羽生さんと塩沼大阿闍梨の対談記事を見ました!

 

気になっていたのは、「実は16歳で知り合って以来、交流を重ねてきた」という部分。

 

塩沼さんもラジオで仰っていたし、編集部のインスタライブでも編集長がそうおっしゃっていました。

 

でも記事の中では会うのは数年ぶりだとも仰っていました。

 

清塚さんとは「テレビ電話」で繋がってるって清塚さんが言ってましたが、大阿闍梨さんともそうだったのかな?

 

(羽生さん、海外も長かったし、また有名になりすぎて表を出歩くことに制限がある分、「テレビ電話」はいろんなところで活用しているような気がします。)

 

確かに、特に日本に帰ってきてから作った最後のフリー「天と地と」の中には、仏教的な死生観が入っているなと思ったし、蒼い炎の究竟編とか、あまり聞きなれない用語(仏教用語?)も使っておられました。

 

その辺、阿闍梨さんの影響があったのかな、と思いました。

 

 

しかしそれだけでなく、困難に直面した時の乗り越え方、のような部分でも、もしかしたらものすごく影響を受けていた可能性はあるなと思っています。

 

いや、修造さんに煽られて振り回されてただけじゃなかったんですね(笑)。

 

なんというか、羽生さん、本当は北京に行きたくなかったんじゃないかと思うんですよね。

 

だって理不尽に負けさせられるとわかっている場所に、競技者として誰が行きたいと思います?

 

最後の四大陸で彼は平昌五輪の時のプログラムに戻して、最後の「確認」をしていましたよね?

 

信じたくなかっただろうけれども

 

あの時、彼は「そうか、そういう競技なんだな」と呟き

 

全てを理解したと思います。

 

だから北京ではどんなに良い演技をしたとしても

 

勝たせてもらえないのはわかっていた。

 

でも誰も彼もが彼を取り囲んで、行けと言った。

 

行かざるを得ない状況だった。

 

負けさせられることがわかっている場所にどうしても行かざるを得ない。

 

言ってみれば

 

自らが処刑されるために自らの処刑台となる重い十字架を背負って、ゴルゴダの丘に登ってゆかざるをえないキリストのような状況だったよね。

 

あんな苦難をどうやって乗り越えたんだろうと思っていましたが

 

そんな時に大阿闍梨の仏教的な死生観に影響を受けたのかな。

 

 

「天と地と」はそれこそ、「自分は死ぬ運命と知って死に場所を求めている武士」の選ぶ曲だな、と思っていました。

 

生きるということの意味は死を意識した時に初めてわかるのかもしれません。

 

どのように死ぬかは、どのように生きるか・生きたかと表裏一体の関係にある。

 

どのように死ぬかで、その散り様で、その人がどのように生きてきたかがわかるのだろうと思います。

 

だから自分の競技者としての散り際をどうするかについては

 

羽生さんはそれこそ死ぬほど考えたに違いありません。

 

そして競技者としての羽生結弦は4A挑戦という前向きの挑戦の中で終えることを選びました。

 

最後まで戦って散りたかったのだろうと思います。

 

最後の万が一の勝利のチャンスに賭けて。

 

その思いを切り取って連続写真にしてくれた貝塚さんは、本当によくわかってる人だったなと改めて。

 

 

そしてその後の2年間は

 

もはや競技者ではなくなった羽生さんが

 

その後の長い人生をどう生きてゆくのか

 

ということを考えながら模索してきた時間であったのかなと思います。

 

ステータスが「コンペティティブ・アスリート」から言ってみれば「アスレティック・パフォーマー」に変わった以上

 

人生目標の組み換えが必要だったと思いますしね。

 

 

終わりは始まりの始まり。

 

そんなことを自分を納得させるかのように

 

何度も何度も呟きながら

 

羽生さんはこの2年、前に進んできたように見えます。

 

 

色紙に書いていた「生きる」という言葉は、アイスショー「Re_Pray」の中でも何度も出てきた言葉です。

 

ここに在る意味、私である意味。

 

まさに「今」、「ここで」、「私が」生きる意味について考え続け、問い続けた結果が

 

あの作品だったんだろうなと思うと

 

なおさら心に刺さります。

 

 

迷いながら、試行錯誤の2年間だったろうと思います。

 

プライベートも含め、あれこれやってみる中で失敗もあったでしょう。

 

それに伴ってマスコミから意味不明に叩かれた時期もありましたが

 

羽生さんはそのような苦難を経て、今、完全に心が定まった印象も受けています。

 

自分はどんな風に生きるのかについて、迷いはもうないのでは。

 

 

だからこそ、大阿闍梨さんも二人の交流をカミングアウトすることができたのかなと思いました。

 

きっと、羽生さんはもう大丈夫だ、と判断されたんでしょうね。

 

 

本当に、精神的にもどん底を何度も経験する一方で、アイスショーの大成功もあり、アップダウンの激しいこの数年でした。

 

若いのに我々凡人には想像もつかないようなハードな人生を送ってきた羽生さん。

 

あんなに大変な精神状態の中で、アイスショーをあそこまで成功させることができたのも、そこだけは絶対にぶれなかったのも、こんなに強い人が精神的なバックボーンとなってくれてたからだとしたら・・・

 

いや〜そりゃあ手強すぎますわ

 

相手が束になっても敵わないわけです。

 

打たれれば打たれるほど強くなってゆく羽生さんを見て

 

私も畏怖の念を感じましたが

 

アンチ連中はもっと感じたでしょうね。

 

 

だって1300年で二人しか成功してない荒業を達成した人が、言ってみればメンターだったんですよ?

 

肉体的にも精神的にも限界まで追い詰められる荒行を続ける中で

 

毎朝、起きた時には(どんなに疲弊していても)「いくぞ!」という気持ちで修行に向かうことができた

 

そのことが誇りであり自信の源だとおっしゃってましたが

 

確かにそうですよねえ

 

1000日間もそのメンタルを維持し続けることができるって

 

途轍もないです。

 

でもその人に一目置かれる羽生さんもまた

 

途轍もないです。

 

そういう途轍もない人が二人も仙台にいるって、仙台どんだけ最強なのよ?

 

ビックリだよ〜

 

 

どんなに苦しい時でも、それをどう捉えるかによって闇を光に転換できるという生き方

 

それはまさに羽生さんの生き方そのもので、そのことによってあの去年の一番苦しかった時も乗り越えてきたと思うし

 

以前に羽生さんはネガティブなこともポジティブに変換してしまうコンバーターのような人だと書いたことがありますが

 

まあ元々そうなのか、大阿闍梨さんの影響なのかどうかはわかりませんが、

 

学ばせられますねえ。

 

 

ちなみにもう一つ、すごい発見が。

 

こちらの方のXに掲載の大阿闍梨さんの色紙(羽生さんが持っている方)

 

 

 

今回大阿闍梨さんが書いてくれた色紙と全く同じ文言なんですよね。

 

 

今の羽生さんそのものじゃないですか。

 

16歳の頃はまだまだよくわからなかったけれども、今の羽生さんはこの大阿闍梨さんの言葉通りに成長しているなと

 

その意味でも大阿闍梨さんすごっ

 

と思った次第。