2019.7.22【卒業理由の憶測②】 | momorika31589のブログ

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前に一度、

卒業理由の憶測を1

書かせていただきましたが、


今回もまた

あくまでも憶測で書かせていただきます。

もう一度言います。

あくまでも憶測です。


はい。

まず、みなさんも知っている通り、

杏果は歌が大好きな女の子です。


【歌いたい 歌いたい】

【握ったマイク離さない】


そんな歌詞を歌の中に入れるほど

彼女は歌が大好きです。


だけど一つだけ……

彼女を苦しめていたもの。


それは


《喉の弱さ》


大好きな歌を追求すればするほど

毎回喉がやられてた。


声が出せなくて画用紙に文字を書いて

なんとか出演した七番勝負。


なんとかツアー直前に

声が出せるようになった2013年。


扁桃炎で手術をした2015年。


突然襲いかかった花粉症で喉も鼻もやられ、

せっかくの誕生日なのに

大好きな歌を歌えなかったフォーク村。


他にも本当にたくさんあったはず。


ココセン横アリ当日、

朝起きてまずやったこと。

「あ」

と声を出して、

よし!大丈夫だ!というのを確認したと。


常に【歌】を第一に考えていたから


ジェットコースターでも叫ばず、

マスクも常に二重に装着し、

持ち運びの加湿器も常に持ち歩いていても


思うようにいかなかった杏果。


飛行機ですらトラウマ状態。


本当に悔しかったと思う。


大好きなことが出来ない。


それほど悔しいことはないよ。


だけど、

休んでる暇なんてない。


特に彼女は、

2016年から

ももクロの活動に加えソロでの活動も始めた。


彼女の性格からしても

休んでる暇があるなら練習をしなきゃ

と思っていたんだと思う。

たぶん、

ちょっとでも休んだらダメになる

という不安もあったと思う。

無理して頑張ってた…っていうよりは、

毎日を100%で生きないと気が済まない…

って感じなんじゃないかな?

それは無意識に。無自覚に。


私もね、

杏果と同じだなんておこがましいと思いながらも

結構喉が弱くてさ。

1日カラオケに行くだけで

次の日にはオネエみたいな声になるの。笑

1日ライブに参戦するだけで

次の日にはガッサガサでなに喋っとるかわからん化け物みたいな声になるの。笑


そんで、

だいたいそれが普通の声に戻るのに

3.4日はかかる。


だから、

めちゃくちゃ……ほんの少しだけだけど

気持ちがわかる。


きっと杏果は

ももクロをやり続けとる以上、

妥協したくない気持ちがいつでも最優先されて

どんどん自分の中の……

歌を歌っていくための大事なモノが

いつか壊れる


いつからかそう思い始めたんじゃないかな?


ももクロは好き


だけど


ももクロでの活動を続けていたら


いつか歌えなくなる日が来るのでは?


そう思い始めたんじゃないかな。


なんたって、

ももクロの活動は本当にハードなはずだから。


2016年の自身の誕生日の日にブログで

杏果はこんなことを書いていた。









大切なプレゼントを守るため。


その大切なプレゼントを守るために

犠牲になったモノや人だって

本当にたくさんいる。

失ったモノだってあるかもしれない。


そこばかりは

何が正しいのかなんてわからない。


何かを守るために

何かが犠牲になる。


本当はね、

全部全部守り抜きたいよね。


でも世の中そんな甘くはない。


そんな中での決断だったのかな。



【歌】


それは


自己満足だけじゃ成り立たない。


聴き手がいて


その人が感動したり、

その歌のおかげで前に進めたり

また頑張ろうと思えたりしたとき


初めて【歌】というのが成立する。


その聴き手が1人でもいる限り、


有安杏果は歌い続けるんだと

歌うという道を選び続けるんだと思う。


(まぁ、偉そうにゆーてますけど

わたくし、歌手でも何でもないんですけどねʬʬʬ)


だけど、

【歌】というものが

自身の中にビッチリあるうちは

本当にそのことしか考えられない杏果だからこそ

普通の生活に憧れた。

何ににもとらわれず、

【歌】のことを考えない生活ってどんなんだろう

気になってたんだろうね。

喉を気にしない生活ってどんなの?

私、歌以外にも趣味が増えたんだけど、

それをゆっくりやる生活ってどうすれば作れるの?

そう思えば思うほど

きっと


【歌わない】


その生活にも憧れたんだ。


復帰してからのラジオで

休暇中、「ジェットコースターで思いっきり叫んだんです!」って嬉しそうに言った杏果の声を聞いた時、涙が止まらなかった。


Zeppツアーの札幌公演が終わったあと、

「苦手だった飛行機もだいぶ恐怖心なく乗れるようになりました」と嬉しそうな顔文字と共に書いているのを見た時、涙が止まらなかった。


杏果は杏果なりに

自分のペースでいまを過ごしてる。

喉を休める時間や日にちだってある。

歌おうと思った時に歌ってる。

好きな時に旅行に行って

好きなタイミングでモノづくりをしてる。


きっと、

ももクロでのスケジュールを経験しているからこそ

23年かけて自分のペースを見つけたんだね。

もちろんももクロでの年月は

確実にいまの杏果に繋がってる。

あれがなかったら

いまの有安杏果なんていない。



まぁ、ちょっとというか

だいぶ話はズレましたが、

きっと杏果がももクロを卒業した理由の

もう1つとしましては

やっぱり喉のこともあったんじゃないかな?


私は思っています。


はい、憶測終了。


最初でも言ったように

あくまでも憶測。


なので、

別に他の人がどう思っているかは

考えずに書きまくったので

もちろん違う意見の人もいるとは思いますが、

まぁ、ひとつの意見として読んでくれれば

幸いです。


このブログから

なにかオオゴトにしようなんて

微塵も思っていないので。


最後に……

簡単に言えばこれなんだと思う。


《疲れたら一休みして

                       また歩き出せばいい》