「わきまえる」という言葉があるけれども、わきまえられる側も「わきまえる」という心づもりを持って在ることができたならば、そうおかしなことにはならないのではないだろうか。
「ここまでやってあげたんだから、これくらいやったって罰は当たらないよね」という甘えがあると、自分でも気づかない内に、やはりおかしな人間になってしまう。
けれど、今の世の中で、このことに気づける人は少ない。みんな表面的なことしか見えてないから。
船の舵取りと同じで、少し傾けただけでどんどん進んでしまうその方向は、自分がそもそも行きたかったのだろうか?と立ち止まり考える時間を取ることは重要だ。
ゆとりを持って生きるって大切だ。
どう在りたいか?というクッションを挟みながら進むことができる。
何のチャレンジもせず、ゆとりを持つことは容易いかもしれない。
大きなチャレンジをする中でゆとりを「作る」というチャレンジをする、が目下の課題だ、うぐ…😵💫
空に向かってエンジェルレーダーが放たれていた美しい夕日✨
