私は助けてもらえる存在で
助けてもらってもいい存在で
助けてもらうことで、人の役に立てる存在で
誰かを助けさせてあげれる存在で
1人でがんばらなくてもいい存在で
そうやって人ともつながれる存在で
そうすることで、感謝もできて、感謝もされて、
いろんなことがお互い様
助けてもらうなんて、ダメな人間だと卑下していた私
助けてもらったら、もうみんなと同じ立ち位置には立てない、
みんなよりも下になってしまう、
恵んでもらわなければ生きていけないなんて、そんなんみじめや・・・・
だから、受け取りたくない。
自分が下になりたくない。
可哀想な人になりたくない。
って、私は思っていたんだろうと思います。
だから、助けをさしのべてくれる手があったとしても、はねのけていたし、
そんなことするのは甘えてる、
自分がダメになってしまう、
と思って、受け取ろうとしていなかったと思います(>_<)
それ以前に、誰からも助けの手をさしのべられる状況でもなかったというか、
それは私がひたすら隠していたからだと思います。(´д`lll)
吃音だと知られたくなくて、
ものすごく悩んでいるってことを知られたくなくて、
明るい人を演じたり、
ものすごくネガティブな自分もいるのに、
知られたくなくて、ずーーーーっと隠してきました。
だから、誰も、私が助けを求めているってことを知らなかっただろうし、
私自身も、助けが必要な人だと自分で思っていなかったから(思いたくなかったから)
知らなかったし、
私自身の中にも誤解があり、
周りの人に対しても誤解があり、
何も循環しておらず、
ただただ、私の中で、どうしてうまくいかないんだろう?っていう思いが募っていたんだと思います。
こうして冷静に考えてみると、うまくいくはずないよなぁ、って思いました。
私が私自身を見せてないのに、
私のことをわかってもらおう、なんて、
どうしてわかってくれないんだ?なんて、
そんなんわかるわけないやん~~~って。
だから、自分を開く、『ひらく』 ってことを心屋さんが言っていますが、
私の場合で言えば、隠さないってことかもしれないな、と思いました。
ダメな自分を隠さない。
できる自分も隠さない。
でも、それが出来るのって、何を見せても自分は素晴らしい、ってわかってないと、
思えてないとなかなか出来ないと思うんです。
だから、私は自分の前提を 『どうせこんな私は素晴らしい』 ってことにすることに
がんばっているんですが、
以前は、絶対にそんなこと思えなかったし、
隠さない方がいいことは知っていても、どうしても隠してしまっていたし、
やっぱりどう考えても出来なかったんですが、
なんだか今は、以前よりは見せてもいいかな、と思えてきています。
こうしてネットでいろんな事が書けている(言えている)のは、
私にとっては大きな進歩で、
ある意味、実験なんです。
リアルではまだ勇気が出せない場面が多いですが、
まずは、ネットという環境で、こんなこと言っちゃいけない、思ってはいけない、と
思っていたことを言ってみる。
ダメな自分をさらす、ってことをやってみようと思ってやっています。
自分がこれなら出来る、という範囲からやっていって、
いずれはそれをリアルな世界でもやってみる、とか、
いろんなやり方があるよなぁ、と思います。
私はそろそろ、リアルな世界へと移行していく時だなと感じています。
吃音に関しては、以前よりは、現実世界でも公表できるようになってきているんですが、
助けて欲しい、と言ったことはほとんどないと思います。
これからはそれにチャレンジしていく時期だな、と思っています。
カウンセリングでも、まさにそれが宿題として出ました
そのことをまた続けて書いていきたいと思います(・ω・)/♪