ロックは現象、とカルメン・マキ&OZを知って以来いつも考えております。
カルメン・マキ:
アイルランド人とユダヤ人の血を引くアメリカ人の父と日本人の母との間に生まれる。
1968年、私立香蘭女学校高等科を二年次で中退。イラストレーターか役者になろうかと考えていた時期に、詩人の寺山修司が主宰していた劇団「天井桟敷」の舞台「青ひげ」にたまたま友人に連れられていった。その舞台に感銘を受けた彼女は即入団を決意。同じ年の8月に新宿厚生年金会館での「書を捨てよ町へ出よう」が初舞台(まだこの時は本名の「伊藤牧」名義)。この時、CBSソニーの関係者の目に止まり、歌手として契約。 芸名の「カルメン・マキ」はこの時期に舞台の練習中にたまたま思いついたものだという。
翌1969年に『時には母のない子のように』(作詞は寺山修司)でデビュー。十七歳とは思えないその妖艶な雰囲気と歌唱力、そして投げやりな歌いっぷりが話題を呼んだ。「本当に親のいない子供にとっては残酷な歌」と言う批判の声があったものの、大ヒット。また、NHK紅白歌合戦への出場も果たす。ちなみに、彼女の曲には武満徹やクニ河内が作曲を、作詞に前述の寺山修司の他に谷川俊太郎が歌詞を寄せている。
これ以降も個性派歌手として活動し、六枚のシングルと三枚のアルバムをリリースする。前述の『時には母のない子のように』の他にも『山羊にひかれて』や『私が死んでも』『戦争は知らない』と言ったヒット曲が出た。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この後ロックに転向する事になったそうですが何がマキさんをそうさせたのか詳しい事は分かりません。
ただ確かなのは日本のロック界においてとても重要な存在であったと言う事と、OZと出した音楽はロック以外の何物でもなかった。それはどこか偶然の出来事であった様でも有り、その時代には必要だった何年かに一度の彗星の様な出来事だったのかもしれません。
軽々しく触れてはいけないとも思えるそのセンチメンタルな雰囲気には時代を超えて心を打つものが有り、耳を傾けざるを得ないのです。
"Watashi wa Kaze" Carmen Maki
・・・先駆けです・・・
関連記事:「ロック・シンガー」