2カ月に一回のAHグループ、今回も参加させていただきました♪
参加するためには、息子を誰かにみてもらわないといけないので、
実家や旦那に感謝です♪(*^^*)
今回、特に話したいこととかないなぁ・・・と思いながらの参加でした。
まぁ、その時に何か感じたことを話せばいいかなと思い、会場へ向かいました。
いつもより多くの(倍以上)イスが並べられていて、ちょっとビックリ!!Σ(・ω・ノ)ノ!
初めてお会いする方が多いんだな、と思ってにわかに緊張しました。
最初、自己紹介をして、今の気持ちを簡単に話し、みんなに話しておきたい事(今日は咳がよく出ますとか)
があれば、その時に話すんですが、
私は自分が吃音症であることを、いつも話しています。
最初にカミングアウトです。
以前ならこんなこと考えられない事ですが、話せる場では最初にカミングアウトすることを心がけています。
AHのガイドラインをみんなで読んだり、自分が発言する場面もあるので、
私が吃音で詰まったり声が出なくなっても驚かないで欲しいと思うからです。
今回も、吃音であることを話して、そして、AHのガイドラインなどをみんなで読みました。
順番に読むんですが、そういうシチュエーションはとても苦手です
学校の時の本読みを思い出してしまうし、
過去の嫌な思い出がよみがえってきて、オロオロしてしまうからです
ちゃんと読めるかな?
どもらずに言えるかな?
って、やっぱり私は思っているんです。
うまく言いたい。
どもらずに言いたい。
っていう気持ちはやっぱりあります(;^_^A
そして、学校の本読みの時がそうだったように、自分が読むであろう場所をチェック。
言いにくい言葉があるかどうか?気になって気になって仕方がないんです!(´Д`;)
そんなのチェックしても、言えるかどうかなんてわからないのに、見ずにはいられない。
目が文章を追い・・・・・・・そうになって、やめました。
私、先の心配をしてる。
今読んでる人の文章が全然頭に入ってない。
私は『今』にいない。
私は未来に生きているし、過去にとらわれている。
『今』に集中しよう。
『今』読んでる人の言葉を聞こう。
って、思ったんです。
同時に、私最初にカミングアウトしたんだから、もうどもっていいんだ、もう隠さなくてもいいのに、
どもっちゃいけないと思ってる、って事にも気づいたんです。
もう吃音症だと言ってあるんだから、どもっていいのに
もう隠さなくていいのに、必死に隠そうとしてる自分が滑稽に思えました。
それから、どもったとしてもどもらなかったとしても、そんな自分のことを評価しない。
うまく言えたとか、言えなかったとか、そういうことで自分に○×をつけない。
どんなことにも、私は評価をつけない。
と心の中で、自分に言いました。
AHでいつも教えていただいている言葉が私に浸透してきたんでしょうか。
あるのはこの瞬間だけ。
今日起こることには何も評価をくださない。
瞬間的に、それが頭に浮かんできました。
あぁ、私、いつも 『今』 に生きていなかったなぁ。
いつも先の心配をして、不安で不安でたまらなくて、冷や汗いっぱいかいて・・・・。
そして、うまく言えなかった自分に、ダメだった・・・といつも評価していたなぁ・・・・。
私の人生の大半がそればっかりだったなぁ。
私、大変だったなぁ。
私、辛かったなぁ。
そんな辛い中、私よくがんばってきたよなぁ(T_T)
こんな人生やったら辛いはずやわ。
って思いました。
そしたら泣けてきて・・・・(T_T)
悲しくて泣けたんじゃなくて、そのことに気づいた自分に自分で感動してしまって泣けました(T_T)
たぶん、過去の辛かった気持ちもあったと思います。
辛かったよな(T_T)っていう悲しい気持ちもあったと思うんですが、
もういいんだよ、もう隠さなくてもいいし、『今』にいていいし、評価しなくていいんだよ、
って自分に言ってあげれたことが自分で嬉しかったんです(T_T)
怖れを手放していいんだよ、って。
その気持ちをみんなにシェアしました。
泣きながら・・・(T_T)
たぶん、これからも私は隠さなくてもいいと思いながら、隠そうとするだろうし、
先のことが心配になって、『今』にいることを忘れるし、
すぐ自分のことを評価して責めるだろうとは思います。
でも、あの瞬間、私は私を許せたし、そういう瞬間が少しずつ増えたら、
今ある怖れを手放したと言える日がくるのかもしれないと思いました。←これも未来の話ですが
『今』 怖れを手放してもいいし、
『今』 怖れを解放してもいいんだな、って思えた瞬間でした。
思った瞬間から、過去や未来に生きている私ではありましたが
それも評価しない。
ま、今までそうやって生きてきたんだしね~~~、まぁいっか♪ってやつです。
素敵な時間をありがとうございました♪(*^-^*)