『毒ガス資料館』。
広島県出身の役者さんから聞いた話。

少なくても、その役者さんは子どもの頃、『平和学習』で毎年(って言ってたかな?)、『原爆資料館』を訪れていたとのこと。

それ、とても大事だと思う。

『原爆資料館』の展示物は変わらなくても、小学校の低学年・中学年・高学年とでは感じ方や受け止め方が違ってきて、足を運べば運ぶほどより深く学べる気がするから。

どんな流れでその話になったのかは覚えてないんだけど、広島県には、原爆資料館だけではなく『毒ガス資料館』もあると聞いたので、新しくなった原爆資料館と共に訪れたいと思ってる。

戦争を知らない世代だからこそ、戦争に関する資料館には足を運びたいと思ってる。

長崎と沖縄にも行ってみたい。

私が戦争……第二次世界大戦に興味を持ったきっかけは、シンガポール日本人学校中学部で学んだ『シンガポールの歴史』。

『社会科』の括りではなく、『国際』という授業だった。

シンガポール目線での戦争の捉え方の授業を受けて、ものすごい衝撃を受けた。

戦争という『事実』はひとつでも、関わった人の数だけ『捉え方』や『感じ方』が違うことに、驚いた。

そして、ただただ哀しくなった。

戦争は、大多数の人間を『不幸』にしかしない。そして、誰も責任は取れない。
人を殺すことはできても、生き返らせることはできない。

前世紀のシンガポールの中華街には、戦争体験者の華僑のご老人が健在で、一時期、同じ日本人から見ても態度が悪すぎて恥ずかしい浮かれポンチ(←)な日本人観光客へ『生卵』を投げつける事件(?)が少なくなかったと聞いたことがある。

私が実際に見聞きした話ではなく、伝聞だったからどこまで事実なのかは知らないけれど、いろんなルートからその話は耳にしたし、現地では有名な話だった。

生卵を日本人観光客に投げつけるご老人たちは、泣いていたそうだ。

「あんたに直接の恨みはないが、あんたが日本人だというだけで許せない気持ちになる。日本人を見ると、あの時を思い出す。家族を殺された時のことを思い出す。なんで自分の家族が殺されなければならなかったんだ!なんで自分は生き残ったんだ!」

……というニュアンスのことを、泣き叫ぶ人もいれば淡々とぶつける人も居たそうだ。

石などかたいものをぶつけて万が一ケガでもさせたらえらいことになるから、『たまご』だったらしい。

大多数の日本人観光客は、英語も中国語も訛ってる英語もシングリッシュも理解できないから、怒鳴られたり捲し立てられてもきょとんとするしかなく、その態度が火に油を注いでいたらしい。

話は逸れるけど、日本軍は華僑を大虐殺したらしい。

数人をまとめて縄で括って砂浜に立たせ、まずは銃で撃って、倒れたら近づいて息のある者を銃剣で刺して回ったらしい。

たまたま、他人の返り血を浴びてたから死んだフリをして生き延びた人が数人いて、後年、その人たちがその時の経緯や光景(生々しいから割愛)を語り継いでいるという話をきいた。

日本政府はその件を否定していたらしいけど(真実は知らない)、戦後、海を埋め立てようとした時に人骨がざくざく出てきて「やっぱり虐殺してたやん!」ということになり、一悶着あったあと、慰霊碑が建てられた。

英語で慰霊碑の説明書きがされているにもかかわらず、日本人観光客はその慰霊碑を数あるオブジェのひとつと認識していて、笑顔のピースサインで記念撮影してたらしい。

その無神経さに現地の人たちが大激怒、という話も聞いたことがある。

慰霊碑に関しては、当時、見つけられなかったのでその話もどこまで本当なのかな?って未だに疑ってるけれど、当時の日本人観光客は本当に横柄で無礼で勘違い野郎どもしかいなかったから、そういうコトがあったと言われても素直に納得する。

シンガポールという、公用語が英語の国へ観光旅行に来てるのに、全て日本語で押し通すのが『当たり前』のようにしか見受けられず、嫌だった。

それって、日本軍がシンガポールを占領後『昭南島』と名付け、日本語以外禁止……にした時と被る人には被るのに。。。

海外旅行するなら、その国の歴史や日本との関係をしっかりと調べて、せめて『英語』くらいは使えるようになってから旅行して欲しいと今も昔も思う。

一時期の、老若男女問わず日本人観光客は本当に恥ずかしかった。

私は華僑によく間違われていたので、日本人観光客のおっさんたちに日本語で娼婦扱いされたり、公衆の面前で堂々とお尻や胸を触られたり(ある種の集団レイプ)、華僑を見下した発言などをされた。

どーせ日本語わかんねぇだろ?って。

馬鹿が。

血気盛んなお年ごろだったのもあり、何度、オーチャード・ロードの観光地でおっさんたちと敢えて派手にバトルしたことか\(^o^)/

そんな経験があり、私は日本人なので、日本人から見た戦争をきちんと認識したいと思い、今に至る。

原爆に関しては、

動の広島。
静の長崎。

……との、捉え方もあると聞いた。

なぜ?
どうして?
何が違うの?

戦争を知らない世代だからこそ、あらゆる角度から『第二次世界大戦』を知り、二度と戦争を起こさないよう声をあげるべき時にはあげないとダメだと個人的には思ってる。

たかが選挙。
されど選挙。

戦争をすることによって儲かる人がいることも、事実。

戦争をしたがる国があることも、事実。

いつだって、痛い目を見るのは名も無き国民。
政府のお偉方の大半は、高みの見物。

『過去』の日々があっての『現在』で、今、この瞬間の『選択』が『未来』へと繋がってる。

ひとりひとりの力は微力でも、国を変えることはできなくても、自分と自分の大切な人たちの幸せを守ることはできるので、『世界情勢』も『歴史』も学んで損はないと思う。

だから。

課外授業でも修学旅行でもいいから、小中高の間に、遠方からでも広島・長崎・沖縄の戦争に関する資料館へは行った方がいいと思ってる。

余裕があれば、知覧特攻平和会館も。

『毒ガス資料館』について話してくれていた時の彼女の表情が忘れられない。

それだけで、そこがどんな場所なのか想像ついた……