さて、以前の記事で羽生さんのいうところの音の力ってもしかして観音のこと?という内容の記事を書きました。

 

それで少し観音経について調べてみました。

 

観音経全文の意味と不思議な力(ご利益・功徳)を解説

 

このお経は内容的に難しいことはなくて、観音様は人がどんな苦難にあるときも、その名前を唱えれば必ず現れて窮地から救い出してくれるから、そのことを疑うことなく信じて一心に唱えなさいというもの。

 

その譬えがすごくて、いやこれ助けるなんて絶対無理だろというようなシチュエーションがいろいろ描かれていて、でも観音様は絶対助けてくださいますぅという話なんですよ。

 

いや不謹慎な言い方だけどね・・・

 

下に全文載せますが、

 

要するに火の中に放り込まれても、山から突き落とされても、大海で漂流しても、盗賊に刀で切りつけられても、死刑になっても、呪いにかけられても、毒薬を盛られても、手かせ足かせの責め苦にあっても、猛獣に取り囲まれても、毒蛇にかまれても・・・とにかくどんな災難が襲い掛かってきても、観音菩薩を念じれば助かるというのですから

 

あまりにも奇跡の度合いが凄すぎて

 

なかなか普通一般の現代人としては

 

いやそうはならんやろ

 

と思ってしまいますよね?

 

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観音経偈文(妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈)【みょうほうれんげきょうかんぜおんぼさつふもんぼんげ】

 

(現代語訳)

 

大変尊い姿(妙相)をされていたお釈迦様に私(無尽意菩薩)は重ねて尋ねた。
「あの菩薩(仏子)を、どうして観音様(観世音)とお呼びになるのですか?」

お釈迦様は、詩文(偈)で私にお答えになった。
「お前は、観世音菩薩がいつでも・どこでも人々の願いに応じる姿をよく聞きなさい。

菩薩の本願(弘誓)は、海よりも深く、限りなく長い時間をかけても想像すらできない。
無数の仏に仕えて、この清らかな願いを立てたのだ。
私は、お前に再び観世音菩薩のことを簡単に説明しよう」

観世音菩薩の名前を聞き、お姿を拝み、心に念じなさい。
そうして空しく過ごさなかったら、すべての苦から必ず解放される。

たとえ害意を持たれて火の中に落とされても、観音を念ずれば、火の

 

 

あなは池に変わる。

 

 

あるいは、大海に漂流して、波風が激しく荒れても、観音を念ずれば、波に溺れることもない。
或いは、高い山(須弥)の峰から落とされても、観音を念ずれば、太陽のように宙に浮かぶ。
或いは、悪人に追われて金剛山からつき落されても、観音を念ずれば、一切怪我もしない。

或いは、盗賊や山賊に囲まれて、刀で切りつけられても、観音を念ずれば、彼らにも慈悲の心が起こるだろう。
或いは、暴政によって死刑になろうとしても、観音を念ずれば、刀はにわかに折れる。
或いは、囚われて手かせ足かせの責め苦にあっても、観音を念ずるとき、この苦しみから解放される。
呪いや毒薬によって身が危機にさらされても、観音を念ずれば、かえってそれを行った本人が苦しむだろう。

或いは、羅刹

 

 

らせつや毒龍、鬼に出会っても、観音を念ずれば、危害を受けずに済む。
もし猛獣に取り囲まれて、牙や爪が恐ろしくても、観音を念ずれば、どこかに走り去っていく。
毒蛇やまむしに襲われて、火焔の毒気を吐かれても、観音を念ずれば、念仏の声と共に向きを変えて去っていく。
雷鳴がとどろき、雨あられが降っても、観音を念ずれば、ただちに鎮まるのである。

人々が困難や災いに遭い、苦悩に堪えかねても、観世音菩薩の智慧は必ず世間の苦しみから救うことができるのだ。
観世音菩薩は、神通力と広大な智慧の方便によって、どこにでも姿を現す。
様々な苦しみの世界、地獄界、餓鬼界、畜生界、さらに生老病死の苦しみも(観音を念ずれば)しだいに消えてゆく。
観世音菩薩は、真実を観て、清らかな心で、広大な智慧をもって、慈悲をもって、すべての人を観ている。
常に念じ、常に観世音菩薩を仰ぎ尊びなさい。
無垢で清らかな光をもつ智慧の太陽は、すべての苦悩の闇を破り、災いの風火を消して、広く世間を明るく照らす。

あわれみの姿である戒は雷のように、慈しみの心は美しい大雲のようであり、教えの雨を降らせて、煩悩の火を滅する。
法廷で言い争う怖れや、戦場で敵に恐れを抱いても、観音を念ずれば、敵の怨恨はことごとく無くなるだろう。観世音菩薩の

 

 

たえなる声は、清浄であり、海の潮の満ち引きのようであり、世界のどんな音よりも勝っている。
ゆえに、常に念じなさい。

念ずるがよい。常に念ずるがよい。疑いを生じさせてはいけない。
観世音菩薩の清らかなお力は、様々な苦悩や死の際の寄る辺である。
すべての功徳を具え、慈悲の眼差しで人々を見守り、幸福の集まりは海のように無限である。
ゆえに、慎んで礼拝しなさい。

そのとき、地蔵菩薩(持地菩薩)は立ち上がって進み、お釈迦様にお礼を述べた。
「お釈迦様、もし人々が観音経の自在の働きと神通力を聞いたなら、知ることになるでしょう。
その功徳は計り知れないことを」と。
お釈迦様が観音経を説かれたとき、そこに集まった者は皆、この上ない悟りの心を起こしたのである。

 

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でもね

 

実は去年、夫の大殺界に振り回されていた時のことを思い返してみると

 

いや、確かに観音様が現れて助けてくれたわ・・・

 

と思いあたる節がいくつもあったんですよ。

 

観音様は必要に応じていろんな姿で(いろんな方便をつかって)現れて助けてくれるそうで、その姿は三十三身といわれています。

 

だから三十三観音巡りというのがあるんですね。

 

で、私達のところに現れた観音様は

 

あの人だったな、この人だったなと

 

その方たちのおかげで私達はピンチから何度も救われたのです。

 

その方々を私たちのところに差し向けてくれたのが

 

実は観音様だったのか~びっくりびっくりびっくり

 

 

詳しいことは個人的な話なのでこれ以上は書けないのですが

 

でもいま、私は「あれは確かに観音様の力だった」と確信しています。

 

私達は去年ずっと

 

「捨てる神あれば拾う神あり」だね

 

と言っていたのですが

 

夫はよく三十三観音巡りをやっていたので

 

助けて下さったのだなと思います。

 

 

まあ夫目線から見れば

 

私もまた姿を変えた観音菩薩に見えたかもだけどなグッゲラゲラ

 

 

でも冗談抜きにして

 

本当に「地獄に仏」のような出会いもありましたし

 

多くの方々に助けられました。

 

感謝以外のなにものでもないです。

 

 

そしてよく考えると

 

この観音経に書かれているような

 

どんなにピンチに陥っても

 

そこから脱出するのは不可能だろうという状況になっても

 

でもそんなときでも俺の名前を呼べよ

 

そうしたらいつでもやってきて

 

絶対に救ってやるからな

 

っていうのって、まさにウルトラマンとかスーパーヒーローの世界ですよね。

 

観音菩薩って

 

実は古代のスーパーヒーローだったんだガーン(←ヲイ)

 

 

でもこの何が何でも人間の苦しみを救いたいという決意と慈悲の心

 

それこそが観音菩薩の凄さでありありがたさなんだなと思いました。

 

神に見捨てられたと感じたときに

 

いいや、俺が救ってやると名乗りを上げてくれる存在がいるって

 

それだけでとてつもない救いですよね。

 

 

いま、いろんな困難にあって苦しんでいる人、また病気で苦しんでいる人

 

社会変革の波や悪政の影響をまともに食らって苦しんでいる人

 

いろんな人たちがいると思います。

 

 

いろんなことがあって突然希望が失われてしまったとしても

 

でも私達羽生ファンには「羽生結弦」という観音菩薩がいるじゃないか

 

ということにも気づきました。

 

 

エコーズのなかで、時をさかのぼって(時計を逆回りに進むシーン)

 

何度も何度も友を救いにゆくシュタインズゲートの主人公のような思いで

 

NOVAはあの空間にいたのだろう

 

そして僕がいるから大丈夫、きっと救ってあげるからと

 

そんなひそかな決心をもってそこにいたのかもしれない

 

だからこそ彼は

 

毎回全力の上をいくほど力を出しきって頑張ているんだろう

 

不可能を可能にするために

 

いつか奇跡を起こすために

 

そう思ったら

 

また涙が出てきました。

 

観音経、ぜひ読んで唱えてみてください。