人は皆、生まれた瞬間から死に向かって進んでいる。


これを書いている私自身も、いつその死が訪れるかはわからない。

死までの時間があと50年あるのか、それとも10年なのか

もしかしたら10分かもしれない。


死は待ってくれず、容赦がない。

どんなに幸せの絶頂にいても、死が突然訪れることもある。

空気をよんでくれと言ってもそれは通用しないのだ。


では、残された時間をどのようにして生きたらいいだろう。

どうせならば、残された時間が長くとも短くとも、悔いのない人生にしたいところだ。




今生きているこの1秒1秒に、自分の命が削られているのだとしたら

人生という砂時計の砂がどんどん落ちていっているのだとしたら

その時間を何に使いたいか、自問自答する。

そうすると、おのずと自分の一番大切にしているものが見えてくる。


「夢を追うこと」「自己実現」「愛する人との時間」「一瞬一瞬の楽しさ」


どれもこれも素晴らしいことだ。


人生はもう生きた分だけ過ぎてしまっている。

自分が持っている「残された時間」というものを、悔いのないように使いたい。




ところで、「死は待ってくれない」と前述したが

だからと言って、死にとらわれてしまうと焦りが生じる。

残された時間を考えてあれもこれもと考えてしまうと、人生はあまりにも短く

死の恐怖に捕らわれたり、死を理由に全てを投げ出してしまいかねない。

「いつ死ぬのだかわからないのだから・・・」と。


しかし、それではもったいない。

確かに死は待ってくれず、突然訪れる可能性もある。

それでも自分は今生きているのだ。そのことを忘れてはいけない。


この1秒1秒は死に向かっているかもしれないが、それでも自分は生きている。

この「生きている」は現在進行形。これをいかに味わうか。

生きているという今を、どれだけ味わって楽しむかで

人生の輝きや濃さは変わってくるのではないだろうか。


死が待っていることも事実。

けれども、今生きていることも、まぎれもない事実。

だとしたら、この「今」をしっかり味わって、人生を謳歌したいものだ。


残りの時間を考え、自分にとって今一番大切なものを見極め

尚且つ今の一瞬一瞬を味わう。

それが、今を生きるということなのではないだろうか。





人は幸せな時でも、負のスパイスを味わおうとしてしまう。


例えば、幸せな結婚生活の中でも順調な仕事の中でも

「自分のためだけの時間がないのが不満。」だとか

「残業でドラマを見逃してしまった」などと言うことがある。


これらは些細なことではあるが、負のスパイスである。

充実した幸せな生活を送っていても

何らかの不満を持ち現状に100%満足できないでいる状態。

これが負のスパイスを味わっている状態だ。


しかしこれは、決して悪いことではない。

この負のスパイスはあくまでもスパイス。

幸せという料理の隠し味なのだ。

スパイスが効いているから、より美味しいのかもしれないし

単調な味でないからこそ、飽きが来ないのかもしれない。


そう考えると、負のスパイスを味わうということは

同時に幸せを噛みしめているということなのかもしれない。



しかし、何事も度が過ぎるとよろしくない。

料理のスパイスも、入れ過ぎると、とても食べられるものではなくなる様に

この負のスパイスも、味わい過ぎると幸せを感じられなくなってしまう。


そうなると幸せを感じながらの不満というよりも

ただ「・・・が不満。・・・が辛い」という風になり、結果「不幸」になってしまう。

負のスパイスによって「不幸」になった場合、自ら不幸を選んでいるので

なかなか幸せを見出すのが難しくなる。


けれども、幸せに対しての負のスパイスがあるように

不幸に対しても正のスパイスがある。

どんなに不幸でも、よく味わってみたら、幸せというスパイスが隠されていて

それに気づけた時、そのスパイスは人生という料理を

大変美味しいものにしてくれる。



充実した幸せな生活の中に、満足できない何かが出てきたときには

それを不幸だと感じるのではなく、まず最初に

それが幸せを味わうためのスパイスだと考えてほしい。

そして、不幸な人生を送っているとおもったら

そんな人生の中にも必ず幸せのスパイスが隠れているということを思い出してほしい。


そうすることで、どんな時でも、人は自分自身を

自らの手で幸せに導いていけるだろう。



音楽療法に「同質の原理」というものがある。

これは、音楽を用いたアプローチをするうえで

聴き手の気分や呼吸の速さなどにあった曲から始め

次第に曲を変えていき、聴き手の気分や呼吸を誘導していくというものだ。



こんな経験はないだろうか。


恋をし始めた時には幸せな恋愛ソングが聴きたくなるが

失恋した時には失恋ソングが聴きたくなる。


または、楽しい気分の時には明るいアップテンポな曲を好むが

悲しい気分の時にはそういった曲は受け付けられずに、暗い感じのスローな曲を選ぶ。

誰でも一度はこのような経験をしたことがあると思う。



これには理由があり、人は無意識に

気持ちや呼吸の速さに合った音楽を求める傾向がある。




この「同質の原理」を用いた、アプローチの例をあげてみる。



【イライラしているとき】

マイナー調(短調:暗めのメロディー)のアップテンポの曲。

メジャー調(長調:明るめのメロディー)のアップテンポの曲。

メジャー調のスローテンポの曲。


イライラしているときは呼吸も速いので、まずはアップテンポの曲をかける。

その後は呼吸の速さを考慮して同じようにアップテンポの曲を選ぶが

曲調をメジャーに変えることで明るい気持ちに誘導する。

そして最後にメジャー調のスローテンポの曲にすることで

呼吸がゆっくりになりリラックスができる。


1曲で気分や呼吸が誘導されるというわけではないので

聴き手の様子を見ながら徐々に曲を変えていく。


自分自身を誘導したいときは、心地良さに重点をおくとよいだろう。

そして徐々に無理のないペースで曲を変えていくと

気分や呼吸の誘導ができリラックスができるだろう。


【落ち込んでいるとき】

マイナー調のスローテンポの曲

メジャー調のスローテンポの曲

メジャー調のアップテンポの曲


落ち込み、無気力になっているときなどは

マイナーのスローテンポから徐々にメジャーのアップテンポにすることで

気分を明るくし、気持ちを元気にすることができる。



これらの例も含め、気をつけなくてはならないのは無理をしないということ。

聴き手がいる場合も、自分自身の場合も

その曲に対してストレスを感じていないか、心地良さを感じているかという点を

しっかりと確認することが大切になってくる。


元気になりたいから、明るい気持ちにしたいから

という気持ちはひとまず置いておいて、その時に自分が求める曲調、テンポの曲を選ぶ。

このことが音楽でリラックスするためのキーポイントだ。

そして、徐々に、自分がなりたい気分や気持ちに近い曲に変えていく。


意識的に音楽で誘導しようとすると、その気持ちが邪魔をして音楽に浸れないのではないかと

思う人もいるかもしれないが、音楽は本能や快・不快に直接作用するものの一つなので

理性や意識関係なく気持ちを誘導してくれることだろう。



ストレスを感じた時や元気になりたいときに、このようなアプローチを使ってみてはどうだろうか。