枡野俊明さんの著書「自分の休ませ方」青春出版社❗️ | 生きている間にやりたいことをやろう!コーチたき坊のブログ

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「好きなこと、ワクワクすることを生きている間に一つずつやる」をモットーに同じような思いを持つ方を支援するコーチ。2022年ワタナベ薫さん主催のMCCコーチ養成スクール第1期修了。好きなこと、ワクワクすることをやりたい方の背中を押します。

 

2024.6.18おはよう御座います💐
7年前の今日のフェイスブック📚記事から転載します🐰
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2017.6.18 【昭和オヤジから息子への話 2017.6.17】
こんにちは🍃今日は午後から東京でも久しぶりに雨になりましたね。梅雨に入ってから久しぶりに強い雨かと思います。
昨夜の夕食時に息子に次の話をしました。今日は先日も話した 住職の枡野俊明さんの著書「自分の休ませ方」青春出版社から話するよ。以下、著書から一部引用します。
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【脱いだ靴をそろえる理由 :自分の足元を見つめなさい】
昔から広く知られるこんな言い方があります。「浮ついていないで、ちゃんと自分の足元を見つめなさい」地に足がついた生き方をする、という言葉もありますが、どちらも一瞬、一瞬を疎かにしないで、真摯に生きることの大切さをいっているものでしょう。
禅にも「脚下照顧(きゃっかしょうこ)という禅語があります。その意味は、まさに足元をしっかり見つめなさい、ということです。
日常の所作でいえば、脱いだ履き物をきちんとそろえなさい、ということ。たかが、履き物じゃないか、そろえようが、脱ぎっぱなしだろうが、少々、「お行儀」に違いがあるだけだろう。そう、思いますか?しかし、履き物をそろえるか、そろえないか、というそのことに、じつは心がそのまま映し出されているのです。
足元を見つめるということは、立ち止まって、自分の立ち位置を確認し、その瞬間にやるべきことを見定め、正しく把握するということです。
急いでいるから、面倒くさいから、…などの理由で脱ぎっぱなしにするのは、やるべきことが見定められず、把握できていない、ということにほかなりません。
なかには、履き物についてはずぼらでも、仕事や日常の大切なことはしっかりやっている、という人がいるかもしれません。
しかし、生きるということはそう都合よくはいかないのです。
いま、その瞬間にやるべきことを置き去りにして、次の瞬間はやるべきことをやるというわけにはいきません。
人生は瞬間、瞬間の積み重ねですから、少し厳しい言い方をすれば、どんな瞬間でも、いがんだ取り組み方、いがんだ向き合い方をしたら、いがんだ人生が紡がれていくということにもなる。
さあ、どんなときも履き物はきちんとそろえる。「脚下照顧」の禅語をしっかり噛みしめ、いつでも、どこででも、やるべきことに心を注いでください。
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以上、引用終わり。
今日の話は、おまえが保育園や小学校に通っていた時に、学校でも教わったことがあるかもしれない日常生活のルール、躾の話だよ。
履き物をきちんとそろえることは、当たり前だが、出来ていない人が多いよ。
これは子供だけでなく大人でもだ。
とても些細なことで、履き物をきちんとそろえる必要なんかないじゃん、という考え方もあるだろう。
でも、そのような、小さなこと、些細なことをきちんとやらない人が、仕事や勉強を、きちんとやるとは思えないんだ。
おそらく、仕事や勉強でも、やらないといけないことを後回しにしたり、手を抜いたりするんじゃないか。
脱いだ履き物をそろえる、椅子をきちんとしまう、机の上を整理するなど、小さなことをきちんとやることを徹底してご覧。心が整い、気持ち良く生きることができるよ🐾