いたくありませんが

「がんばったね」と言ってもらえるのはうれしいものですよね。





これがおおまかな内容ですが

私だからこそ綺麗ごととしてではなく

真実味を持って話せた内容かもしれません。


そしてさらに

その言葉は自分自身にも深く突き刺さりました。


それと共に

モヤモヤとしていたものがスウっと晴れていくようにも感じました。


私は生きている。

これからも、このことをもっと深く感じながら生活していこうと

心を新たにできました。




生きるってことは、簡単だけど難しい。

でも、難しいけど簡単なことなのかもしれません。