仏教思想の学習進捗 | 温室メロンの備忘録

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主要な経典の解説書を読み進めている。

『阿弥陀経入門』一楽真

『原始仏典』中村元


今回はこの2冊。


『阿弥陀経入門』はあっさりと読めた。極楽世界の様子や、阿弥陀=無量寿・無量光(アミターユス・アミターバ)の話など。全般的に極楽アピールが凄く、これまで読んできた経典とはトーンが違う。


次に『原始仏典』を半分ほど読んだのだが、どうにも相性が悪く別の書籍を注文した。華厳経、大無量寿経法華経、今回の阿弥陀経、あとは原始仏教である阿含経を押さえておきたい。




ちなみに仏教思想を学んでいて、少し気になることがある。これまで「往生」と「成仏」をあまり区別してこなかったが、あらためて基本に立ち返ると、


往生:極楽浄土に生まれ変わること
成仏:法(ダルマ)を悟った仏(ブッダ)と成ること

と全く違う意味。前者は輪廻を断ち切って極楽で幸せに暮らすことだし、後者は宇宙の原理を理解するということ。両者を明確に線引きする解説が見当たらず、あまり気分が良くない。

ちなみに大無量寿経に書かれている宝蔵菩薩の第十八願は、阿弥陀仏を礼賛(南無・阿弥陀仏)する全員を「往生」させるという誓いであって、皆を「成仏」させるものではない。智慧を付けなくとも、極楽浄土に行けるショートカットがあるのだから、平安時代の一般民衆が飛びついたのも頷ける。

そう考えると自分は原理知りたい派なので、後者の成仏系だろう。仏になるかはさて置き、学生時代から現在に至るまで、宇宙の原理を知りたいと思ってきた。思うに、おそらく現代の物理学が解明したいのは、当時の釈尊が自得したとされる法(ダルマ)なのだろう。実際、現代物理の世界観と華厳経で展開されるそれは極めて近しい。

あと、法華経の最後に書かれている常不軽(じょうふきょう)菩薩のエピソードにおいて、社会に役立つために日々行動することが大切であり、形式には依らないとある。諸々の儀式や作法にお金を掛けることや、仏道に入り活動することも手段の1つだが、最終的な価値基準は、社会に貢献しているか否かだと。

自分が幸せになるために、まずは社会や人の役に立ちなさい。情けは人の為ならず。仏教思想を日常レベルに落とすと、こういうことなのかと。