ピート・タウンゼント目線(EC/ JB 73~75) | Mona Lisa was a woman.

Mona Lisa was a woman.

Life is so strange, Destination unknown.
When you don't know, Your destination.
Something could change, It's unknown.
And then you won't know, Destination unknown.

「彼は大きな2つの事をやってのけた。ひとつはヘ○イン中毒から立ち直った事、もうひとつは自分で行動を起こして、長年の夢を実現したことだ」

商売道具であるギターさえ手につかない程に、ただただモデルでフォトグラファーでご友人のThe BeatlesのGeorge Harrisonの奥様でおられたPattieに恋をして、薬にのめり込んでいたEric Claptonを自身の経験を元に、孤独の縁より救い出したPete Townshendの助けもあり、Eric Claptonが自分を取り戻した頃にはPattieの心はGeorge Harrisonから離れていて、行動を決意したEric Claptonと一緒にGeorge Harrisonの家に行き、Pete TownshendとGeorge Harisonが話しをしている間に、もうひとつの部屋で夫と別れる様Pattieを説得され、1974年から一緒に暮らし始めたEric ClaptonとPattie Boydを見て、Pete Townshendが言った言葉です。

上記の期間は1970年にリリースされたソロアルバム「Eric Clapton: Deluxe Edition/Eric Clapton」の原盤から、1974年のソロアルバム「461 Ocean Boulevard/Eric Clapton」の原盤が発表される間の2年半であった模様で、この間にCream時代にErick Clapton達がご自身にインスパイアされて創った"Sunshine of your love"を気に入り、自分でも歌われたJimi Hendrixは1970年9月18日に亡くなり、Derek and the Dominosでスタジオ・セッションしたDuane Allmanは1971年10月29日に亡くなっておられます。
Duane Allmanは24歳でモーターサイクル・アクシデントにより亡くなりましたので、当時亡くなられた方の中では最も若くして逝かれた方かもしれません。
そしてDuane Allmanと共に創り上げたシングル"Layla"の大成功の裏に1970年のソロ・アルバム「Eric Clapton」や1969年John Lennon and the Plastic Ono Bandのライブ・アルバム「1969 Live Peace in Toronto 1969」への参加、またはDelaney & Bonnie & Friendsのライブ・アルバム「1970 On Tour with Eric Clapton」への参加、或は1970年Vivian Stanshall and the Sean Head Showband等との活動は隠れてしまう形となったのかもしれません。
この様なアクティブな活動と薬物依存での混沌の中ををくぐり抜け1974年にナンバー・ワン・ヒットとなったのが「アイ・ショット・ザ・シェリフ/ I Shot The Sheriff」。まさに不死鳥と呼ぶに相応しいかもしれません。

Eric Clapton "I Shot The Sheriff"

1973年Tim Bogertの交通事故によりツアーはキャンセル、解散が噂されておられたBeck, Bogert & Apiceは1974年の1月にヨーロッパ・ツアー。2月にニューオリンズのマルディグラ・フェスにご出演の後2作目のスタジオ・アルバムの収録中に解散とはなりましたが、その収録曲はChar, Bogert & Appiceでも演奏されておられる様です。Jeff Beck名義では1991年発売の3枚組コンピレーション・アルバム「ベッコロジー/ Beckology」にBB&A 2nd用の収録テイクの"Jizz Whizz"が含まれている模様です。

Jeff Beck Groupの1srアルバム「Truth」のDelux盤等でJimmy Pageと共にドラムスやティンパニーでご参加されたKeith MoonがPete Townshendにどの様に映っていたのかは知る由もございませんでした。

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