こうしてブログに書いてると、自分の心、気持ちが整理されてきていいなぁ~と思います。
昨日、私は何回も「みんなと一緒のことができない」という事を書きました。
それが、とても悲しいんだ、と。
私はとてもみじめな思いを抱いてしまうんだと思います。
誰もが簡単にできないことに関しては、できなくてもいい、って思えるんです。
だって、他の人もできないし、できなくても仕方ないよね~~で済ませられるから。
でも・・・誰もが「当たり前に」やっていることができないと、とても不安になります。
誰もがなんの苦もなく、当然のように、いとも簡単にやっていることができないなんて・・・
そんなことすらできない自分って・・・
なんてダメな人間なんだろう、って思っているような気がします。
そんなことすらできない自分に価値を見いだせないんだ、って思いました。
私には価値がない。
誰もができるのに、私はそれができない。
そんな自分なんて、人より劣っている。
人より劣っているから、それを補うために、私は一生懸命頑張らなくてはいけない。
ダメ人間だから、人よりもっといい人にならなきゃ、みんなと対等になれない。
だから、頑張っていい人になろう!!
頑張って、価値のある人になろう!!
こんな風に決意してしまったような気がします。
だから、人から認められるように、「いい」と言われることを一生懸命自分に取り入れてきました。
そして、人から褒められて、認められて、やっとホッとできる自分がいました。
でも、いつまでたっても、私の心は満足しませんでした。
今度は、認められなくなったらどうしよう・・・っていう不安と恐怖が襲ってくるからです。
心理学を知って、私がやっていた行為は罪悪感の補償行為だということを知りました。
罪悪感は、無価値感ともつながっているそうです。
もう、まるでそのままでした。
セルフセラピーカードに「無価値感」というカードがありますが、
そこに、まるで私みたいな人が描かれています。
今日は画像を載せれませんが、心にポッカリ大きな穴の開いた小さな人が
一生懸命デッキブラシで掃除をしている姿が描かれているんです。
自分の事を価値のない人間だと思っているから、他の人より体が小さく、
掃除など人の役に立つことをやって、なんとか価値があることを見せようとしています。
また画像は載せたいと思います。
私が無価値感を持ってしまった理由が少しわかったような気がします。
「吃音」が大きく影響しているような気がします。
もしかして、それ以前にもあったかもしれませんが、「吃音」がさらに拍車をかけたのかもしれません。
他にも気づいたことがあります。
またそれは書きたいと思います。