今夜は六本木にて新年会。
孫 六本木店
ラーメン好きの方は無数にいるが、好きの度合いは人それぞれ。自分の場合、話題の店情報を耳にすると、10回に1度出掛けるくらいで、でも行列が長いとすぐに諦める感じの好きさ加減。
もちろん、出汁に鶏ガラ、豚骨、魚介があり、返しに醤油、味噌、塩があり、麺の太さや縮れ具合があることは知っている。格付けチェック的に言えば「普通芸能人」か。
好きが高ずるにつれ、東京、長浜、喜多方などのご当地ラーメンだとか、二郎系、家系などの〇〇系だとか。さらには他店舗との関係性や、店主の経歴、師匠が誰だとか、誰それの影響を受けたとか、完全独立系だとか。
色んな店を訪問することで、知識が増え、経験値を積むことで、「一流芸能人」への階段を上ってゆく。
ここでラーメン界の「ソムリエ」だが、位置づけ的に一流芸能人の上位という考え方もあるが、個人的には、格付け芸能人サイドとは真逆の、対極する所に立っているように思う。
知識量もさることながら、磨き上げられた「感性」によって、感覚したことを、知識に紐付ける能力を持つ。この能力の有無が、格付け芸能人側と一線を画する決め手だろう。感覚を言語化できるかできないか?も近い表現かな。
ワインのブラインドテイスティングと同じ。一杯のラーメンの素性や味が、年表や系譜、味マップのどこに位置するかを言い当てられ、またその美味しさを的確に感覚し、言語化する。いわばラーメン界のソムリエだ。
閑話休題。
ラーメンフリークと絵画フリークの類似性について。ラーメン界「普通芸能人」でしかない自分が、ラーメン好きの話を長々と書いてきたが、
ゴッホ「アイリス」1890「ひまわり」1888
絵画の場合も、風景画、人物画や静物画があり、水彩画や油彩画があることを大抵の方は知っている。いわゆる普通芸能人だという話。
そこからラーメン同様に好きが高ずると、印象派、キュビスム、現代美術、あるいはルネサンス期イタリア、80年代前半フランスなど、色んな展覧会に出掛け、経験値を積み、一流芸能人への階段を上ってゆく。
また、格付け芸能人サイドの対極に、ソムリエが位置するのも同じく。一点の作品を観て、どの時代の、何派の、どの画家の、何歳頃の作品かが言い当てられ、またその作品から得られる感覚を、的確に言語化できる。
一流芸能人か、ソムリエか。似て非なるもの。
最近の鑑賞姿勢を振り返ると、もしかしてソムリエを目指すつもり?とも思えてくる。