●mon-petit●

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素敵な横浜

元町方面へ

 



♪ きっと素敵に
チャ~ミング ♪


 


チヤーミングセール

【MIHAMA】の靴を
見に行きました




そしてキク屋の
横から入れば
もうそこは
中華街ですわね奥様




 


まあ、なんですの
本日の中華街は
大変な人です事・・・



とにかく
海外も含め
観光客が多過ぎます



なんか違いますわね、、、

  


あいやー!?
なにあるか???

今日の中華街は
めちゃくちゃ混んでるあるよ

いつものフカヒレのお店も
たっくさん人並んでるアル


 


仕方ないアル



フカヒレがないなら
亀ゼリー買って帰るアルよ

  
 
セーフ?
 

コラーゲン入り
健康ゼリー
美容と健康の
亀ゼリーざますわ





























お花  神田 お花

近江屋洋菓子店
http://www.ohmiyayougashiten.co.jp/

検索人気の
近江屋フルーツポンチ ハート


プレゼントしていただきました
はーと キラキラ2 はーと キラキラ2 はーと キラキラ2
 予約して買うの?




キラキラ  メロン、キウィ、マンゴ、スモモ、リンゴ
     梨、メロン、グレープフルーツ、巨峰

 キラキラ  ブラッディグレープフルーツ
    パイナップルetc キラキラ




今夜は食後に家族で
少しづつ頂きましたキャー

上品な甘さで
とってもおいしかったですかえちゃんへ






※心配してくれる方
すみません
本当にありがとうございます
※ピグを下さる方
本当にありがとうございます
どんくさくて開けられない
未熟者で申し訳ありません
愛してまーすラブ キラキラ Wハート


放置プレイって、、w

文章がまとまらないうちに
どんどん時間が経ってるので

レアケース紹介したいもったいないと
思いつつ旬を逸してしまったのです
祭とか・・花火とか・・9月かな(字足らず)
衣装箱・着物の重さで・押入れの棚が外れる(字余り)
やる気ない俳句ですみません



アメリカにいた時の感覚で
世界の日本が見えるため
ケントギルバートさんのブログで
英語の勉強もしてます

http://ameblo.jp/workingkent/










今年は成人式の
お手伝いをするらしいので

未熟者は今から
練習してますよ

 





なんでまた
不慣れで

初心者としてしか
参加できないものに

私は
入って行こうと
するのか!?




それはですね

いつも
思っている
若い頃に聞いた
言葉があるのです

そうですね
丁度 

成人式の頃なので
あの頃の気持ちが
蘇ります


それは
経営の神様
松下幸之助氏の
お言葉なのですが・・・


青春とは心の若さである

信念と希望にあふれ
勇気にみちて

日に新たな活動を続けるかぎり

青春は永遠に
その人のものである

自分には何もないと思っていた時に
突き動かされた言葉でした


※松下幸之助氏は
アメリカの詩人
サミュエル・ウルマンの
「青春」と言う詩に
共感を覚えて
出た言葉だそうです







ちなみに
ようやく私も

この辺りの和柄の
文様や意味・歴史など
勉強しているので

本当に少しづつですが
分かってきました にへ 音符


この振袖の柄は
【宝尽くし】です

宝尽くしには
キラキラ 熨斗・宝珠
七宝・打出の小槌に
巾着・丁子・分銅・宝剣ハート
法螺・隠れ蓑・金蓑 などが
描かれています 振袖 


着物好きだった親も
娘が引き継いだことに
喜んでおります aya


親が生きているうちに
少しでも
喜ばせることができて
良かった良かった泣 ハート









なんびと(何人)も
生きている間に

何に洗脳されているか
分からないものですが





身近なことからコツコツと顔
小さい砂場を昇って行けば
次の滑り台も登ります喜

少しづつ積み重ねて
行けばいいんですよね ラブ

成人式を迎える皆様に
喜んでもらえるように

今から私
頑張って
ちゃんと
プロフェッショナルの技
になるように
練習しますね!音符 音符 音符






なんとしても二階へ上がりたい
どうしても二階へ上がろう
この熱意がハシゴを思いつかせ
階段をつくり上げる
上がっても上がらなくてもと考えている人の頭からは
決してハシゴは生まれない








訪問着も練習



















また先日
NHKで再放送していましたね

まさに日本人らしい
無実のかぶり方です

真実は一つ
正義は勝つ

なんて言ってるあいだに
何年も黙っていると
その間、

ずーっと
ずーっと


何十年、

何百年と
軽蔑され
侮辱され
etc


過去や
未来までも
否定され

どんどん汚されて
しまうのです



【見苦しい言い訳】

なんて
常識的な日本人ほど
根強く持っている
品格ですので

日本人には
言い訳する輩の方が
下品にみえる訳なのです

私も自分が悪くなければないほど
言い訳することができないのです




2014年のブログから
再掲載しておきます




2014年05月12日記事

1912年に大西洋で沈没した

英豪華客船タイタニック号に

唯一の日本と人して乗船救出された男性の手記が


25周年を迎えるのを記念し

「秘蔵コレクション」の一部として


【横浜みなと博物館】で

18日(日)まで公開されていましたので

見てきました。







救助された男性は、ミュージシャンの

YMO細野晴臣(66)の祖父、細野正文氏

正文氏の息子さんによって発見されるまでは

生前世の中に公開されることもなく

このタイタニック号の便箋に書かれた手記は

細野さんの家の奥に眠っていたようです。

婦人を押しのけて強引に乗り込んだとして

イギリス人から指摘され世界中から

非難を浴びてしまいましたが

それは彼ではなく別のボートの話だった

そうですね。


「事故当時、細野氏が乗ったのは10号救命艇で

無理やり乗り込んできたと

指摘した英国乗客の救命艇は13号であった。

実は当時10号救命艇には二人分の空きがあり

上艇の順番を待っていた三等客室の乗客とともに

その場にいた二等客室乗客の細野氏には

優先上艇権があったのだ。

1997年、細野氏の手記は

米国のタイタニック号研究財団を検証を経て

事実と証明されました」

一言も弁明に口を開くことなく

沈黙を守って汚名を着て

一生を過ごした彼を考えると

不器用な、、

日本人の気質が垣間見えてしまいます。

日本人は、ない罪までかぶってしまう



現代になって検証されてあえて汚名が晴れ

NHKで放送されていました。


彼は誇りを護った立派な方でした。

今更でも疑いが晴れて

本当に良かったですね。


北大西洋のニューファンドランド沖を航行していた

豪華客船タイタニックは

1912年4月14日の深夜氷山に衝突し

翌日未明に沈没しました。

細野氏の手記は

この4月14日から17日の救助までを

タイタニックの便箋の上下さかさまに

カタカナと漢字で詳細に書き込まれていました。


~現代語に書き換えられてあるものを転載します~


「「日経ビジネスDigital」日本人ノ恥ニナルマジキ タイタニック事故生き残りの手記」

http://technodon.tumblr.com/post/22910564402

「天気は快晴、午前七時起床、八時朝食、二時昼食、六時夕食、

その間読書をしたり運動をしたり、あるいは自室で寝転がったりして日を送る。


やや眠気をもよおし、夢うつつの時、船が何かに付き当たったようだったが

別段気に止めなかった。間もなく船は停止した。おかしいとは思ったが、

大事件が起きたとは思わず、いつも通り寝ていたが、

11時頃Stewardが戸を叩くので開いてみると、

「起きて甲板に行け」と言う。「何事が起こったのか」と聞いたが答えない。


救命浮き具を投げて置いていって、急いで去って行った。

甚だおかしいとすぐに服を着たが、急いだので白シャツや襟などを付けず、

大急ぎで服を着て甲板に駆け上がって見れば、船客は右往左往とさまよって、

皆、救命浮き具を付けている。いぶかしんで(混乱の)理由を聞いたが誰も知らない。


甲板で水夫は「三等デッキに下りろ」と言う。言われるがままに下りたが

多くの人が下りる様子がないため、また上がると咎められる。


(自分が)二等(客室の)船客であると伝えて(甲板に)上がることを許され、

急いで自室に帰って財布だけを取って、時計、各国金貨、目鏡などを取るのを忘れ、

毛布を掴んで大急ぎで最上甲板に上がる途中、水夫は「下甲板にいろ」と言われたが、

聞こえない風をして上甲板に来たら、(救命)ボートを下ろしつつある。


 (自分の)命も今日で終わることを覚悟して、

慌てず、日本人の恥になるまじきと心掛けつつ、機会を待っていた。


この間、船上から危機を報せる信号の花火を絶えず上げており、

その色は青く、その音はすさまじかった。何となく物悲しさを感じた。

船客はさすがに一人として叫ぶ者はなく、皆落ち着いていたことは感心すべきことだと思った。


ボートには婦人たちを優先的に乗せた。その数が多かったため、

右舷のボート4隻は婦人だけで満員になった。その間、男子も乗ろうと焦る者も多数いたが、

船員は拒んで短銃を向けた。この時船は45度に傾きつつあった。


ボートが順次下りて最後のボートも(乗客を)乗せ終え、

既に下りること数尺、その時に指揮員が人数を数へ「もう2人」と叫ぶと、

その声とともに1人の男性が飛び込んだ。


私はもはや船と運命を共にするほかなく最愛の妻子を見ることもできないと

覚悟して悲しみに耽っていたが、、まだ1人が飛ぶのを見て、

この機しかないと短銃に打れる覚悟で数尺の下にある船に飛び込んだ。


幸いなことに、指揮者はほかの事に取り掛かっていて深く注意を払っていたなかったし、

しかも暗いために男女の区別もつかなかったのか、

飛び込むと共にボートはするすると下りて海に浮んだ。


そそり立つような大船が、異常なほどの音を立ててその姿を海に沈めた今、

目前にあったのを見たのに、もう陰も形もない。


何と有為転変の世の中であることか。

沈んだ後、溺死しそうになっている人々の叫び声が実にすさまじく、

ボートの中では、その夫や父親を案じている婦人たちの泣く声もまた盛んで、

ああ、自分もどうなることかと思う時は気も心も沈んだ心地だった。


 (海上を救命ボートで)漂っていると午前6時になった。

すると遠方に煙を吐いてやって来る船を見た。さては助かるのかと思ってやや安堵した。


7時に船は遭難地点に完全に到着して停止した。それから順番にこの船に救い上げられた。

私の(乗った)ボートは最後だった。例によって婦人たちは最優先で私は最後の最後だった。

船に上がり終えたのはちょうど8時。

ここでほっと一息するとともに感謝の気持ちがむらむらと湧きあがり、滂沱の涙を落とした。


 2時に夕、昼食。やや心も落ち着くと、おもむろに持ってくるのを忘れた品が

惜しい気持ちが出て、特にせっかく苦心して残しておいた各国の金貨その他約70円ほど、

選別の時計、土産の時計、新調した洋服、帽子、シャツ、記念の名簿に友人の写真、

インク入れなど、とても惜しい心持がして堪らなかった。


中でも留学中に書いたもの、日記を失ったのは取り返しが付かない損失だ。

人の欲も不思議なもので、今までは生命の安否に心が奪われていたため

それほどまでに思わなかったものの、

今は生命もひとまず安全になった見込みだから、それともに品物を惜しむ気持ちが出てきた。


 寝室は例によって婦人に先に入ってもらうので、私たちに部屋が割り当てられるはずもなく、

Smoking roomで、船の毛布2枚を身に付けたまま靴を穿いて眠った。

不思議にも悪夢にもうなされることなくよく眠れた。


 午後10時、昨日のように食堂で眠ろうとすると、婦人のみとのことだったので

男性は許されず、やむをえず喫煙室に来て見れば満員でとても寝る所がない。

なので椅子に座ったままうとうとして一夜を明かした。実につらい航海だった。」




(「日経ビジネスDigital」日本人ノ恥ニナルマジキ タイタニック事故生き残りの手記) より転載~




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