大変ためになる記事なので
ぜひお読みください
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つい最近、PISAの読解力テストの点数が
劇的に下がったという報道がありました。
記事によると、近頃の子どもたちは
スマホなど簡便なコミュニケーション
ツールを愛用しているので、
難解な文章を読む訓練がされていない、
それが読解力低下の原因であろうと
書かれていました。
たしかに、
それはその通りだろうと思います。
しかし、だからと言って
「どうやって読解力を育成するか?」
というような
実利的な問題の立て方をするのは、
あまりよろしくないのではないか
という気がします。
というのは、
読解力というのは目の前にある文章に
一意的な解釈を下すことを自制する、
解釈を手控えて、
一時的に「宙吊りにできる」能力のこと
ではないかと僕には思えるからです。
難解な文章を前にしている時、
それが「難解である」と感じるのは、
要するに、
それがこちらの知的スケールを
越えているからです。
それなら、それを理解するためには
自分を閉じ込めている知的な枠組みを
壊さないといけない。
これまでの枠組みをいったん捨てて、
もっと汎用性の高い、包容力のある
枠組みを採用しなければならない。
読解力が高まるとはそういうことです。
大人の叡智に満ちた言葉は、
子どもには理解できません。
経験も知恵も足りないから、
理解できるはずがないんです。
ということは、
子どもが読解力を高めるには
「成熟する」ということ以外にない。
ショートカットはない。
僕はニュースを見ていて、
読解力が下がっていると
いうのは、要するに
日本人が幼児化したのだ
と感じました。
もし今の子どもたちの読解力が
低下しているとしたら、
その理由は社会自体の読解力が
低下しているからです。
子どもに責任があるわけじゃない。
大人たち自身が難解な文章を
「中腰」で読み続けることが
もうできない。
時々、議論を始める前に、
「まずキーワードを一意的に定義しましょう。
そうしないと話にならない」
という人がいますね。
そういうことを言うと
ちょっと賢そうに見えると思っているから
そんなことを言うのかも知れません。
でも、よく考えるとわかりますけれど、
そんなことできるわけがない。
キーワードというのは、
まさにその多義性ゆえに
キーワードになっている。
それが何を意味するかについての理解が
皆それぞれに違うからこそ
現に問題が起きている。
その定義が一致すれば、
もうそこには問題はないんです。
語義の理解が違うから問題が起きている。
語義についての理解の一致こそが
議論の最終目的なわけです。
そこに到達するまでは、
キーワードの語義は
ペンディングにしておくしかない。
多義的なまま持ちこたえるしかない。
今日の僕の話にしても
「教育」とは何か、「学校」とは何か、
「言語」とは何か、「成熟」とは何か・・・
無数のキーワードを含んでいます。
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いや、ほんとにね。
大人が、幼児化してしまってる
んですよね
昨今のニュースとか見てても
そうだもんね。
昔もそうだったかもしれないけど
最近は特に、漫画とかでも
毎週がんばってわかりづらい展開に
ついてってる子どもは割と成績のいい層
なんじゃないかなと思っていて。
そういう意味ではじめにあったような
『これまでの枠組みをいったん捨てて、
もっと汎用性の高い、包容力のある
枠組みを採用する』訓練を何度も
しているってことになるのでね。
あながち間違ってはないんじゃないかなー
と思うなど
こういう話は、
大人の私は気が引き締まりますね