田舎サブカル者の作り方 | 泥酔天使の超泥酔天獄

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妄想が止まらず感情が昂った時に書きます。

僕はSHOWROOMの番組「猫舌SHOWROOM・豪の部屋」を見ているんですが、そこに40後半~50代前半の地方出身のゲスト(主におっさん)が出演した時によく出る話題、地方でサブカルを好きでいた者の苦労と悲哀について感じていることを少し書きたいと思う。

 

インターネットのない時代。地方のテレビ放送は民放2局とか3局しかなく、田舎の若者文化は周回遅れのメジャーなものとヤンキー暴走族文化のみ。

 

そういう環境に馴染めず、思春期にサブカル系雑誌(宝島、FOOL'S MATE、DOLL等)を隅から隅まで読みあさり知識を吸収していた。(その雑誌も町で一番大きな本屋に2冊しか入荷しなかった)

その知識の大半はどうでもいい無駄な知識・情報だったが、サブカル(面白そうなもの)への飢餓感はその得たものをどう面白がるかという力を育てたと思う。当時は玉石混交で情報が少なく熟慮して通販で買ったものが思ったものと違うことはよくあった。限られたお小遣いから購入したため簡単に諦めることはできず、どこか面白がれる要素はないか考えた。

 

今のサブカルと当時(1980年代後半~90年代)のサブカルは変わってしまっているし、そもそも「サブカル」自体がもう死語ではあるけど、当時田舎でのサブカル好きはオシャレとかではなく完全に異端者扱いされ、隠れキリシタンのように迫害弾圧されたため、ひっそりと信仰を深めていっていた。

迫害された経験、好きなものに対する熱量と努力、そして無駄なものも面白がる許容と妄想、そういったものが相まって当時の田舎のサブカル者はできあがっていったんじゃないかと思う。今でこそ、マイナーなものを知ってることで一目置かれることはあるが、当時は奇人変人扱いだった。

 

サブカル雑誌を読んでいると、当たり前だが流行の先取りをすることはよくあった。自分が好きなものがしばらくたって数年後にブームになった時の喜びは日頃迫害されていた分「それ、みたことか」という気持ちになった。そしてそういう時の周囲の手の平返しを経験する。

自分がどんなに素晴らしいものか力説しても興味を持たなかった人たちがテレビで取り上げられると「前からいいと思っていた」と言い乗っかる。今も昔も変わらないが「テレビで取り上げられたもの」=「価値あるもの」という価値観は特に田舎では絶大だった。

 

多くのサブカル好きがそうであったように自分の好きなものが評価されるのはうれしいものの、自分が好きなものを見つける喜びの方が大きかったように思う。(当時の「サブカル好き」が後に「オタク」とよばれるようになったと思う)

 

インターネットのない時代、田舎でテレビから得られる情報以外を集めることは莫大な熱量が必要だった。効率ではなく熱量。迫害された経験は都会の比ではない。そして、迫害されるリスクを負いつつ、無駄や失敗を(結果的にではあるが)受け入れ何とか楽しもうと知恵をしぼり、想像・妄想の積み重ね、その諦めの悪さが自信と深みと説得力、そして面倒臭さを与えた田舎サブカル者ができあがったように思う。

 

後に有名になるものでも、無名時代はあり、今にして思えば、情報をテレビから得るか、少し早く雑誌から得たかの違いではあるけども、思春期に、世に出る前、世に出ることなく消えていった無数の有象無象に触れた経験、好きなものをよく知らない人たちに非難・迫害された経験はその後の人格形成に多大な影響を及ぼしたと思う。

感受性が豊かなうちに雑多なものに数多く触れ、本気になり、失敗することで「自分にとっての本物」を見つける能力は身につく。

 

40代後半になり今、実感することは

・売れてるもの、評価されてるものにはそれだけの理由がある。

・売れてる売れてない関係なく「自分にとって大切なもの」を見つける大切さ。

・自分の好みとは別に客観的な視点を持つことの重要性。

・他人が本気で好きなものを知りもせず否定しない。

同様に自分が知らないこと(特に若者文化等)を安易に否定しない。

(それをしたら自分がやられて嫌だった、バカにしていた当時の大人と同じでは?)

無理に好きになる必要はないけど、尊重し理解しようとすることは必要だと思う。

・相手の使ってる「好き」の意味をよく見極める。自分の「好き」と同じと思ってはいけない。「知ってること」を「好き」という人は案外多い。あなたのように「それが無くては生きてはもの」として「好き」と言っている人は少ない。

・「オタ友」は大事。

 

こういう話を誰かと共有したいです。