例えば、過去が現在を作り、現在が未来を作るならば

不必要な過去なんかなくって無駄な現在もない。


そうなると、過去に起こった事柄や出会った人々は

現在、そして未来の自分にとって全て必要だったということ。


過去があるから現在がある。

そしてその現在をどう受け容れるかによって

未来への一歩は変わるのかもしれない。




とはいえ、時には消してしまいたい過去や

思い出したくない現実もあるだろう。

いくら現在の状況に満足していても

辛い過去は辛い過去であり、忘れたい過去は忘れたい過去。


必要だからこそ忘れられないのかもしれないが

だからといって、辛かった過去や消し去りたい過去を肯定する必要は無い。

見たくもない現実や、思い出したくない過去に突然直面したとき

動揺する気持ちは当たり前であり、それをどうにかしようとすると

辛さは倍増し、消し去りたい、忘れたいという気持ちも強くなってしまう。


だからこそ、辛いことは辛い。忘れたいことは忘れたいこと。

嫌なことは嫌だと、その素直な感情を受け容れる方が自然なのかもしれない。

自然に芽生える感情が、たとえネガティブなものだったとしても

それは自分の素直な気持ちなのだから、それを受け止める。


ネガティブな感情を持たない人間なんていない。

そもそもネガティブは悪いことでもなんでもない。

ポジティブな気持ちがあるなら、その反対が存在するのは当たり前だ。



心に湧いた、その時の感情をそのまま受け止めてあげる。

そんな風に、時には自分に優しくなってもいいのかもしれない。

感情に支配されてしまうことがいいとは言わないが

ポジティブに考えようとムリをするよりもずっといい。




ネガティブマインドも、角度を変えて見たらポジティブマインドだったりするのだ。









今日は、この2年間を振り返ってみようかと思う。

前回、前々回のブログと比べ私的にはなるが、どうしても書き残したいので。




2007年夏にパニック障害とうつ病になった。

同年の10月に実家に帰り闘病生活がスタートした。

正直、あの頃の記憶には靄がかかっていて、思い出せない部分がほとんどだ。

それでも今年に入ってから、少しずつ記憶が蘇ってきたものもある。

それは、自分がその記憶を受け入れられる状態まで回復したからだろう。


リハビリ期間も含む、この2年以上の期間は、辛いことのほうが多かったかもしれない。

今ここで、こんな風にブログを綴っていられることが奇跡に近い。

いや、奇跡が起きたのだと思う。

その奇跡は、一人では起こせなかったもの。

沢山の人達が、沢山のパワーをくれたことで起きた奇跡だと断言できる。


それくらい、多くの人達に支えてもらっていた。今になって改めてそれを感じる。


2007年、2008年、長い長いトンネルに入ってしまったように思っていた。

出口も見えない。やっと見えるようになっても、針の穴のような光。

一人ぼっちで、孤独で、回復しだした2009年になっても

社会と断絶された環境にいると思っていた。

孤独を感じ、取り残されていると感じる日もしばしばだった。


けれど今はそうは思わない。

沢山の人達が、トンネルの外で一緒に歩いてくれていたと気づけたから。

分厚い壁があったから、当時はそれに気が付けなかったけれど

出口が近付くにつれて、沢山の励ましの声が聞き取れるようになった。


失ったものも多い。できなかったことも沢山ある。

けれど、この経験は私の財産だ。

家族と自分を愛せるようになった。

一生涯の友情を築くことができた。

心から守りたいと想える人に出逢えた。

もし、あの時パニック障害とうつ病になっていなかったら?

会社で何事もなく働き続けていたら?

そう考えるとぞっとする。

今の自分にはなっていないし、今得られた宝物も得られてなかったと思うから。



関わってくれたすべての人達にありがとうが言いたい。

あの頃傍に居てくれた人達にも、そうでない人達にも。

「大丈夫かな」そう思ってくれていた、その気持ちが

どんな薬よりも私を回復に導いてくれた。


「傷ついた分だけ優しくなれる」そんな言葉があるけれど

むしろ「傷ついた分だけ優しさを知れる」なのではないかと思う。

そのくらい、沢山の人達の沢山の優しさを知った。



辛いという字に一本棒を足すと幸せになる。

その一本は、自分以外の誰かなのではないかと思う。

誰かがいないと幸せになれない、ではないけれど

生きるってやっぱり支え合いだと思えるのだ。


一人では持ち切れない荷物を、そっと持ってあげられる、そんな人間になりたい。

辛いと嘆いている人に、棒を一本足してあげられる、そんな人間になりたい。

そんな人達が自分の周りには沢山いる。彼らのような人間になりたい。


2007年、2008年、2009年は雨の年だったかもしれない。

けれど、2010年、雨上がりの虹を見た。そんな気がする。

沢山雨が降ったということは、潤ったということ。

2010年は沢山花を咲かせよう。

その花を、沢山の人達に贈れたらと思う。





ユング心理学では、ピンクは「幸せ」を象徴すると言われている。


最近ピンクに目が行くようになった自分は

以前よりも幸せを感じられているのだろうか。

それとも、幸せになりたいという願望がピンクを求めているのだろうか。



今回のblogのテーマは「幸せ」。



人は、幸せをどんな時に感じるだろうか。

嬉しい時、楽しい時、感動した時、美味しいものを食べている時・・・

幸せを感じる瞬間は人それぞれ。



しかし、そもそも「幸せ」とはなんなのかと考えてみると

「~している時、~な時」ではなく

何かに対し「幸せだ」と感じられている、それ自体が「幸せ」なのではないか。

という結論に至った。



当たり前のことが実はとても幸せなこと。

それに気づけることが「幸せ」なのではないだろうか。


嬉しい、楽しいありきの「幸せ」なのではなくて

そういうものを感じられるということ、それ自体が幸せ。

そう考えると、自分はとても幸せなのだと思えてくる。



物事に対しても、幸か不幸か、それはとらえ方次第。

自分を幸せな人間にするのも、不幸な人間にするのも自分次第なのだ。


だとすれば、自分を幸せな人間にした方が、人生は楽しい。

幸か不幸かが自分次第で決まるならば、幸せになることはとても簡単なこと。

どんなに不幸でも、とらえ方次第で幸せにはなれるのだ。


「自分は幸せだ」そう思いながら歩める人生はまさにバラ色、ピンク色。


幸せに、人生を歩んでいきたいものだ。