かつて取得した資格等 | 慶應通信(法学部乙類 77期春)&放送大学 -tempus fugit-

慶應通信(法学部乙類 77期春)&放送大学 -tempus fugit-

わが手に執れる炬火は 叡智の光あきらかに ゆくて正しく照らすなり

2,000年から2,006年まで私は、ランニングのホームページを開設していました。その時に、資格等の取得について書いた記事があったので、自分の備忘録もかねて、多少修正を加えてアップします。

 

これらの資格等は趣味のものを除き、会社へ就職後3~4年間隔で様々な部署に配属されたため、その時々の業務に関連する知識を整理する意味で取得しました。

 

職務上の主な経歴は、労務、用地取得、土木・建築工事、プラント管理、マンション建設・管理、大規模工事契約、お客様相談関連です。職務を執行するに当たっては様々な特別法が関係していました。

 

私が資格取得にチャレンジする際の考え方は次のとおりでした。
1 会社の業務や自分の趣味に役立つものであること。
2 既にある程度の関連知識を持っていること(初歩からの勉強はきつい)。
3 高難度の資格には挑戦しない(犠牲にする時間が多すぎる)。
4 細切れの暇な時間を見つけて地味に勉強する。
5 簡単な資格でかまわないので毎年何か取得する。

 

「衛生管理者」、「特別管理産業廃棄物管理責任者」、「宅地建物取引主任者」は会社から正式に任命されていました。また、私は行政書士法第2条第6号に該当します。


● 普通自動車 1974

 大学2年生の夏休みに取得、最初の車はセリカ1600STでしたが、本当は2T-GRエンジンを載んだ10万円高のセリカGTVが欲しかった。その後は、スカイライン→ スカイライン→ ホーミー→ プラド→ プラド→ プラド(現在)と乗り継ぎました。車が大好きなので、昔はスバル・インプレッサSTi に乗ってみたかった。


● 普通自動二輪 1978

 兄からもらったHONDA・TL125に乗るために免許を取得しました。その後モトクロスにはまりこみ公道は走らなかったため、この免許はほとんど使用されていません。HONDA・XR250Rの公道仕様(逆輸入)に乗ってみたかった。

 

● MCFAJ(全日本モーターサイクルクラブ連盟

 モトクロス・エキスパート 1989

 前年のシーズンはジュニアクラスで年間ランキング125CC4位、250CC5位だったのでエキスパート昇格の資格は獲得しました。


● MFJ(一般財団法人日本モーターサイクルスポーツ協会

 モトクロス・国内A級 1990

 20歳台半ばから30歳台半ばまでやっていましたが、練習及び整備時間の捻出が難しい、怪我が多い、非常に多額の資金が必要、レースに参加するのが遠くて大変などの理由でやめました。もう一度モトクロッサーに乗ってみたいが、多分そのチャンスは無いと思う。
 関東選手権は遠くの会場が多いので、中部選手権の伊豆富士見ランド、大井川、天竜川の各大会で昇格ポイントを獲得しました。

 

● 第1種衛生管理者 1990

 職場(工場)で衛生管理者になるために、会社の職務命令で取得しました。難しい試験ではありませんが、会社が受験料を出しているので、落ちるわけにもいかず少しプレッシャーになりました。

 

● 宅地建物取引主任者 1991

 建設部門の職場で用地取得事務に従事していた経験があるので、その時の知識+短波放送の宅建ラジオ講座を聞いて勉強しました。かなり勉強したので問題はそれ程難しく感じませんでした。宅建の勉強に飽きたときは第2級アマチュア無線技士の試験対策としてモールス符号の勉強をしていました。宅建の合格率は14.0%でした。


● 第4級アマチュア無線技士 1991

● 第3級アマチュア無線技士 1991
● 第2級アマチュア無線技士 1991

 中学時代は5球スーパーヘテロダイン方式のラジオやOTL回路のトランジスター・アンプなどを作ることが趣味でした。このため、中3の時にアマチュア無線免許を取得しようと思ったのですが、試験会場の東京・晴海まで1人で行けなくて、結局20年後に取得することになりました。

 第4級アマチュア無線技士の資格は、妻や2人の子供も所持しています。 

 

● 社会保険労務士 1992

 宅建受験で勉強癖がついたので、更に気合を入れて労務部門の職場に在職していた時の知識+保険関係を勉強して受験しましたが、かなり大変でした。半年間、日本マンパワーの通信教育や模擬試験を受験して、大学受験以来というくらい休日はまじめに勉強しました。


● 防火管理者 1993

 工場部門の職場に勤務していた際に、会社の予算がなかったので有給休暇を取って自費で講習を受けに行きました。工場長が防火管理者になっていましたが、実務上は私が担当していました。

 

● 危険物取扱主任者 1993

 会社の従業員の研修をを担当していたときに、従業員の申込に加えて自費で自分の分も申し込み、東海大学で受験して取得しました。


● 測量士補 1994

 私は事務職ですが、建設部門の職場で土木職と一緒に測量業務に携わっていたので、土地家屋調査士試験の2次試験免除にもなるため取得しました。数学が苦手の私は1点差で1度落ちてしまいました。
 その後、土地家屋調査士は東京法経学院の参考書等で少し勉強したのですが、受験するのはリスクが大きいので止めました。測量士補の合格率は20.6%でした。

 

● 第1級アマチュア無線技士 1996

 和文のモールス符号(50字/分)を覚えて1級にチャレンジしましたが、難しくて合格できませんでした。そのうちに、試験は欧文(60字/分)のみになったので合格できました。せっかく和文を苦労して覚えましたが今ではほとんど覚えていません。

 

● 特別管理産業廃棄物管理責任者 1997

 会社の職務命令で取得しました。講習の最後に確認テストがありましたが、難しくなかったです。

 

● マンション管理士 2001

 仕事で「マンション管理セミナー」を開催しなければならなくなったことや、マンション管理組合理事の方々が集まる会に出席した際に、皆さんが受験すると言っていたので私も受験することにしました。

 第1回目の試験なので「合格率はかなり高く簡単だ!」と言う前評判でしたが、結果は合格率7.4%とかなり厳しい試験で、東京法経学院の通信教育を受講しながら試験前はかなり真剣に勉強しました。


● 管理業務主任者 2001

 マンション管理士と同じ法律により2001年に創設された資格ですが、マンション管理士に比べればこちらは嘘みたいに簡単な資格(合格率58%)で、問題集をやるだけで合格圏内で、実際の試験では50問中1問間違えただけでした。でも、その後2023年の試験では、合格率が21.9%と少し難しくなっています。

 

● 日本水泳連盟泳力検定2級 2002

 1年間スイミングスクールへ通って、100メートルの個人メドレー(40歳台の基準は2分以内)を泳いで合格しました。でも、フリー以外は50メートル泳ぐのがやっとの状態です。ほかにもスポーツ関係の資格にチャレンジしたいと思っていたのですが

……


● ラジオ・音響技能検定4級 2003

● ラジオ・音響技能検定3級 2003

 中学時代のラジオ少年の知識プラス2週間の勉強でで合格できました。スピーカーの構造など、昔好きだったことって意外と憶えていて我ながら驚きました。

● 法学検定試験4級 2003

● 法学検定試験3級(行政コース) 2003
 受験者の平均年齢は私の半分以下、大学生に混じって7月26日に専修大学で試験を受けました。4級は776番/5,593人、 3級は805番/2,389人で合格しました。  

 前々日の富士登山競走の疲れか、前日に一夜漬猛勉強をしたせいなのか、会場が異常に寒かったせいなのかは分かりませんが、体調が非常に悪かった。
 

 ● ビジネス実務法務検定3級 2004

 ● ビジネス実務法務検定2級 2004

 7月11日に相模女子大学で受験しました。昨年の法学検定試験と同様に受験生はほとんどが20代でした。3級が85点(平均点81.5/合格率82.8%)、2級が84点(平均点66.5/合格率46.9%)でした。2級は公式テキストを2回読んで問題集も3回くらい回しましたが、3級はおまけ受験なので問題集だけ軽く1回やりました。それにしても2級はバッチリ勉強したのに合格率が高すぎで、こんなに勉強しなくても良かったかなと思ってしまいました。

● 普通救命講習終了証 2004

 資格や検定ではないのですが、会社の職務命令で取得しました。

 

●  初級システムアドミニストレータ 2004

 10月17日に東京工科大学で受験、この試験も周囲は若者ばかり、少し恥ずかしい気持で受験しました。当時の所属ではこの資格の取得を奨励していたので、1箇月間、毎朝1時間の早起き勉強をして何とかギリギリで合格しました。久し振りに法律関係ではない資格が取れたので少し嬉しかった。合格率は30.2%と最近では一番易しかったらしい。でも、午後の問題は時間がなくて焦りました。

 

● 日商簿記検定3級 2004

 本社においては、会計制度が異なるので簿記の知識は全く必要ありませんでしたが、当時出向していた会社では簿記の知識が必要となってしまいました。そこで、LEC講師による4日間の試験対策講習7,500円也を受講して試験に臨みました。精算表や試算表の問題では時間が不足してしまい凡ミスを連発してしまいましたが、一応合格できました。市内の合格率は43.2%でした。

 試験後は、大型電卓等筆記用具を持ったまま(もちろん試験中もジャージ姿です。)京王線に飛び乗って多摩川ハーフの10キロに参加しましたが、この日は午前4時頃から試験勉強をしていたので、電車で寝過ごしたり、レース後気持が悪くなったりしてしまいました。


● FP技能検定3級  2006.5

 科目が、「ライフプランニングと資金計画」「タックスプランニング」「リスク管理」「不動産」「金融資産運用」「相続・事業承継」の6科目なのですが、社労士、宅建等の資格は持っているため、既にある程度の知識は持ち合わせているのと、大学生、高校生の息子達に父も勉強している姿を見せようと思いチャレンジしてみました。
 試験前日は早めに寝て、当日の午前零時に起きて朝まで、うろ覚えな箇所をひたすら頭に詰め込み、忘れないようにして試験会場の麻布大学へ向かいました。金融機関の職員の方なのか?若い女性が多く受験していました。

 6割以上の正解で合格なのですが、結果は学科55/60点(合格率82.87%)、実技46/55(合格率75.73%)ということで、かなり簡単でした。

 

● FP技能検定2級 2006.9

 午前中の学科試験を解いてみて少しびっくり、過去の試験に比べて難しいような感じが……、2択までは絞れるのですが、それからが自信無く、何故か答えが「2」になってしまうものが多くて、いくらなんでもこんなに同じ答えが続くはずはないし……、何か問題作成者の意図があるのかな??と考え出したら少しパニック状態、時間もあまり余裕がありません。(結局、「2」と回答した箇所は9箇所も間違えました。)午後の実技試験は例年に比べて易しい感じがしました。今回も6割以上の正解で合格なのですが、結果は学科37/60点(合格率14.68%)、実技44/55(合格率59.78%)ということで、学科はあと2問間違えていたら不合格になるところでした。

 

● 証券外務員二種 2006.12

 この試験はコンピュータで受験するため、試験終了後すぐに結果が分かります。コンピュータールームから出てきたらすぐに、結果通知を渡され、字が小さくて何だかわからなかったのですが、試験官の方が「おめでとうございます。」といわれたのでホッとしました。

 税務経理協会の「証券外務員二種合格のためのバイブル」と、きんざいの「証券外務員二種試験対策問題集」の2冊を20日間くらい毎日約2時間勉強しました。
 

● 貸金業務取扱主任者 2009.8   

 試験は、パシフィコ横浜 会議センターで受験しました。試験内容ですが、最初の方でやたら問題文が長く、時間が足りなくなると思いかなり焦りましたが、試験時間を10分くらい残してマークシートを全て埋めることができました。でも、見直す余裕はほとんどありませんでした。
 当日、LECから発表された「予想正解一覧表」でチェックしたら44/50点だったので、ひとまず安心しました。合格率は70.1%でしたが、その後2023年の試験では、合格率が26.6%と少し難しくなっています。

 

● 消費生活専門相談員 2009    

 2009年4月消費者関連部門が、私の仕事の管轄になりました。ところが、今まで携わった仕事に比べ異質の仕事だったために、早く仕事の全体像を掴みたくて勉強を始めました。次の、消費生活アドバイザーも同じ理由です。

 午前中の択一式試験の問題形式が一部変更されていて、時間不足で全部回答できませんでした。午後の小論文は何とか書けたので、すごく残念、いっきに落ち込みました。でも、合格後に私の得点を開示してもらったところ次のとおりでした。
 択一 756/1000点、合格ライン 70%以上
 論文 7/8点、合格ライン 5点以上

 

● 消費生活アドバイザー 2010 

 '09年の1次の自己採点が合格圏内だったので、速やかに2次試験対策を始めましたが、2次試験日前の1週間は毎日帰宅が午前0時過ぎで、直前の追い込みができずに不合格となりました。翌年は2次試験だけ受け直して合格しました。