ADOさん、CDTV に生出演してエルフを歌ったんですね。
ライブでこの完成度で歌えるんだなと、改めてびっくり。
中島みゆきっぽい(つまり演歌っぽい)節回しもいいですよね。ADOの迫力を増してくれてる。
「クジャクのダンス、誰が見た?」というTBSドラマの主題歌のようですけど、MVのアニメはドラマとは別のストーリーを描いていて、もちろん、どこか本質的なところで通底する何かがあるんでしょうけれども、いろんなリアクション動画見ても歌詞の解釈に苦労している感じでした。
ドラマのタイトル自体は、「森の中でクジャクがダンスを踊っても、誰も見ていなければ、そのことがあったかどうかすらわからない」というインドの諺から来ているらしいです。誰も見ていなければ、それはなかったと同じことだ、ということらしくて
フィギュアスケートとつながるなとちょっとだけ思いました。
羽生さん、プロ転向の頃、フィギュアスケートは観客がいてこそ初めて成立する。見てくれる人がいなければやっている意味がない、というようなことをよくおっしゃってましたよね。
芸能事はみなそうですけれども、誰も知らないところでいかに美しく舞ったとしても、誰にも見てもらえないなら、何の意味もないです。
ちなみに孔雀のダンスというのは孔雀のオスがメスを求めるときに踊る求愛のダンスです。
孔雀は大きくその美しい羽根を広げ、お尻を振って踊るそうです。
なるほど、だからこそ
Adiew Adiew
Love you and you
なんだ、と思いました。(ちなみにこの空耳アワー的な韻を踏みかた、凄いと思います。外国の方もcool!と感心してました)
ちなみにMVのなかで、この孔雀王のようなエルフ(ちなみにエルフelfとは妖精の意味)は
2度羽根を広げるシーンがあるのですが
一度目は偶然にエルフのもとに導かれた女の子の前で羽根を大きく広げるんですよね。
女の子はおそらく孤児で、苦労しながら日々を生き抜いているという設定。
ある日彼女が倒れこんだその先に光が見え、その光をたどってゆくとまばゆいばかりの孔雀が幽閉されているのを見る。
そのまばゆさに思わず手を伸ばし、孔雀の羽根を1本引き抜いてしいまう女の子。
気が付いた孔雀が女の子を見て、美しい目を見開いて、大きく羽根を広げるシーン。
その目からは感情が読み解けない。怒っているようにも見えるし驚いているようにも見える。
女の子はその迫力にたじろいで、逃げて行ってしまう。
そこで流れるのが
Adiew Adiew
Love you and you
のフレーズ。
まさかの愛!?
互いに触れあったその瞬間に二人は恋に落ちてしまった!?
女の子はずっと孔雀の羽根を大事に飾り、片時も忘れることなかったが、いつしか老いて行き、孔雀の羽根を箱にしまう。
まるで自分の叶わぬ愛に区切りをつけるかのように。
やがてエルフは長い長い地下牢での拘束から解かれ(でも手にはまだ鎖がついている)外に出る日がくる。
そのとき、多くの人の目の前で大きく美しい羽根を広げる二度目のシーンがあります。
老女になったあの日の女の子がエルフにかけより、涙ながらに何かを訴えかける。
手には孔雀の羽根。
盗んでしまったことを謝罪するかのようにも見えるし
長い間の愛と憧れを告白しているようにも見える。
行かないでと縋っているようにも見える。(エルフは刑場に引き出されるのかなとも思ったけれども、旅はまだまだ続くとも言っているので、そうではないのかもしれない。)
そのとき、エルフは彼女の頭をやさしくなで、老女はあの日の少女の姿に戻る。
そこでまた
Adiew Adiew
Love you and you
Adiew Adiew
のラスサビが。
この孔雀王みたいなエルフが何を象徴しているのかはわからないけれども
ラストに出てくる顔を隠し同じ服装をした、感動する心や愛を忘れたような画一的な人間たちが城の地下に幽閉してきた存在と考えると
まあ今の社会そのものだな、と思います。
合理主義、科学万能主義などが押さえつけて来た
神秘的な存在への憧れ。
人間が本来もつ神秘的な能力を否定してきた近代は、支配者のコントロールを超えた力を引き出しかねない存在を徹底して弾圧してきたわけで。
羽生さんが孔雀(エルフ)だとすれば
全て納得です。
羽生=妖精=エルフ
の等式が成り立ちますもんね。
少なくともこのブログ(『妖精たちの森』)的には